長文なんで、興味無い方はスル~してください NHKドラマスペシャル・白洲次郎【1945年のクリスマス】のタイトルじゃないけど、1994年のクリスマス、我家は火災で全焼した。 その前年、1993年から父方の兄弟に不幸が続いていたが、うちだけは何事も無く過ごしていた。 私は当時月のうち20日は出張で、自宅には殆ど帰れない日々が続いていた。 12月23日(金)羽田から青森行きの最終便に乗った。 行き先は当時付き合っていた弘前の彼女の元。 楽しいクリスマスを終え、25日は青森空港→千歳空港→釧路空港経由で、夕方には釧路のホテルへ行き、インストラクターと合流予定だった。 弘前駅前のバスターミナルから青森空港に向かい、青森空港で12時過ぎに自宅に電話した。 父が電話に出て『母さんは上尾の叔母さんの所に行っている。妹は外出している。』と言うので、『火の元と戸締りだけはちゃんとしてよ!』といって電話を切った。 当日は吹雪で、搭乗便が遅れていた。 その直後の12:30火災が発生してしたようだ。 (壁掛け時計の針が12:35くらいで壊れて止まってた) 千歳空港には遅れて到着したが、吹雪のためYS-11では釧路に飛べ無いので欠航・・・。 私は、鉄路で釧路に向かうため、駅のホームで電車を待っていた。 その時携帯に電話が入った。母からだった。 母が近所の仲の良い友人(同級生)に携帯番号を聞いて、電話してきた。 『○○冷静に聞きなさいよ!』と半泣きで、少し興奮状態。 『オヤジが火事でも起こした?』。 すると母は『うん』と一言。 『全焼?』と聞くと、『うん』。 『皆無事なんでしょう? 延焼とか無いんでしょう?』と聞くと『大丈夫』。 『明日以降の予定を調整して、決まったら○○(同級生)の家に電話するから、落ち着いて』、私は冷静だった。 先ず会社に連絡し事情説明、インストラクターと明日以降のユーザ教育の説明、そしてユーザへご挨拶に伺えない旨説明した。 そして、羽田行きの便も抑えられた。 友人に電話したら、羽田まで車で迎えに来てくれるとの事。 搭乗すると、クリスマスを北海道で過ごしたカップルだらけで、煩い煩い。 でも、それは仕方が無い事だ 羽田に着くまで色々考えた。 ・お袋の精神状態は大丈夫か? ・妹は? ・今進行中の新居の立替の話はどうなる? ・テレビと冷蔵庫今年買ったばかりなんだよな~。 とか 羽田に着き友人の車で、色々状況を聞きながら自宅へ向かう。 自宅に着くと、一個上の先輩の消防団の人が、火が燻ってるので火が上がらないか見ていてくれている。 『ご迷惑お掛けします』と言うと、『いいから早くお母さんの所へ行ってあげな』って。 うちは母屋の裏に、二軒長屋を持っていた。そこにはそれぞれ父と私が寝泊りしていた。 私の部屋へ行くと、両親、そして町内会の人達が居た。 母は泣きながら『お父さんがお酒を飲みながらてんぷら油をかけたまま、テレビを観ていて寝ちゃって・・・』と言うが、『もう起こっちゃった事なんだから、お父さんを責めても仕方ないでしょう。皆さんも居るんだし』と宥める。 町内会の人が『火災保険とか、家財保険は?』と聞いてくるが、私は正確には解らない 確か入っていたはずだけど・・・・、と父が『そんなもん去年止めちゃったよ!』(半分逆切れ)。 『それじゃあ、燃え損じゃねぇ~か!』と近所の人(昔ながらの付き合いの人だから、悪気は無いんだろうけど)。 燃え得は無いでしょう しかし、産まれてこのかた、父から『ありがとう』と『ごめん』という言葉を聞いたことが無い。 この時もその言葉は聞けなかった・・・。 そして深夜、何も知らない妹が車で帰宅。 初めは不思議な顔して『うちどうしちゃったの? 家の向こう側が見えちゃってて、臭いけど・・・。』。 事情を説明すると泣き出した 先週買った皮のコートだとか、未だ着てない服が沢山在ったみたい、ローンで買ったのが それと写真とか想い出の品々。 少し落ち着いてから『来月解体工事するのを、業者の人が間違って壊しちゃったのかと思った』って。そんな事あるかい! その翌日から近所の方や、新聞を見た知り合いが、不要になった洋服や、食器類、コンロ等を持って来てくれた。 また、私の携帯番号を知っていた知人からも励ましの電話を頂いたり、私が当時勤めていた会社の連中10名くらいが、私の誕生日の12月30日に誕生日プレゼントを持って、あと片付けにも来てくれた。 シャレの効く連中だ 会社に一報を入れた時、意外にも冷静で落ち込んでいなかったのを聞いていたらしい。 だって、マジで『済んだ事は仕方が無い!これから頑張って行くしかない!』って思っていたからね。 あの時は色々な方にお世話になりました。 物資や励ましのお言葉、行動・・・、本当に有難かったです。 嬉しかったです。 有難う御座いましたm(_ _)m そして、私のケースとは違いますが、今回被災された皆様に、私が受けた恩返しに、何か出来ないかと考えましたが、残念ながら現在は母の介護、自分の体調不良(回復しつつあります)もあり、ボランティアとして現地に行くのは難しい状況にあります。 すみません・・・。 ですので、少ないですが(そもそも金額の問題ではないですが)、3月に日本赤十字社にカーナビ資金を、義援金として振込みさせていただきました。 私達の受けたご恩の何分の一か解りませんが・・・。