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GEN@GK3のブログ一覧

2009年05月13日 イイね!

コリン・マクレー(6)

続いて14ページ残り~16ページ最初。
(15ページは子供の頃のコリンがモトクロスやってる頃の写真です)

『1970年代の初め、3人の幼い息子たちと、確立された事業とともに
ジム・マクレーは新しい趣味を探していた。
1973年のRACラリーを見た後、彼はラリーは楽しそうだと感じた。

彼は試しに彼の仕事のクルマだったフォード・コーティナ・エステートで
12-CAR(ナビゲーターつきで夜走るイベント)に出場してから、
彼の友人であるアラン・アーニールからロータスのエンジンを積んだ
生粋のラリーカーである4ドアセダンのコーティナを購入した。

これにより彼は初参加したArboath Stagesラリーで11位の成績を収め、
そのシーズンの終わりであるTour of Mullラリーでは8位に入り
スコットランドラリー選手権の最も優れた新人として
「チャレンジャー賞」に輝いた。


スーパーチャージャーつきのフォード・エスコートは森の中では
想像したほど上手くは機能せず、あっという間に欲求不満に陥ったので
彼はパース(※1)のボグゾール・ディーラーであるSMTがサポートする
ボグゾール・マグナムに乗り換えた。
コーティナを買ってから1年半の間に、彼はファクトリーチームから
ある程度のサポートを受けるようになっていた。

続く15年間の間に彼は5度の英国オープンチャンピオンと
7度のサーキットオブアイルランドに輝き、
欧州ラリー選手権にステップアップした。

これは30歳までにラリーを始めなかった人にしては驚異的な業績であり、
望ましいドライビングをするには歳を取りすぎているという偏見に対して
常に戦うものだった。
コリンのクルマに対する興味は新しく、
抑えきれないほど集中したものとなった。


コリンは初めて見たラリーを思い出すことが出来ないが、
1982年のスコティッシュラリーを見た事を憶えている。

「父はロスマンズ・アスコナに乗っていた。
確かアリ(バタネン)がBlairadamと呼ばれるステージに最初にやってきて
彼は減速しながらシフトアップして、そして彼は大きなミスをした。
クルマが現れたと思ったら全く突然にコーナーに後ろ向きで侵入して
道路の反対側の立ち木にまっすぐ突っ込んだんだ。(※2)
父も同じようにスピンしたけど彼はコーナーを曲がりきったんだ!
あれはホントに良い思い出だよ」

これ以降、コリンはできるだけ多くのラリーを観戦し、
ジムが近くでテスト走行をしている時は
ワークスのラリーカーに乗るチャンスを絶対に逃さなかったが、
この一家には他の機会もあった。

彼の幼い頃からのスポーツの経験の大半は彼の叔父である
ヒューズ・スティールの提供によるものであり、
彼は年代ものの(※3)エスコートに乗っていた。

「彼と一緒にいた事はラリーにのめりこむきっかけだったね」
とコリンは語っている。』


(※1)パースとはスコットランドの地名です。
(※2)Ari[Vatanen] i think would be first on the road in a stage
called Blairadam and really, where you thought he'd braking,
he changed up a gear, so obviously he'd made a big mistake.
You could see the car and then all of a sudden it appeared
coming backwards into the corner and straight off
into the trees on the other side of the road - and straight back on.
わからんのでかなり適当です(^^;
(※3)"long-suffering"って「辛抱強い」じゃないよねぇ??
耐久レース仕様ってわけでもなさそうなんでこんな訳にしました。
(略1)Steering adults was all very well,
but no substitute for being in charge.
大人を操るのはとても上手かったけど・・・???
being in chargeがわからん。
Posted at 2009/05/13 21:36:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | マクレー本 | クルマ
2009年04月25日 イイね!

コリン・マクレー(5)

かなり間が空きましたが雨降りでヒマだったので再開(^^;

(11頁)
『●第一章●
クルマ漬けの生活へ

彼の父親のラリードライバーとしての功績が
コリンのクルマに対する興味に火をつけたと考えるのが自然だろう。
とんでもない。彼はクルマに魅了されていない時を思い出せない程だ。
(略1)
最も広い意味におけるモータースポーツは常にマクレーの家庭の一部だった。
ジムは若い頃、二輪車のスクランブルレースのレーサーとして
成功していたので、彼の夫人は二輪車を好きでは無かったが
1965年に2人が結婚してからもモータースポーツに関わる事を止めなかった。
コリンは彼らの3人の息子達の長男で1968年8月5日にLanark病院で生まれ、
生まれ故郷の街に引っ越すまでは幼少時をBlackwoodで過ごした。

ジムはグラスゴーの公認測量士をしていたが
Lanarkの学校で連続した契約を得た時にさらに南に移り住み、
暖房と配管を行うAllan Wallace Ltd.を買い取った。
Lanarkは人口8000人ほどの小さな街で、
その有名人を畏れることなく誇りにしていた。

コリンは2歳から運転を始めた。
彼は運転席の大人の膝の上に座りたがり、ステアリングに触れる事ができた。
叔母や祖父母達に会いに行くことは
最後の数ヤード、ハンドルを持つ事をねだる小さいがうるさい少年によって
入り口で迎えられた。(※1)

実際、彼は機械的なものに魅了されていた。
彼はレゴで遊び、メッカーノ(※2)に進んだ。
彼は工房で鍛冶屋の祖父を見て何時間も過ごしたので
家族の間では'the dook'(※3)として知られていた。

好奇心がしばしば彼を打ち負かす事があった。
たとえば、マーガレットは彼が三輪車のチェーンに指を挟まれ、
お隣の農場の人にチェーンカッターを持ってきて貰う破目になった事を覚えている。
(以上11頁。12頁は三輪車に乗ってる写真と
コリン&アリスターが本を見ている2ショット写真。)

(13頁上は1970年のコリン、アリスター、末弟のスチュアートの3ショット)
彼の性格の別の側面はすぐに現れた。
彼は意思が強く、臨機応変に物事を考えた。
従兄弟と遊ぶのは自宅のガーデンだけに限られていたのだが、
彼は入り口に自転車を傾け、それをよじ登って乗り越え、
通りを数本横切って従兄弟の家にたどり着いた - 3歳の時に。

学校は一時的な関心ほど火を焚きつけなかった。
彼はRobert Owenの文法の授業を受けたが窓の外ばかり見ていた。

彼は言う。
「本当に興味があったのは昼休みと遊んでる時だけだったね」
「木工と金工をやったよ。実習や社会見学は楽しかった。
ずっと教室に座って先生の言う事を聞かなくても良かったからね。」
彼は5科目では普通レベル、金工がAプラス、他はかなり悪い成績だった。

(14頁)
彼はサッカーとラグビーをやっていたが、試合について特に熱心ではなかった。
それは一家の特徴だ。彼は論文で彼の父親の視点を忠実に反映して
暴力的なサッカーファンを"血だらけのフーリガン"と記述したため
トラブルに巻き込まれた事があった。

もっとも、水中のスポーツには興味を持ち続けていた。
子供の頃、彼は水泳とカヌーが好きだったが
必然的に水も動力化され、彼は夏にジェットスキーを楽しんでいる。』

(略1)
and his parents, Jim and Margaret, confirm that they exerted a hold from the start.
ここでのholdの意味がわからん(^^;

(※1)
Visiting aunts and grandparents would be greeted at the gate
by a small but vociferous boy, begging to be allowed to
take the wheel for the last few tards.
叔母さんや祖父母に会いに行くときに最後の数ヤードまで来たところで
「運転させてー!」ってねだる子だった、
それが運転する事に対する入り口だった
つーことなんですかねぇ??
それとも単純に叔母さんや祖父母に会いに行ったら
入り口で出迎えられたってだけ??
よーわかりません。

(※2)
「レゴ」はプラスティック製の組み立てブロックですね。
私もガキの頃遊んだ記憶があります(^^;
http://www.05block.com/01/le_01_01_01_00.html
で、メッカーノという英国メーカーのリリースしているのがこちら。
キングギドラすげぇ・・・。
http://www.monomania.jp/list/list9/index.html

(※3)
文脈からして'the dock'ならともかく'the dook'ってなんすか?
グレンダイザー?←それはデューク

次回はジミー@コリン親父がラリーを始める辺りの経緯に続きます。
Posted at 2009/04/25 22:11:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | マクレー本 | クルマ
2009年03月13日 イイね!

コリン・マクレー(4)

今日は休みつーか休業です。
天気悪いと洗車も何もできんのよね。


9頁残り~10頁
『彼の支援者達は信念と忠誠に溢れていたが
彼がイギリスに拠点を置くスバルのファクトリーチームとともに
世界選手権を獲得するに至る道のり、
そしてそれを維持しつつ世界選手権で勝つ事でくたくたになった。

最も熱心な支持者でさえ、
彼のスピードを抑えようとする命令が段々激しくなるので
彼が十分な才能を持っていて、自然に速く走る事ができるのか疑念を抱いた。
(※1)

狡猾さと経験が重要なスポーツにおいて
約20年間最高レベルで失敗した事により人々の間にに染み付いた
英国人ラリードライバー達に対する偏見をマクレーは打破した。
彼の潜在能力は底知れなかった。
スポンサーとマーケッティングマンは、
世界中のラリーファンが最初から注目する様な
才能ある人物を見つけてくる破目になった。
彼の父との並外れた絆で認知への戦いは進められた。
自身、五回の英国選手権チャンピオンに輝いた事もあるジミー・マクレーは
長男の出場したラリーのあらゆるステージでアドバイスを送り、サポートした。
(略1)

ジミーは息子をコーチするわけでもなくコントロールしようともしなかった。
(略2)

彼は全ての時代で最も成功した英国人ラリードライバーであるだけでなく
世界的な偉大なラリードライバーである。
彼の功績は既にナイジェル・マンセルや
特別な才能のあるスコット、ジム・クラークや
ジャッキー・スチュワートに匹敵している。
彼はスロットルのついた全ての乗り物を操る才能があるだけでなく(略3)

多くの潜在能力を持ったドライバーであれば何度も非難される事は無い
(略4)

スポーツ理事会によって召集された特別審議会に出廷した時でさえ
チームメートやチームマネージャーとの対立があった。
大人しい態度は欺きやすい。
コリン・マクレーは爆発的に速くとても意志が強いだけでなく
(略5)
彼は、中立の余地を残さない。』

(※1)
Even his strongest advocates have wondered if he has too much talent,
if driving quickly comes so naturally to him
that the discipline to temper his speed in unfavourable conditions
becomes all the harder.
あんな訳で合ってるんだろうか(^^;
the discipline to temper his speedを「クルマ壊すな!ペース落とせ!」って
リチャーズ達に言われてた事と解釈しましたが・・・。
(んでdescile becomes all the harder.を
段々キツい事を言われるようになったと解釈しましたが
合ってるのかよーわからん。all the harderってまさか何かの慣用句?)

(略1)
but there has never been a trace of coercion
in Colin's tornado-like path through his father's sport.
さっぱりわからん(^^;

(略2)
Colin has had all the opportunities denied to his father
- and a good many other keen youngsters, come to that,
- but they would have been wasted without a ferocious will to win that is entirely his own.
「必ずしも親父に従わなくても良かった」って事だと思うんですが
その後がさっぱりわからん。

(略3)
全文は
He has a gift for controlling anything with a throttle,
but also for learning the hard way.
ここの「way」ってどういう意味で使ってんだろ?
しかも「the hard way」を「learnする事」って??

(略4)
public triumph has been followed all too often by public ridicule.
直訳すれば「大衆の勝利には常にあまりにも多くの大衆の笑いがあった」ですが・・・。
前後で「public」の意味が違うんだろか。
「triumph」も「勝利」では無さそう。

(略5)
but constitutionally incapable of the run of the mill.
直訳すると「憲法上は工場操業の資格が無い」。何だこれorz
「run of the mill」は慣用句なのかな?

やっと前書きっぽい部分が終了。後半辛かったな~。わけ判らんw
次からやっと1章ですがさてどうなる事やら。
Posted at 2009/03/13 16:55:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | マクレー本 | 日記
2009年03月11日 イイね!

コリン・マクレー(3)

コリン・マクレー(3)








7頁続き~9頁途中(8ページ目は↑の写真ね)

『10年と少しが過ぎた頃、北スマトラBagerpang近くにある
うだるように暑いプランテーションのSSのフィニッシュには
期待に胸を膨らませた群集が列を作っていた。

水をなみなみと湛えた川岸の間で
泥だらけの路面は直前の雨で光り輝いていた。
フライングフィニッシュの先で左右に分かれ
橋に繋がる90度の直角コーナーまでの100ヤードは直線だった。

スバル・フラット・フォー・エンジンの短い咆哮が木々の間から鳴り響き
突然、青と黄に彩られたラリーカーが視界に飛び込んでくる。
並のクルマでは時速20マイル以上では走れないような路面だが
それを気にしてアクセルを緩める様子は全くない。

加速から減速への切り替えは
そこがまるで干からびたアスファルトであるかのように明確だった。
素早いシフトダウンと一瞬のステアリング操作、
スバルは信じられないスピードでS字を突っ切って進み
そして右90度に向かって猛烈かつ滑らかに減速した。
 
賞賛と神経質な笑いが群集の間に広がる。
ラリーカーを見るのが初めてあろうと1000回目であろうと
彼らは1トン超で300馬力の4ドアサルーンが
これほどまでに速く走るのを信じられなかったのだ。

コリン・マクレーは別世界の住人だった。
とにかく、彼は他の誰よりも道が広く見えていたらしい。 

マクレーが史上最年少で世界ラリー選手権のチャンピオンになった事は
若干20歳の彼があっという間に成功して
スコットランドと二つのイギリス選手権タイトルを取り
彼をワークスが用意したラリーカーに放り込む事にも繋がった数々の
記録破りの経歴の中で、最も最近の栄光だ。

彼が赤いサンビームを駆って以来、
生まれ故郷であるスコットランドの森林から
インドネシアのプランテーションの中に至るまで
その荒削りな速さは驚きの源泉だったが、
彼がラリーに勝つ能力は
スクラップヤードを埋め尽くす数多くのアクシデントを伴っていた。』


次がややこしそうな長文だったので今日はここまで(^^;
最後の一文はいかにもイギリス人らしい皮肉だなぁと思いますw
(ようしらんけどw)

画像の左端はAmazonUKで買ったマクレーのDVDです。
栄光を称えつつ追悼する、という流れのようで
ついさっき見始めましたが余りにも辛くてほんの数分でギブアップ。

自宅のリビング?で自分に向けられたカメラも気にせずに
子供とケラケラ笑いながらプレステやってるマクレー見たらもう、ね(T_T)


しかしさすがイギリス。WRCやF1、ツーリングカーはもちろん、
むかーしのグループBだの最近の英国選手権だの
相当コアなものまで普通にDVDで売ってます(^^;
Posted at 2009/03/11 23:17:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | マクレー本 | 日記
2009年03月08日 イイね!

コリン・マクレー(2)

7頁
『「SS直行便」
言葉巧みに売り出されるスポンサー主導の世界で、
1995年の世界ラリー選手権のチャンピオンであるコリン・マクレーは
ロックフェスティバルの中のバグパイプ奏者(※1)の様に際立った存在だ。
彼は1990年代のスポーツマンに期待されるような
商業的に自分を売り込む技術をほとんど持っていないのだ。

マイクの前では控えめでそっけなく、
冗談ぽく自分を卑下する様な好感の持てる人物である。

彼は聴衆のために演奏する事ができるが、スタジアムは必要ない。
クルマかモーターバイクを与えれば彼は生まれながらの興行師に変身するのだ。
世界じゅうで彼はあっという間に知られた存在になる。
ラリーというものは党派心の強いスポーツではないので
世界中のファン達はユニオンジャックとX型十字の旗(※2)を揺らし、
彼の名を路面や近くの岩にペイントし、彼の一挙手一投足に拍手喝さいする。
(略1)

そのきざしは最初からあった。
コリンの最初のコ・ドライバーであるニッキー・ジャックは
スコットランド中部で1986年に行われたバレンタイン・ラリーで
18歳の天才のナビを始めた瞬間にそれを全く疑わなかった。
フィニッシュ地点で彼が良く使い込まれた赤いサンビーム(※3)に登った時、
彼は「生きてて良かった(※4)」と思った事を覚えている。
彼はコリンの母であるマーガレットを振り返って言った。
「私の言葉を忘れないで下さい。あなたの息子さんは成功しますよ」
 彼はマクレーが行った記録されるべき結果について体験した
もっとも最初の人間の中の一人だった。
しかしそれは「コリン・マクレーはちっぽけな枠から飛び出すだろう(略2)」
という彼の判断を曇らせなかった。』

※1 "バグパイプ奏者"というのは
マクレーがスコットランド出身である事に掛けています。
フィニッシュ後のインプレッサの側で赤いスカートはいて
高い帽子被ったおじさんがバグパイプを吹いている写真を
見た事がある方も多いと思います。
※2 X型十字の旗。スコットランドの旗ですね。水色地に白の×です。
※3 赤いサンビーム。タルボというメーカーがあったそうです。
詳しくはウィキでどうぞ。

※4 "Man alive, that was interesting."って?(慣用句なんでしょうか?)

(略1)They appreciate a born winner, has found it extraordinarily difficult
to stomach defeat and will drive for points only as a last resort.
さっぱり判りません(^^; born winnerって「生まれながらの勝者」で良いの?
(勝者の誕生だったらbirth of winnerだよね)
difficult to stomach defeatて何?胃の敗北??
最後は「最後の切り札としてだけにポイントのために走る」が正解っぽいから
助っ人でスポット参戦する事を言ってる様ですが・・・。

(略2)He was one of the first to experience what might be described as the McRae Effect,
but it hadn't clouded his judgement:Colin McRae has more than lived up to the cliche
and given rise to a few of his own besides.
ここもさっぱり(^^;「He」はコ・ドラさんですよね。
McRae Effectって凄いリザルトって事なんでしょうか?
:以降はホントさっぱり・・・orz 
後半はColin McRae has given rise to a few of his own besides.だと思うんですが・・・。
Posted at 2009/03/08 20:10:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | マクレー本 | 日記

プロフィール

「[整備] #フィット ペイントプロテクションフィルム貼り付け(3) https://minkara.carview.co.jp/userid/202453/car/3276985/6906181/note.aspx
何シテル?   05/28 23:31
運転してて楽しいクルマと聴いてて楽しい音楽が好き。 (それがたまたまホンダ車・スバル車とHR/HMなわけですが・・・) ヒマ見つけて更新する意思だけは持ちた...
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