
本日無事仕事納めをしてまいりました、みさわ@BMアクセラ(仮)ですこんばんわ(*´∀`*)
いやぁ、
ぶっちゃけ長かったです10連勤。
以前今よりキツい体力系の職場で
28連勤というアホなことしていた時期もありましたが、当時と比べて体力が全然劣っている現在では、たった10連勤でも体がキツいですわ(;´Д`)
明日から休みに入りますので、家の大掃除を済ませつつ、年明けのアクセラ契約に夢を馳せるとしましょうかね。
さて、2016年も残すところあと2日。
折角の機会ですので、今年1年を簡単に振り返ってみるとしましょうかね(-▽-)
2016年という年は、私にとって非常に大きな意味を持つ年であると同時に、私や私を取り巻く家族にとっても
非常に波乱万丈の年でもありました。
皆さんと私にとっては、このみんカラのブログ再開が最も大きな出来事でしょうね。
7年という空白期間を経て、まさか今頃になってまた再びみんカラを再開することになろうとは夢にも思いませんでした。
それと同時に、車を買い替える事について、私自身自分の中でここまでワクワク楽しくこの半年間悩む事ができたというのも非常に幸せな出来事でした。
そもそもブログ再開以前は、正直マーチを乗り潰すつもりでいましたし、当時の感覚では車を買い替える事はおろか、新車を買うことになるなどもっての他だと思っていましたしね。
そんな心境の変化も、
今年あった様々な出来事がそうさせたのでしょう。
そもそも激動の1年の幕開けは、
今年の4月に遡ります。
ある日突然何の前触れも無く、
嫁が高熱で倒れました。
40度近い高熱から、最初はインフルエンザを疑うも陰性。
大きな病院で精密検査をするも原因は不明。
ただ延々と高熱のみが1週間続き、ついには
入院する事になりました。
入院後、様々な精密検査をするも、異常と思われる箇所は発見できず。
また細菌による感染症の線も薄く、結果として何の進展も得られないまま3週間という時間だけが無常にも流れていきました。
結局入院した病院ではどうにもならず、大学病院への転院を勧められたのが4月末。
県下最大級であろう信大病院に転院し、また様々な検査を一通りするもやはり原因は特定できず。
最終的には膠原病を疑われつつも、時間の経過と共に症状が徐々に緩和の兆しを見せ始めたのがゴールデンウィークを過ぎた頃だったでしょうか。
その頃から熱も下がり始め、
よくわからない間に勝手に治るという、どう喜んでいいのやらさっぱり分からない不思議な状態でしたが、3ヶ月の時を経て知らぬ間に完治となりました。
結果的に、病名は
『不明熱』
このような病名が存在する事を、今回私は初めて知りました。
原因の特定が出来ぬまま、一定期間医療機関にて治療を経てもなお下がらない熱の事を、医学的には 『不明熱』 と定義づけするようです。
残念ながら今年の出来事はそれだけに留まりませんでした。
これと時を同じくして嫁の甥2人がそれぞれ別の病気で入院。
嫁の従姉妹が入院。
嫁の姉が入院。
私の親父が手術。
私のお袋が交通事故で怪我、入院。
私のお袋が交通事故による後遺症で再入院。
嫁の祖父が入院後他界。
嫁の姉が再び入院。
私の母が重病との診断。
これだけの出来事が年内に一気に起きました。
2016年という年は、私や私の家族にとっては
『厄年』 と言っても過言ではないでしょう。
本当に今年は良い事も、悪いことも、色々な出来事が起きた年でした…
それでもやはり、私にとって最も大きな出来事だったのは当たり前ですが
嫁の入院。
医師には原因が分からないと告げられ、3週間近くの長い間、40度近い熱が延々と続く。
普通に考えたら異常事態です。
結果だけ見れば何のことは無いただの熱でした。ですから今でこそこのように笑い話で済ませますが、その当時の我々の心境がいかほどであったか。
正直私は
嫁が死ぬかもしれないと覚悟を決めました。
私ですらこうであったのですから、当の本人はもっと思いつめていた事でしょう。
これまで私たち夫婦は、一般的な夫婦に比べて好き勝手生きてきました。
やりたい事を好きなようにやって生きてきましたし、ある日突然死んでしまったとしても悔いがないように生きてきたつもりでした。
しかし実際、冗談抜きで本当に死ぬかもしれない状況に真剣に直面した時、私が思ったのは…
もっと色んなところに一緒に行きたかった
でした。
山もそうですし、ドライブもそう。
まだまだ行っていない所なんていくらでもあるのに、何故こんな風になってしまう前に連れて行ってやれなかったのか…ただただそんな後悔だけが募りました。
結果として嫁は完治し、またこうして普通の生活を取り戻す事ができたのは幸いでしたが、この出来事が私たちに与えた
『死生観の変化』 は決して小さなものではなかったでしょう。
考えてみてください。
あなたの配偶者が、大切な恋人が、そしてあなた自身が。
本当に死ぬかもしれない状況に直面した時、一体どんな事を思うでしょう?
実際にこんな事に直面する状況など、人生で数えるほどしかないと思います。
しかし、数えるほどしかないからこそ、それらが人生に与える影響は計り知れない。
今回のこの出来事は、私にしても嫁にしても
『人はある日突然死ぬ』 という人生観を植えつけるに十分な出来事でした。
以前のブログで、嫁が私の車の買い替え予算の枠を取っ払ってくれた時に言った言葉
人生は長いようで短いし、実際に死ぬまでに乗れる車なんて限られる。
これは、今年彼女自身の身に起きた出来事を踏まえた上で聞くと、本当に深い意味が込められているのだと理解できます。
2016年
ここに至って、何故急に車への興味が突然蘇ったのか、私自身も不思議でなりませんでした。
決してお金に余裕があるわけではありません。
また、何か特別臨時収入があったわけでもありません。
デミオやマーチで不自由していたかと言われれば、全くそんな事はありません。
最低でも向こう5年はデミオとマーチでやり過ごすつもりでいましたから。
しかしこのブログをまとめる中で、私の中で一つの答えが出たように思います。
私の人生観が変わったのだと
きっかけは嫁の入院だったのかもしれません。
しかし私の心の奥底で、何かしら思うところがあった事も事実でしょう。
FDを手放してからこっち、車に興味を失っていたのも紛れも無い事実です。
しかし経済的な面から、あくまでも車という趣味にお金はかけられないという合理的判断があった事も決して否定はできません。
それに関してはもはや心の所作ですから、合理的な判断から興味が消失したのか、興味が消失したが故に合理的な判断が生まれたのか、そのいずれだったのかを究明する手立てはありません。
ただやはり、心のどこかでは車に興味を持たずにこれからの人生を生きていく事に対して、不満に思う気持ちが少なからずあったのでしょうね。
私の心が私に問うたのだと思います。
『お前はそれで後悔しないのか?』 と
前述したとおり、人はある日突然死ぬかもしれません。
そう考えた時、少なくとも
『好きでもない車に乗って、車に興味なく生きている』 状況は、私にとっては後悔の対象だったということでしょう。
人の心というのは面白いものですね。
完全に失ってしまったと思ったものが、こうして今意図せずに自分の中に戻ってきている。
まぁそれが必ずしも良い方向に作用するばかりではないわけですが、今回に限っては私の人生を豊かにしてくれる方向に作用したのではないでしょうか。
そんなわけで、2016年は様々な出来事がありました。
決して良い事ばかりではなく悪い事も多々ありましたが、それらを経てこうして今年1年の総括してみれば、そこそこ後悔の無い1年を過ごしてこれたのだと思います。
来年は年始早々に大きな買い物が控えていますから、初っ端から激動の年になりそうですね。
さて、おそらく年内はこれが最後のブログになると思います。
ブログを再開してより半年。
毎回毎回意味も無く長文となるこのようなブログにいつもお付き合いいただきまして、誠にありがとうございます。
来年もこんな感じでダラダラいきたいと思いますが、愛車が手元に来れば良くも悪くもさらにペースが上がるかもしれませんねww
そんなわけで、新しい相棒と共に楽しい毎日を過ごせることを夢見て、今年はこれで締めくくらせていただきたいと思います。
では皆様。
良いお年をヽ(゚ー゚ )ノ