2011年10月25日
つまらない話しだけど、暫くお付き合いください
世の中こんな人も居るんだな~、ってことで。
一昨日のオフ会の時、あるメンバーさんからうちの親父のことを『伝説の親父さん』と言われた
私は開けっぴろげな性格で、過去にメンバーさんにもあれこれ話していたし、前々日ブログにも親父のことをUpしていたしね。
それに、確かにうちの親父は、普通では考えられない思考回路の持ち主だから。
親父は6人兄弟(上から女:3人、男:3人)の末っ子で、かなり甘やかされて育ったらしい。
祖父が染物職人だったので、職人に学校の宿題をやらせていたため、勉強は一切駄目で、一般常識も知らない。
祖母が地元で有名な意地悪婆さんだったので、上の兄弟全員が結婚しても同居せず、末っ子の親父が本家を継ぐことになった。
本家と言っても、親父が実家を継ぐ頃には、100坪の土地があるだけで、駅に近い土地300坪は長男が新聞販売業を始める資金にし、裏の土地300坪は、祖母が長男と喧嘩して、二束三文で売ってしまったらしい。
うちのお袋に見合い話が来た際、お袋の両親が、親父のことを近所の人に聞いたらしいが、聞いた先が悪かった。
なんと、うちとは遠い親戚にあたる家の人に聞いてしまったのだ
聞かれた側は当然親父のことは知っていたが、悪く言う筈も無く・・・。
親父の若い頃の写真を見ると、それなりに格好いい。
身長も170cmくらいあり、スタイルも良く、スーツにグラサンをして、結構お洒落な写真が残っている。
そして、結婚式当日、お袋は親父が嫌で、夜中に逃げ出したかったらしい。
親父が”どもる”のが嫌だったし、実は好きな人も居たらしいのだ。
お袋は中学(尋常小学校)を卒業後就職し、かなりの貯金をしていた。
そのため、当時家に無かった三種の神器と、当時のお金で二階家が建つくらいのお金を持参した。
結婚後、親父は仕事をしていなかったが、朝自宅を一旦出て、お袋が仕事に出掛けると帰宅し、自宅でゴロゴロしたり、パチンコをやって遊んでいた。
要するに始めからお袋の稼ぎで暮らしていた訳だ。
その後、お袋は私の出産2週間前まで働き、お袋が実家に戻ると、親父と祖母はお袋の実家まで給料を取りにきた。
出産は祖母が『自宅で産まないなら、私は面倒一切見ないから!』と言い張り、私は自宅で産まれた。
しかし、親父は出産にも立ち会わず遊びまわり、お構い無しだったようだ。
Posted at 2011/10/25 03:21:25 | |
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2011年10月23日
10月22日は親父の79回目の誕生日だった。
50年前に結婚してから、トータル5年くらいしか働かないで、お袋の稼ぎで暮らして、お袋と俺の貯金を使っちまった親父だけど、この歳になると憎めなくなる。
最近親父も歳取ったと思うことがしばしばあるけど、未だに滅茶苦茶な人だからなぁ。
『年金は俺が貰ってるんだから、俺が自由に使うんだ!』って、結局結婚してから、一度も家にお金入れたことないからね。
あと何年一緒に居れるか解らないけど、元気でいて欲しいよ。
PS・一応お小遣い1万円だけあげました。
Posted at 2011/10/23 03:05:25 | |
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