出会い、それは我々の人生を豊かにしてくれる、掛け替えのない大切なもの。
我々は日々出会う。
時には人と、ある時は物と。形は違えど、その一つ一つが大切な宝物。
しかし、出会いの数だけ別れもある。
別れとは誰にも平等に、そして必ず訪れる瞬間である。
それがどのような形であれ…
愛車との別れ
皆さんにも経験はありますか?
まだ若い人には愛車を手放す経験をしたことがない方もいるかもしれません。しかし私のように免許を取って十余年、三十路も半ばになりますと、決して避けては通れない道でもあります。
故障、事故、経済的な理由、ライフスタイルの変化、家族が増えた等々…
人それぞれ理由は違うと思いますが、愛車と別れる瞬間と言うのは何度経験しても決して慣れるものではありませんね。
それが、思い出のいっぱい詰まった愛車であれば尚更です。
ブログの更新が止まった頃、時を同じくして私たちは新しい趣味を始めました。
それは
お久しぶりですのブログでも書きましたが、
山登り。
元々私が高校時代山岳部だった事。
歳を重ねるごとに体力低下を徐々に実感していた事。
そんな折、たまたま友達から富士登山をやらないかと誘われた事
(結局未だに行ってませんがw)
色々な理由がタイミングよく重なり、車とはまた違ったアウトドアな趣味を手にすることになります。
当初は車趣味の、ドライブの延長線上程度のつもりでした。
元々ドライブで景勝地に行くことは多く、それに単純に簡単な山登りが追加されるだけだと。
しかし、結果としてそこに大きな誤算が生まれます。
本来、運動が嫌いだったはずの嫁が、登山にどハマリしました。
元々山岳部だった私が山を好きなのは当然ですが、歩くことも走ることも嫌いなインドア系の嫁が、まさかそこまで本格的に登山に順応するとは思ってもみませんでしたから。
また、根本的に勘違いしていたのが、ドライブも登山も、家から出るアウトドア系という意味では同じかもしれませんが、その根本は全く別の種類のものだった事です。
一方は車を運転する事が主であり、一方は車は移動と運搬の手段でしかないと言う事。
とかく車の運転という一点に焦点を絞るならば、ドライブとアウトドアはまるで正反対でした。
登山の荷物を積んで、林道のような悪路を分け入っていく事もしばしば。
FDのような車にそのような利用方法を求めるのは無理があります。
これにより、我が家の車の稼働率は圧倒的にデミオに傾倒していく事になりました。
最終的に雪山にまで登るようになったあたりから、生活にも色々と変化が生じてくるようになります。
登山は趣味の域を超え、ライフスタイルと呼んで差し支えないレベルにまで影響を及ぼしました。
それまで、登山はあくまでもドライブや写真の延長線上でしかありませんでした。
今まで
車>写真>登山 だったものが、
車=写真<登山 へと推移していきます。
そこまでのライフスタイルの変化がありつつも、FDを変わらず維持し続けてきたのはひとえに私と嫁のFDへの愛着があったからです。
FDはガレージで留守番をする事が増えましたが、それでもこの時点ではFDを手放そうなどと頭の片隅ででも考えた事はありませんでしたから。
しかし2010年12月、状況は一変します。
2度目の転職
厳密に言えば12月の時点では退職です。
紆余曲折あり、本来ならば即支給されないはずの失業保険でしたが、すぐ翌月より半年間受け取る事が可能となり、私はひと時の休息期間を得ることになります。
しかし、休息期間を得た反面、この時私は結婚後初めて
FDを維持する事の負担の多さに直面することになりました。
独身時代は実家住まいですからなんとかなってきた2台維持(最大3台維持)でしたが、結婚後世帯を独立した事で、その負担は段違いとなっていました。
失業保険ですから生活するので精一杯。セカンドカーとして維持していたS14は即座に手放す羽目になり、私の生活の足はリトルカブ(バイク)になりました。
さすがに再就職した際は車が無くて困ってしまったので、最終的には免許を返上した関係で完全に使わなくなった嫁の爺さんのマーチを譲り受けました。
この時は本当にお金が無かったので、今のマーチを譲ってもらった事には心底感謝しています。
つまらん車ですがww
FDが全てだったあの頃と違い、私たちの世界は大きく広がってしまいました。
また同様に、その広がってしまった世界の全てを維持するだけの甲斐性も、資金的余裕も、当時の私には足りていなかったんですね。
誰に迫られたわけでもありません、嫁はそのような事は一言も言いませんでした。しかし現実的な判断で、私は取捨択一をせねばならないと考え始めていました。
どんな理由があるにせよ、それが止むを得ない理由であったにせよ、所帯を持つ一家の主が仕事を辞めるというのはエゴです。
また同様に
FDを維持していくのも私のエゴです。
嗜好性の高い車を手にした事のある人なら誰もが心の中では理解しているでしょう。
現実的に考えて、この車は必要なのか否か。
誰もが頭では理解していますが、直視するわけにはいきません。
現実問題、嗜好性というのは、実用性や経済性とは決して相容れぬものだからです。
趣味なんてものが一銭にもならないどころか家計を圧迫するのは至極当然の事。
そんなことは百も承知で車趣味やってるんです、正直今更それを言うのかよっていう話です。
これが今現在の話ならば…
今の状況と心境であったならば、あるいはFDを維持していく事も可能だったかもしれません。
また、趣味が車のみだったなら…登山や写真といった別の趣味が存在しなければ、私は意地でも車趣味を継続していたかもしれません。
しかし、精神的にも、金銭的にも、失業中で明日の見えない状態だった状況的にも、当時の私に5年後の今現在の私と同じ決断をしろというのも無理な話でしょう。
それに、仮にこのままFDを維持したとして、ガレージの中で埃を被り、思い出したかのように月に数回エンジンをかけてやる事が、果たしてFDにとって幸せな事なのか。
大切に使い倒してくれるオーナーの元で天寿を全うする方が幸せではないのか?
私の考え方は後者です。
こうして、2011年2月。私は嫁と相談し、ある人物に連絡を入れました。
相手は嫁の従兄弟です。
かつて私の結婚式の演出で入場してきたFDを見て一目惚れし、もし手放す時があれば絶対に声をかけてくださいと懇願された相手でした。
まぁ社交辞令もあるでしょう、その言葉を額面どおりに捉えたわけではありませんが、もし万が一私がFDを手放すのであれば、彼に一言伝えてからでなければ礼を失すると思っただけです。
連絡した時の彼の一声は
『売ってください、お願いします』でした。
私的には、
『いや、マジでいいのかよww』 と思いましたよ。
だって、決して維持していくのが楽な車じゃない事は、私が一番良く知っているんですから。
リスクも何もかも理解した上での結論ならまだしも、そもそもロータリーの事も何もわからん状態での即決ですから、そりゃ心配にもなります。
でもこの時ふと感じました。
6年前私がFDを買った時も、大して何も考えてなかったっけなぁ…って。
雑誌見て、試乗しに行って、即日契約してきた私が言える事じゃないでしょうwww
ただ純粋にFDに憧れて、ただFDが欲しくて、後先なんて考えずに目を輝かせてたあの頃。
あの頃の自分の面影を彼の中にふと見つけてしまったとき、すーっと腑に落ちました。
私は運命と言うものをそれほど信じているわけじゃありませんが、きっと最期には彼の手に渡る運命だったのでしょう。
2005年冬。FDを買ったあの時、私はラストオーナになるのは自分だと信じて疑っていませんでした。
しかし、どうやらFDの最期を看取るのは私の役目ではなかったのかもしれません。
現実と直面し、夢を見ることが出来なくなった時、私はFDに乗る資格を失ってしまったのかもしれませんね。歳はとりたくないものだなぁと心底思いました。
私の前のオーナーは、
FDをことごとく壊してくれました。
それを引き継いだ私は、
FDを直して回りました。
そして、彼が
FDの最期を見届けてくれるでしょう。
こうして私達の想いと共に、FDは新しいオーナーへと受け継がれていきました。
もしも、仮にもしもがあるとしたら…
もしも、あの時仕事を辞めていなかったら。
もしも、もう少しお金に余裕があったなら。
もしも、他の趣味にかまけていないで車趣味に没頭していたなら。
もしも、車に対する情熱を昔と同じだけ持ち続けていられたなら。
もしも、最後に彼に声をかけていなければ。
この中のどれかひとつでも、もしもが現実になっていなたならば、あるいはFDはまだ私の手元にあったかもしれません。
でも残念ながら、そのもしもは起こりませんでした。
正直、ひとつひとつはそれほど大きな理由ではありません、しかし残念ながら、色々な理由がタイミングよく重なってしまった、ただそれだけの事です。
結論を言ってしまえば、
金と情熱を維持できなかった、その一言に尽きます。
至極単純で、でも愛車を手放す最もポピュラーな理由のひとつなんじゃないかと思います。
全く後悔していないかと問われれば、それは嘘になるでしょう。
しかし当時の私の決断を否定する気は一切ありません。
むしろ、よくもまぁこんな大きな決断をしたなぁとすら感じます。
そして今現在…
あの時、FDと共に置いてきてしまった車への情熱が、今再び燻り始めています。
その情熱を、当時FDと共に歩んだこのブログが繋いでくれているのも運命なのかもしれません。
しかし、今の私が求める理想の車の形は、あの当時とは全然違ったものになると思います。
だからといって、当時FDと共に過ごした時間が嘘になるわけではありません。
これからもFDは私の思い出の中で生き続けるし、FDと過ごした6年間が、今の私の車に対する価値観を作ってきたのですから。
長くなりましたが、愛車FDを思い出す機会をいただいて感謝します。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
最後に、一緒に過ごしたFDの写真をフォトアルバムにまとめました。
写真編集をしながら、ちょっと目頭が熱くなってしまったのは秘密ですww
【16.07.30】 FDとの思い出