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みさわ&ゆっきー@MAZDAのブログ一覧

2016年08月01日 イイね!

愛車FD3Sとの出会いと別れ 番外編

FDとの懐かしい思い出にひたっている、みさわ@MAZDAですこんばんわ(。・_・。)ノ

ブログというものは備忘録としても便利ですね!
確かにこれは毎日更新していれば日記の代わりになるでしょう。

そういう意味では写真も便利ですね。
当時のフィルムカメラのように、煩雑でもなく、現像代がかかるでもなし。
データとしてパソコンの中に入れておけば、まぁ場所もとらなくて快適快適。


ただ、データ飛ぶ時は一瞬ですね(;´Д`)





話が逸れました、それでは本題に戻りましょうか。






今回 【前編】 【後編】 と2回にわたって書いてまいりましたFDの回顧録ですが…


実は番外編と言うべき話の続きがあります。


前回までのブログと違い、FDを手放すにあたり直接関係のある話ではありません。
しかし、これはその後の私の車に対する価値観に、少なからず影響を及ぼした事柄と言えます。
事件…と言っては大げさになりますが、この出来事をきっかけに、私は車の在り方について考えさせられる結果になりました。

話は2011年4月、後編でも触れましたが、嫁の従兄弟にFDを引き継ぐ直前に遡ります。





嫁の従兄弟にFDを譲るのが確定した1ヵ月後…
書類も一通り揃い、あとは引渡しを待つのみとなっていた3月下旬。
私達はFDとの最後の思い出にと、三重県の伊勢路、熊野古道へ行きました。



まぁ場所に関しては特に縁があるわけではなく、単純に元々旅行に行く予定だった熊野古道に、FDで行くように予定変更しただけですね。

全然関係ない余談ですが、昔駅のポスターで以下のようなイラストを目にした事があり、クマ好き夫婦としては一度は行っておかないといけないと思っていた次第です。
イラストはよそのブログから拝借しましたm(__)m








熊野古道は凄く良い所で、また是非とも行きたいと思っていますが、今回のブログとはほぼ関係ないので、簡単に写真だけ貼っておきますね。



さて、数日後にFD引渡しを控えていた関係上、この時は必要以上に安全運転の旅となりました。
あまり褒められた話じゃありませんが、正直それまではまぁ下道だろうが高速だろうが、あまり大っぴらには書けない速度で走り回っていたわけですが(;゚Д゚)
さすがに引き渡し直前に事故るわけにはいきませんからね、安全第一です。

そんなこんなで、私がFDを買ってから6年。
こんな穏やかな気持ちでFDを運転したのは初めてだと言ってもいいかもしれません。
この2日間に限って言えば、ほとんどブーストをセカンダリーに入れることもなく、ある意味エコ運転に終始していました。
実際後で給油したらリッター10ほど走っていた記憶があります。


FDのようにハイスペックな車のポテンシャルをほぼ使わずに走る。
最後の別れの旅路にしては何とも大人しい2日間だったと思います。
しかしそんな別れもいいじゃない、これでFDとの楽しかった思い出を、有終の美で締めくくる事が出来る。私はそう思っていました。




























あの瞬間まではね







正確な場所は覚えていません。
記憶が確かであれば熊野から尾鷲へ北上する、国道42号線だったと思います。

私の前をトラックが走っていました。まぁ速度50キロといったところでしょうか。
普段なら問答無用で追越をかけますが、前述したとおりこの日は安全運転モードの私です。
大人しく30分近く、適度な車間をあけながらトラックの後ろをダラダラ走っておりました。

峠道のような上り坂を終え、ふと前車のトラックがハザードを出して左に寄りました。
まぁそうなれば追い越しかけますね。




譲ってくれてありがとう、とハザードを炊いて追い越しをかけたその時です。

























目の前で青い服の男が赤い旗を振っています





















( ゚Д゚)<????







理解するのに数秒時間がかかりました。
数秒時間がかかりましたが、理解してから猛烈に思いました。


何してくれちゃってんのマジで(;゚Д゚)


いや、ホントに何してくれちゃってんのマジで。
譲ったよね?トラック譲ったよね今?え、俺抜いたらマズかったわけ??
いや、そもそもこれトラックにハメられてね??ネズミ捕見えてたよね?トラックお前見えてたよね?
え~?俺煽ってないよね?トラックいらつかせるほど煽ってないよね~?
え~?何これ、何なのこの仕打ち。よりによって今日このタイミングで来るわけ???
いや、キッツイわ~、マジキッツイわ~それ(;´Д`)


以上、当時の心の中を忠実に再現しております。まさにこんな心境でした。


信じられない話です。
2日間本当に、過去かつてないほどの安全運転をしていた2日間です。
これは私の運転キャリアの中でも、免許を取得する卒業試験の時以来の安全運転でした。
それが、たった一瞬で


1点15000円の罰金に生まれ変わりました。


今でこそ笑い話ですが、その当時の心境は推して知るべしです。
そりゃわかっていました、ちょっと踏めばこのくらいは出る車である事は。
だがしかし、この状況で捕まえるのはいくらなんでも理不尽じゃありませんか?
食って掛かろうかと思いましたがどうせ覆りはしないでしょうし、FDとの最後の別れの思い出を、そのような醜い言い争いで埋め尽くすのもどうかと思いました。

こうして、私とFDとの最後の別れの旅行は最悪の形で幕を閉じたのです。









この出来事が、私の中に落とした影は暗く、また根深いものでした。
これが別れの旅でなければここまで私に暗い影を落とす事は無かったのかもしれません。
しかし残念な事に、そうではなかった。
最も美しくあるべき記憶の最後のページに墨をぶちまけられた、そんな気持ちでした。

無論、運転していた以上、いかなる行為も違反も私の責任です。
しかしこのような理不尽を自己消化できるほど、私は人間できていません。


この時です。私が今までの価値観を根本から覆す思いを抱く事になったのは。




公道で使い切れないパワーに価値はあるのか?



はっきり言って、これを言ってはお仕舞いです。
それこそ今まで私がFDと共に築き上げてきた歴史の全てを否定する事になります。
しかし、残念ながら趣味の車を持つ上で最も到達してはならない結論に、私はこの時到達してしまいました。
その証拠に、私がFDを手放してから今日までのおよそ5年間。
何の面白みもない廉価版グレードのマーチを、一切の不満を口にすることなく乗ってこれたのは。


車に対する興味が喪失していたからに他ならない。


誠にどうでもよかったんです、車なんてものは正直乗れれば何だって。
もしもあの時、ああいう形でFDと別れる事になっていなければ。
それこそ今頃私は再びFDに乗っていたかもしれない。
よしんばそうでなかったとしても、少なくとも大人しくマーチには乗っていないでしょう。

上では大げさかもしれないと書きましたが、私にとって、これは事件でした。
今までの価値観も、大事にしてきた車に対する想いすら、全て崩して消してしまう程に。
本当に些細な事が、思いもよらない形で致命傷になりました。

ですから本来、私の車の趣味というのはFDが最後になるはずでした。
あの時、あの場所に、FDにさようならを告げる為のあの旅路に、私は車の全てを置いてきました。
これ以降、私は軽トラだろうと商用バンだろうと、特に思いいれもない車を乗り継いで、何ら不満を抱くことなく生涯を終えるつもりでいたんです。本気で。



だからこそ…紛うことなく本気でそう思っていたからこそ。
今私がここでこうしてこのブログを書いているのはまさに奇跡なんです。

皆さんが思っているよりも遥かに、私自身が一番理解不能です。
何でこのタイミングで突如頭の中に物欲の源泉が湧き出てきたのか、未だに納得のいく回答を私自身持ち合わせておりません。
しかし、今この瞬間、私が再び車に対する情熱を蘇らせた事にはきっと意味があるんでしょう。
ですからこの小さな火種、消さないように大事に大事に育てていくつもりです。




次期愛車決定まで、あと5ヶ月ヽ(゚ー゚ )ノ
Posted at 2016/08/01 01:00:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | FD3S | クルマ
2016年07月28日 イイね!

愛車FD3Sとの出会いと別れ 後編

出会い、それは我々の人生を豊かにしてくれる、掛け替えのない大切なもの。

我々は日々出会う。
時には人と、ある時は物と。形は違えど、その一つ一つが大切な宝物。
しかし、出会いの数だけ別れもある。

別れとは誰にも平等に、そして必ず訪れる瞬間である。
それがどのような形であれ…







愛車との別れ


皆さんにも経験はありますか?

まだ若い人には愛車を手放す経験をしたことがない方もいるかもしれません。しかし私のように免許を取って十余年、三十路も半ばになりますと、決して避けては通れない道でもあります。
故障、事故、経済的な理由、ライフスタイルの変化、家族が増えた等々…
人それぞれ理由は違うと思いますが、愛車と別れる瞬間と言うのは何度経験しても決して慣れるものではありませんね。
それが、思い出のいっぱい詰まった愛車であれば尚更です。









ブログの更新が止まった頃、時を同じくして私たちは新しい趣味を始めました。
それはお久しぶりですのブログでも書きましたが、山登り




元々私が高校時代山岳部だった事。
歳を重ねるごとに体力低下を徐々に実感していた事。
そんな折、たまたま友達から富士登山をやらないかと誘われた事(結局未だに行ってませんがw)

色々な理由がタイミングよく重なり、車とはまた違ったアウトドアな趣味を手にすることになります。
当初は車趣味の、ドライブの延長線上程度のつもりでした。
元々ドライブで景勝地に行くことは多く、それに単純に簡単な山登りが追加されるだけだと。
しかし、結果としてそこに大きな誤算が生まれます。




本来、運動が嫌いだったはずの嫁が、登山にどハマリしました。
元々山岳部だった私が山を好きなのは当然ですが、歩くことも走ることも嫌いなインドア系の嫁が、まさかそこまで本格的に登山に順応するとは思ってもみませんでしたから。

また、根本的に勘違いしていたのが、ドライブも登山も、家から出るアウトドア系という意味では同じかもしれませんが、その根本は全く別の種類のものだった事です。
一方は車を運転する事が主であり、一方は車は移動と運搬の手段でしかないと言う事。
とかく車の運転という一点に焦点を絞るならば、ドライブとアウトドアはまるで正反対でした。
登山の荷物を積んで、林道のような悪路を分け入っていく事もしばしば。
FDのような車にそのような利用方法を求めるのは無理があります。

これにより、我が家の車の稼働率は圧倒的にデミオに傾倒していく事になりました。




最終的に雪山にまで登るようになったあたりから、生活にも色々と変化が生じてくるようになります。
登山は趣味の域を超え、ライフスタイルと呼んで差し支えないレベルにまで影響を及ぼしました。

それまで、登山はあくまでもドライブや写真の延長線上でしかありませんでした。
今まで 車>写真>登山 だったものが、車=写真<登山 へと推移していきます。


そこまでのライフスタイルの変化がありつつも、FDを変わらず維持し続けてきたのはひとえに私と嫁のFDへの愛着があったからです。
FDはガレージで留守番をする事が増えましたが、それでもこの時点ではFDを手放そうなどと頭の片隅ででも考えた事はありませんでしたから。


しかし2010年12月、状況は一変します。





















2度目の転職


厳密に言えば12月の時点では退職です。
紆余曲折あり、本来ならば即支給されないはずの失業保険でしたが、すぐ翌月より半年間受け取る事が可能となり、私はひと時の休息期間を得ることになります。

しかし、休息期間を得た反面、この時私は結婚後初めてFDを維持する事の負担の多さに直面することになりました。
独身時代は実家住まいですからなんとかなってきた2台維持(最大3台維持)でしたが、結婚後世帯を独立した事で、その負担は段違いとなっていました。
失業保険ですから生活するので精一杯。セカンドカーとして維持していたS14は即座に手放す羽目になり、私の生活の足はリトルカブ(バイク)になりました。

さすがに再就職した際は車が無くて困ってしまったので、最終的には免許を返上した関係で完全に使わなくなった嫁の爺さんのマーチを譲り受けました。
この時は本当にお金が無かったので、今のマーチを譲ってもらった事には心底感謝しています。
つまらん車ですがww








FDが全てだったあの頃と違い、私たちの世界は大きく広がってしまいました。

また同様に、その広がってしまった世界の全てを維持するだけの甲斐性も、資金的余裕も、当時の私には足りていなかったんですね。
誰に迫られたわけでもありません、嫁はそのような事は一言も言いませんでした。しかし現実的な判断で、私は取捨択一をせねばならないと考え始めていました。

どんな理由があるにせよ、それが止むを得ない理由であったにせよ、所帯を持つ一家の主が仕事を辞めるというのはエゴです。
また同様に

FDを維持していくのも私のエゴです。



嗜好性の高い車を手にした事のある人なら誰もが心の中では理解しているでしょう。



現実的に考えて、この車は必要なのか否か。



誰もが頭では理解していますが、直視するわけにはいきません。
現実問題、嗜好性というのは、実用性や経済性とは決して相容れぬものだからです。
趣味なんてものが一銭にもならないどころか家計を圧迫するのは至極当然の事。
そんなことは百も承知で車趣味やってるんです、正直今更それを言うのかよっていう話です。

これが今現在の話ならば…
今の状況と心境であったならば、あるいはFDを維持していく事も可能だったかもしれません。
また、趣味が車のみだったなら…登山や写真といった別の趣味が存在しなければ、私は意地でも車趣味を継続していたかもしれません。
しかし、精神的にも、金銭的にも、失業中で明日の見えない状態だった状況的にも、当時の私に5年後の今現在の私と同じ決断をしろというのも無理な話でしょう。

それに、仮にこのままFDを維持したとして、ガレージの中で埃を被り、思い出したかのように月に数回エンジンをかけてやる事が、果たしてFDにとって幸せな事なのか。
大切に使い倒してくれるオーナーの元で天寿を全うする方が幸せではないのか?

私の考え方は後者です。















こうして、2011年2月。私は嫁と相談し、ある人物に連絡を入れました。


相手は嫁の従兄弟です。
かつて私の結婚式の演出で入場してきたFDを見て一目惚れし、もし手放す時があれば絶対に声をかけてくださいと懇願された相手でした。
まぁ社交辞令もあるでしょう、その言葉を額面どおりに捉えたわけではありませんが、もし万が一私がFDを手放すのであれば、彼に一言伝えてからでなければ礼を失すると思っただけです。
連絡した時の彼の一声は




『売ってください、お願いします』でした。






私的には、『いや、マジでいいのかよww』 と思いましたよ。
だって、決して維持していくのが楽な車じゃない事は、私が一番良く知っているんですから。
リスクも何もかも理解した上での結論ならまだしも、そもそもロータリーの事も何もわからん状態での即決ですから、そりゃ心配にもなります。

でもこの時ふと感じました。

6年前私がFDを買った時も、大して何も考えてなかったっけなぁ…って。
雑誌見て、試乗しに行って、即日契約してきた私が言える事じゃないでしょうwww

ただ純粋にFDに憧れて、ただFDが欲しくて、後先なんて考えずに目を輝かせてたあの頃。
あの頃の自分の面影を彼の中にふと見つけてしまったとき、すーっと腑に落ちました。
私は運命と言うものをそれほど信じているわけじゃありませんが、きっと最期には彼の手に渡る運命だったのでしょう。

2005年冬。FDを買ったあの時、私はラストオーナになるのは自分だと信じて疑っていませんでした。
しかし、どうやらFDの最期を看取るのは私の役目ではなかったのかもしれません。
現実と直面し、夢を見ることが出来なくなった時、私はFDに乗る資格を失ってしまったのかもしれませんね。歳はとりたくないものだなぁと心底思いました。



私の前のオーナーは、FDをことごとく壊してくれました。

それを引き継いだ私は、FDを直して回りました。

そして、彼がFDの最期を見届けてくれるでしょう。




こうして私達の想いと共に、FDは新しいオーナーへと受け継がれていきました。



もしも、仮にもしもがあるとしたら…


もしも、あの時仕事を辞めていなかったら。
もしも、もう少しお金に余裕があったなら。
もしも、他の趣味にかまけていないで車趣味に没頭していたなら。
もしも、車に対する情熱を昔と同じだけ持ち続けていられたなら。
もしも、最後に彼に声をかけていなければ。


この中のどれかひとつでも、もしもが現実になっていなたならば、あるいはFDはまだ私の手元にあったかもしれません。
でも残念ながら、そのもしもは起こりませんでした。
正直、ひとつひとつはそれほど大きな理由ではありません、しかし残念ながら、色々な理由がタイミングよく重なってしまった、ただそれだけの事です。

結論を言ってしまえば、金と情熱を維持できなかった、その一言に尽きます。

至極単純で、でも愛車を手放す最もポピュラーな理由のひとつなんじゃないかと思います。
全く後悔していないかと問われれば、それは嘘になるでしょう。
しかし当時の私の決断を否定する気は一切ありません。
むしろ、よくもまぁこんな大きな決断をしたなぁとすら感じます。


そして今現在…


あの時、FDと共に置いてきてしまった車への情熱が、今再び燻り始めています。
その情熱を、当時FDと共に歩んだこのブログが繋いでくれているのも運命なのかもしれません。

しかし、今の私が求める理想の車の形は、あの当時とは全然違ったものになると思います。
だからといって、当時FDと共に過ごした時間が嘘になるわけではありません。
これからもFDは私の思い出の中で生き続けるし、FDと過ごした6年間が、今の私の車に対する価値観を作ってきたのですから。

長くなりましたが、愛車FDを思い出す機会をいただいて感謝します。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。

最後に、一緒に過ごしたFDの写真をフォトアルバムにまとめました。
写真編集をしながら、ちょっと目頭が熱くなってしまったのは秘密ですww




【16.07.30】 FDとの思い出
Posted at 2016/07/30 17:38:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | FD3S | クルマ
2016年07月28日 イイね!

愛車FD3Sとの出会いと別れ 前編

愛車FD3Sとの出会いと別れ 前編ここ数日の涼しさに、いっそのこと夏を通り越して秋になってくれないかなと願っているみさわ@MAZDAですこんばんわ(-´▽`-)

いや、夏は生まれた季節ですし、山登りにも良い季節なんで嫌いじゃないんですけどね。
ただいかんせん代謝がよすぎるもんで、座っているだけで気持ち悪いくらい汗をかきます('A`)


まぁ余談はそのくらいにしておいて、本題です。




つい先日、7年ぶりにブログを更新したのは皆さんの知るところだと思いますが…
そもそも現在の私のブログを見に来てくださっている読者の皆さんは、ほとんどの方が今回の一連のブログが初めましてになるんじゃないでしょうか?
先日のブログでも触れたとおり、ブログを再開した時点で83名のお友達がいたわけですが、その中でも実際のアクティブユーザーは1割程度です。

つまり、私がFDに乗っていた当時を知る人は、みんカラには



もうほとんどいないんですね(´;ω;`)



まぁ、今現在もリアルで繋がっている方も少なくはないですが、時の流れと共にその数も少なくなってしまっているのは寂しい限りです…






とはいえ、せっかくこうやってブログを再び更新するようになったのですから、先日のブログでも書きましたが、是非いろんな方とも交流していきたいと思っています(-´▽`-)
そうなると、自分のことを知ってもらうのが手っ取り早いですよね♪



ブログ開始10年目にして今更の自己紹介ですσ(´∀`;)



まぁ私個人の趣味やら何やらの自己紹介は置いておいて ■\(・_\)=(/_・)/■
せっかくのみんカラなのですから車の話をしましょうか。
今は手元になくなってしまいましたが

私の元愛車、RX-7 FD3Sの紹介をしようかと思います。
ほんの少し写真を更新しましたので、よかったら見てやってください(-´▽`-)


無論、そんな事しなくても過去のブログを読んでもらえれば大体のことはわかると思いますけど…
こんな長ったらしいブログを一から読んでくれる奇特な方はまぁいないでしょうから、適当に抜粋してまとめてみようかと思います。
いや、そもそもお前の過去になんか興味ねぇよって人が大半だと思いますが、そんな寂しいことを言わずにほんのちょっとだけお付き合いくださいヽ(゚ー゚ )ノ














基本、私にとってのみんカラの歴史は、即ちFD3Sとの歴史になります。

また、私のFDとの歴史は修理の歴史といっても過言ではありません。








2005年2月

当時乗っていたトヨタカレンから乗り換える形でFD3Sを購入しました。
この辺りの経緯は愛車紹介の欄にも簡単に書いてありますが
中古車情報誌を見て、現物を見に行き…



その日に即決してきましたσ(´∀`;)



今考えても無謀な行いをしたものです。
若さゆえですね、今では到底考えられない程にアグレッシヴですww




購入直後の写真ですね(。・_・。)
まぁこの3日後に…





早速右フロントのエアロを傷物にしました(´=ω=`;)


まぁありがちですよね~ww
せっかくなんでリアの画像も貼り付けときます。









しかし、私の車の場合この程度の傷は問題にならないくらいの不良を抱えておりました。
これは購入店とのトラブルになるのですが…



修復暦なしの車を買ったのに
修復が必要なレベルのフレーム損傷を負っていました。



この辺りの経緯はこちらのブログに書いてあります。

当時の法律では、仮にフレーム修復が必要な損傷を負っていたとしても
修復していなければ修復暦なし車両として販売することが可能でした。
極論ですが、天井ひん曲がっていても、当時の法律では直していなければ修復暦なしと表記して販売して問題なかったのです。
無茶苦茶な話ですが、その無茶苦茶がまかり通っていた時代が現にあったということです。
販売店との協議の結果、最終的にはフレーム修正をかけて修理する事になりましたが、残念ながら私も10万ほど追い金を出す形になりました。
まぁ言うなれば、購入と同時に
10万払って修復暦車の仲間入りという凄まじい罰ゲームから私のFD人生は始まったわけです。

これで購入店との縁はすっぱり切れたわけですが、残念ながら購入店の杜撰な仕事の悪影響はこれだけに留まらず、後々思い出したかのように重要な場面で噴出していく事になります。






FD購入からしばらくして自損事故を起こし、さらには鬱病により転職という人生のレアイベントを立て続けに消化するという荒業をやってのけましたww

ちなみに自損事故の原因のひとつが、何故か後輪に純正タイヤよりもさらに細いタイヤを履いていたという謎仕様によるものだった事が判明。
まぁ当然購入店舗の作業によるものでしたが、事故るまで気づかない自分も悪いですね('A`)


その後転職を機に、吹っ切れたようにまずは外装チューンを行いました。
前職で貯めた雀の涙の貯金を使いきり、それでも足りなかったので親から借金しての大改装です。








戦闘機みたいなフォルムになりましたね。
外装に関してはほぼこれが最終仕様になります。

ここからみん友とオフ会で交流したりしつつ、車を弄れるみん友の影響も受けながら、徐々に車弄りにも傾倒していきました。






2007年4月


当時のみん友のアドバイスで、パワーFCの中古を安く購入することができたのをきっかけに、ロータリーチューンの老舗、ナイトスポーツさんでセッティングをしてもらう事になります。
当初はパワーFCによるブーストアップと、それに伴うセッティングの現車合わせのみお願いするつもりでナイトスポーツへ行ったのですが…


そこでとんでもない事になりました(゚Д゚;)


ちなみに、FDはシーケンシャルツインターボです。
簡単に説明すると、FD3Sのターボブーストは低回転域ではプライマリータービンのみで加給を行い、一定回転数以降はセカンダリータービンも回すという仕様になっています。
しかし私のFD3Sは



セカンダリータービンが回っておりませんでした(;Д)゚゚




その当時のブログはこちら。


一言で言いますと、デチューンFDに乗っていたようなものです(;´Д`)


さらにこの過程で、オイルパイプの破損、オイルパンの破損、アクチュエーターの破損等々…
破損箇所はこちらのブログにまとめてあります。
セカンダリーが回ったと思ったら、今度はプライマリーが止まるという不具合
こちらの原因は、購入した店が施工した追加メーターの電源を取って来る場所がまずかったらしく、結果ソレノイドバルブが電圧不良を起こしていた模様。

この時の修理箇所の大半は、購入前の事故によって発生していたであろうダメージを修理せずに放置した結果起きたものでした。ろくに整備もせずに売ったということですね。
あるいは専門のナイトスポーツさんでも判明するのに半月以上かかったトラブルですから、そもそも専門外の店のレベルでは技術的にどうにもならなかったのかもしれません。
さらには、整備中の作業ミスによって引き起こされたであろうトラブルもちらほら。
購入時の修復暦騒ぎに端を発する購入店からのトラブルが、ここに来て再び再燃しようとは夢にも思っていませんでした(-A-)

しかし、いかにFDは専門外とは言っても、仮にもレース車両も取り扱っているチューニングショップで購入した車両にしては、あまりにお粗末だったと言わざるを得ませんね。
看板や肩書きというのは額面どおり信用してはいけないという貴重な教訓を得た出来事でした。
また、購入した店の店長が、事あるごとに 『完璧』 を強調していたのを良く覚えていますが、必要以上に 『完璧』 を口にする人間は信用ならんという事も学びましたねww
完璧に整備してお届けされた車両がこのザマですし、完璧にフレーム修正しますと言った割には歪みが残りました。何一つ完璧な仕事をしないお店でしたね( ゚Д゚)



ちなみに、この段階で既に修理代のみで40万ほどかかっております(;゚Д゚)


この時点で、タービン、ホース類、配管類を全てバラした状態の私のFDです。
既に一度バラした時点で工賃は発生して請求されていますので、以後仮に今回の作業範囲内でチューニングパーツを取り付ける場合、脱着工賃は重複して発生しません。
そのまま純正パーツに戻そうが、チューニングパーツを取り付けようが、結局支払う脱着工賃は一緒と言うわけです(;´Д`)

そう言われたら付けなきゃ損じゃないですか…、もうあとはどうにでもなれでしたね。


合計80万弱払ってフルチューンすることにしましたw


せっかく払い終わったのに、借金追加です('A`)
この時装着した装備に関してはこちらのブログから。

この時の教訓は私に下調べの重要性を嫌と言うほど刻み付けました。
これ以降、買い物をする際は神経質なほどに事前に下調べをしてから購入するようになりました。
まぁしかし衝動買いが悪いとは言いませんよ。
結果から言えば、衝動買いしたおかげで、私は私の愛車に出会うことができたわけですから(。・_・。)
若いうちは冒険してもいいのかもしれませんね。

20代の失敗や挫折は、後々笑い話や良い経験として自分の人生を豊かにしてくれます(-▽-)






2008年3月23日


人生の一大イベント、みさわ&ゆっきーの結婚式でした( *´艸`)




最大の見せ場は式場にFDを乗り入れたこと。
会場に設置していたわけではありません、入場の演出として乗り入れをしました(*´∀`*)
こういう演出の出来る式場は全国的にも決して多くないと思いますし、その数少ない式場が非常に近場にあったというのが幸運でしたね(*^ー`)b
仲間内では今でも語り草ですww

ちなみにこの時結婚式に招待した嫁の従兄弟が、私のFDに並々ならぬ憧れを抱きました。
この出来事が後々私と私のFDに大きな変化をもたらしますが、それはまた後編にて。





こうして紆余曲折ありましたが、私の人生の安定と共に、FDもようやく平穏を手に入れました。

触媒に穴が空いたり、神奈川のみん友の家でアラゴスタ装着オフをした帰りに警察に捕まったり
細かい事を挙げれば多少のトラブルはありましたが、概ね平和な毎日だったと思います。

こうして私のブログは7年間の眠りに就くことになりました。
長くなりましたが、ここまでが私がみんカラを始めてから休止に至るまでの大まかな流れです。




こうして振り返ってみると、上に書いたトラブルの大半は、FDを所有していた6年間のうちたったの

2年間の出来事です。

信じられない話ですが、非常に濃密な時間をみんカラとFDと共に過ごしてきました。
トラブルに見舞われること幾多。細かいトラブルやブログの小ネタは数知れず。
当時のみん友からは 『呪われている』 だの、『ネタの神が降りている』 だの好き放題言われたものですが、確かにそういわれても仕方ないレベルのトラブル満載の車でした。

そんな車でしたが大好きでしたし、降りる気など当時の私はさらさらありませんでした。
当時の私に、FDが手元にない今の現状を話したとして、おそらく信じてはもらえないでしょう。
それほど愛着がありましたし、廃車になるまで乗るつもりでしたから…



ここからはみん友の皆さんも知らない、私がFDを手放すまでの顛末になります。




愛車FD3Sとの出会いと別れ 後編へ続く
Posted at 2016/07/28 15:23:14 | コメント(3) | トラックバック(0) | FD3S | クルマ
2009年07月27日 イイね!

ナイトスポーツに行ってまいりました(*´∀`*)

ナイトスポーツに行ってまいりました(*´∀`*)およそ2年前…

REケアを受けるためにナイトスポーツへ行ったものの
セカンダリーが回っていない事が判明し、その日のオフはおろか、自宅に自分のFDで自走して帰る事ができなかった…

いわば俺にとっては鬼門と言えるナイトスポーツに、先週末土曜日に行ってまいりましたみさわ@FD3Sですこんばんわ


というわけで、前回は実に散々だったわけですが…

今回もナイトさんには前回同様REケアをお願いしました(-▽-)
逆に前回の修理で、ナイトさんには悪いところのほとんどを潰していただいたので、今回はそれほど心配はしていませんでした。
今回俺が懸念していたのはおおむね2点



■圧縮

■ノック




前回のチューニングでブーストアップした関係上、どの程度まで圧縮が低下したのかがまず1点。
もうひとつは時々不規則なタイミングで発生するノッキング…
ノックレベル100を超えるノックが発生していることがしばしばあり、これも気になっていました。



とりあえず結果ですが…




まず、下回りエンジン回り。



■アルミメンバーB(触媒を固定しているメンバー)のフロアの付け根のはがれ

■燃料タンクへこみ

■ミッションのシフトベース付近よりオイルmore



上記二点は前回の時点で発覚している箇所で、俺が意図的に放置している箇所なので問題なし。
ミッションは、前回整備オフにてミッション周りを弄ったため、作業中に付着したオイルだろうという結論なのでこれも特に問題はなし。

というわけで、とりあえず外見上問題がある場所は以上。
いずれも俺が黙認している箇所なので、その後これといって異常は増えていないようです(-▽-)










さて、それでは問題のエンジンコンプレッション…





















F側 【7.4】 【7.6】 【7.5】  三室平均 【7.5】

R側 【7.6】 【7.5】 【7.4】  三室平均 【7.5】


三室差 Fr【0.2】 Rr【0.2】  前後差 【0】























だいぶ落ちたなオイ(;´Д`)







前回がこちら


今回の整備手帳にも書きましたが…

ブースト0.9かけていた点を考慮に入れても圧縮低下は著しいですね('A`)
フロントに関してはおよそ1.0近く低下している。

リア側の3室差が0.2まで狭まった点、リアとフロントの前後差が0.6から0まで狭まった点は前回よりも良好なのですが…

しかし9年、およそ94000kmならば圧縮はこのくらいで適正かもしれませんねσ(´∀`;)
このペースであればなんとか100000kmは突破できそうですし。






その他、走行チェックで引っかかった点が何点か…


■水温が高い

■ノック高い



水温に関してはサーモがへたっている可能性、あるいは水路自体が徐々に詰まってきているのかもしれないという可能性が考えられますね…
前者ならいいのですが、後者だと洗浄してみてあとは運任せしかないですね(´・ω・`)
とりあえずサーモを交換し、クーラント交換及び洗浄を試す事にします。

ノックが高い点については、MDIが関与している可能性があるとのこと…
ナイトさんの経験上、MDIはコイルの寿命を縮める(コイルがパンクしている車両のほとんどにMDIが装着されているらしい)とのこと…
MDIは装着して約2年になりますから、MDIを装着した事で、コイル自体がヘタってきてしまった可能性があるかもしれません…
万が一コイルがパンクすればエンジンもただでは済みませんから、とりあえずMDIを外し、純正回路に回帰しておきましたσ(´∀`;)

まさかノック防止に取り付けていたMDIが逆にノックを生み出す要因を内包しているとは…
事実MDIを取り外してからは、ブースト0.9で走っても最大ノックで43…
やはりこれが原因だったのだろうか(;´Д`)












以上を踏まえた上で、今後の方針としては



■ブースト0.75まで下げる

■ノックレベルの随時観察



上記を念頭に置き、今後はまさに維持に没頭しようと思います(ノ∀`*)

エンジン終焉の足音が徐々に聞こえてまいりました…
しかしながら、ここはなんとか瀬戸際で踏みとどまり、目指すは





あと4年!130000km!!





もたせられるか…いや、もたせたい(;゚∀゚)



Posted at 2009/07/27 19:31:07 | コメント(14) | トラックバック(0) | FD3S | 日記
2009年07月08日 イイね!

魅沢君のRX-7(。・_・。)

魅沢君のRX-7(。・_・。)魅沢@くまさんこと、みさわ@FD3Sですこんばんわ(-∀-)



誰やねんって話ですがww

魅沢@くまさんは俺のmixiのHNですww
まぁどうでもいい話ですが( ゚Д゚)



そんなわけで先日
mixi友であり俺ら夫婦の小学校からの同級生が息子を連れ我が家に遊びにやってきておりました。
ちょうど排気moreを起こす2日ほど前ですね(;゚∀゚)

この日は地元にいる同級生数人と彼女らと俺らで晩飯を食べる約束だったのですが…
翌日は某氏の家に誕生日プレゼントを届ける予定だったので非常にドタバタしておりました。



晩飯を食べ、温泉に行き、翌日の準備のため俺の実家までFDを取りに行ったんですが、肝心のFDにガソリン入れるの忘れていたのに気づきまして…
まぁ独りでガソリン入れに行ってもよかったんですが…それもそれで寂しいので、友人の息子、海人って言うんですが、彼を助手席に乗せて行くことにしましたwww

母親である友人曰く、海人はクルマにあんまり興味ないらしい…
現にこの時点ではナナハンのバイクに乗るんだとバイクに興味津々だとのこと。














ふ~ん…




















俄然クルマに興味持たせたくなってきた俺w

















そんなわけで幼稚園児横に乗っけてお約束の


FDフル加速wwww


ここんところ保全のためにブーストは0.75に抑えていたんですが…
この日ばかりは久しぶりの0.9開放(・∀・)

この加速Gでシートに張り付く感じがたまりませんなぁ…
あ、安全のため一応法廷速度+αの範囲でしたよ?念のためwww

ちなみに久しぶりのフル加速だったからかどうかわからんけど、ノック出ましたけどねww


















どうだぁ!っとばかりに助手席覗いてみましたら…





意外と平然としていらっしゃる(;´Д`)



スピード不感症ですか君は(´=ω=`;)
俺でも初めてFDの助手席でセカンダリー加速味わった時は恐怖を覚えたんだけどな…
やはりクルマに興味が無いという話は本当であったか('A`)

というわけで軽く意気消沈しつつ、俺は翌日横浜だったのでその日に彼らとはバイバイしました。

























そして後日…






















海人にFDブーム到来www




連日連夜、魅沢君のクルマ、魅沢君のクルマと連呼しておるようです(ノ∀`*)
良し良しwww
しかし『魅沢君のクルマ』で覚えちゃっても困るんで、スカイプのチャットでちゃんと

えふでぃーさんえす あーるえっくすせぶん

って教えておきましたよww




エコなご時世ですから、今後徐々に市場からスポーツカーが減っていくのは目に見えてます。
この子らの世代が成人する頃にはスポーツカーに興味をもつ若者も減っているんでしょうかね?
それ以前にクルマに興味を持たなくなっているかもしれませんね…

寂しい事です…

クルマと接する事で、小さいうちから少しでもクルマに興味を持ってもらおうと始まった今回のFD試乗作戦でしたが…




どうやら大成功だったようですね(-´▽`-)























あ、でもごめん海人…君が成人する頃には






















きっとFDは入手困難だから(;゚∀゚)



Posted at 2009/07/08 20:56:05 | コメント(11) | トラックバック(0) | FD3S | 日記

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