
「次は軽だよなぁ」が暫く口癖だったみさわ@22XDですこんにちは(-▽-)
前回のブログで触れた通り、実際にアクセラを買ってからは「次デミオを買い替えるなら軽自動車で」は嫁と私の共通認識でした。
アクセラ22XDという最上級グレードを買った以上、それは当然でしょうし、理性的な判断とも言えます。
ではなぜこうなったか?
ロードスターへの軌跡その2です。
私の話をする前に…
趣味というものについてひとつだけお話をさせていただきたいと思います。
私個人の過去の経験上、多くの趣味というのは大体3~5年くらいで一旦区切りを迎えるケースが多いように思います。
皆さんも何となくそんな経験ありませんか?
なぜこのようなことが起こるか?答えはシンプル
趣味はライフスタイルと表裏一体
だからです。
趣味というのは往々にして、その時々の自分の価値観や置かれている環境などに左右されるものです。
生まれてから死ぬまでの間、ひたすら1つの趣味だけを追求して生きていく人というのは決して多くないでしょう。よしんばいたとしてそれはもう趣味という生ぬるいレベルを超越した領域なので完全に別枠ですw
5年と言えば、望む望まざるにかかわらず生活環境や価値観といったライフスタイルに変化を及ぼすには十分な年月になります。
とかくクルマ趣味に限定した場合、その傾向はより顕著です。
なぜならば多くの方にとって
クルマは日常生活の根幹にかかわる道具である
ということ。
都市部にお住いの方ならばともかく、私のように田舎に住む人間にとってクルマはなくてはならない生活必需品です。
これはつまり車は他の趣味に比べて、よりライフスタイルと密接な関係にあることを意味し、衣食住の次くらいには生活様式の影響を受けるという事です。
単純な話、車趣味は生活環境の変化に非常に弱いんです。
就職したので乗り換える
恋人と付き合い始めたので乗り換える
引っ越したので乗り換える
転職したので乗り換える
経済的な理由で乗り換える
結婚したので乗り換える
子供が生まれたので乗り換える
家を建てたので乗り換える
子供が自立したので乗り換える
介護が必要になり乗り換える
ざっと想像するだけでもこれだけの人生の変化が、10年ないし5年というスパンの間に複数起こりえます。
これら人生の岐路それぞれに最適な車というのは全て異なり、人によっても全く正解が異なるでしょう。
ライフスタイルの壁を乗り越えられるかは、もはや本人の意志だけではどうにもならず、自分を取り巻く環境がどうであるかにかかってきます。
逆に言えば
今後どんな環境で生きていきたいかがクルマ選びには非常に重要である
とも言えるわけです。
そのあたりを念頭に置いてもらいつつ、私の話をさせていただきたいと思います。
『この秋、子供が生まれるんですよ』
私がデミオの次の愛車候補をあーでもないこーでもないと悩んでいる最中、そんな話をしてきたのは私の会社の同僚で、同年代の男性でした。
彼は私の2個上で42歳、奥様も同い年ということで42歳の初産。
おめでとうと思う反面『結構ハイリスクな選択をしたな』と思ったのは秘密です。
この何でもない会話が、私の中にひとつの疑問を投げかけました。
『私たちはどう生きていきたいのか?』
私たち夫婦には子供がいません。
正直子供が欲しいと思った時期がなかったわけではありません。
それと同時に転職やうつ病などを経験するうち、子供が持てないと諦めた時期が非常に長かったのは事実です。
結婚してしばらくは、家族や親戚、友人や会社の同僚などから「子供はいつ?」なんて聞かれもしましたが、5年もすればそれらの話題は私たちが望む望まざるに関わらず一種のタブーになりました。
私たちは気にしませんでしたが、逆に気を使わせて申し訳ないと思う日々でした。
実際収入が安定せず、経済的な理由から厳しい時期もありました。
FDを手放したのは子供が生まれても経済的に困らないようにする為。
それらを乗り越え、生活が安定した頃には出産適齢期はとうに過ぎ去っていました。
デミオを最後まで手元に残したのは他の所有車よりも実用的だったから。
デミオを乗り換える時は、子供が生まれてもっと便利な車が必要になった時。
漠然とそんな思いを抱きながら、私たちはこれまでの車と接してきましたが、やがて私たちの間でも「子供どうする?」という問いは、暗黙の了解として触れず触れられずに時だけが過ぎていきました。
しかし今回、私よりも年上の同僚に子供が生まれるという話を聞いた時…
それがまだ選択肢として残っているんだと気づくと同時に、これまで頭の片隅にこびりついて離れなかったその問題にケリをつける時が来たと思いました。
そして逆に、これが最後の決断のタイミングなんだとも思いました。
それが先ほどの問い
『私たちはどう生きていきたいのか?』
でした。
私が過去に書いたブログ
私が22XDを選んだ理由は ?(゚ー゚ )? その2
の中にこんな一文があります
昔から公言してるんですが、私は老後オープンカー乗りますよ。
まぁ、老後と言える年齢まで生きていればの話ですがねw
これといった老後のビジョンというものがほとんど無い私の中で、唯一漠然と昔から心に抱いている数少ない夢のうちの一つですね。
何故オープンカーなのかといえば、開放感が大好きだから。
私の中でオープンカーとは数少ない夢のカタチのひとつです。
FDを降りる時も、アクセラを選んだ時も、私はずっと『老後はオープンカーに乗る』と言い続けてきました。
ひとことに『老後』と言っても定義は様々あるかと思いますが、私の中での老後とは『子供が成人した後』と認識しています。
そう…
居もしない子供が人生の大事な夢の物差しになっているんです。
心から子供が欲しいと願うならばそれを指標にするのも良いでしょう。
もし願いが叶わなかったとしても、またその時人生設計を考え直せば良いのです。
一方で極端な話、子供を望まず夫婦二人で生きていくならば、老後などと悠長な事を言わずとも、今この瞬間私たちはロードスターを買ってしまっても構わないのです。
夫婦二人だけなら、多少の経済的厳しさと、若干の利便性に目を瞑りさえすればアクセラとロードスターの組み合わせでも何とかなります。
私が軽自動車に買い替えようと思った理由は、それが最も無難だったからです。
どんな人生に転んだにせよ、軽自動車ならば対応できるから。
逆に言えば、その車を買った後
どう生きていくか真剣に考えていなかった
という事です。
その車を選ぶことが、どんな人生を体現するのか?
体現すべき人生のビジョンが曖昧ならば、選ぶ車が無難なものになるのは道理です。
そう思った時私は、どんな道を選ぶにせよ、向き合うこともせず、目を背けたまま、車選びという人生の大事な選択肢を決めてしまうのは歪なことだと思いました。
だから、最も大事なことを決めることにしたんです。
『子供を望むか』
『夫婦二人で生きていくか』
それを決めてから車選びを始めよう、それが今年の6月の出来事でした。
このような内容のブログをアップするに至った理由は二つあります。
①私たちにとってそれほど深刻な問題ではないから
内容が内容なだけに、どうしても深刻に捉えられてしまうのは仕方ありません。
私たちが何と言おうと、優しい方は心を痛めてくださるし、心無い方は裏であることない事吹いて回るのが日常茶飯事でした。
不思議なことに、こういったデリケートな問題に関しては、本人たちの語る真実よりも周りの人間がどう思ったかが重要視されるようです。
まぁ私たちのような人ばかりではなく、深刻な方もおられるでしょうし、傷ついている方もおられるでしょうから一定の配慮をするのは人として正しい事だと思います。
ただ私たちにとっては、これまで漠然としていた人生設計図が今回明瞭明確になった…くらいの感覚です。
というかそこまで深刻ならば、ブログのネタにするなどもっての外ですから、黙して語らず墓場まで持っていくでしょう。
②既に公になっているから
そしてこれが今回のブログの着地点であり、壮大なオチです。
実はこれらの内容、某所にて既に公になっており、隠し立てする必要がないからです。
某所とは
コチラ
上記企画の詳細説明は
コチラ
決して怪しいサイトではないので飛んでみてください。
今回のロードスターにまつわる事の顛末がそこに記されています。
かくして、私たちの描いた夢は形を変えたものの、20年近くも前倒しで私たちの目の前で現実のものとなりました。
そして喜びの余韻に浸ることができたのもつかの間、私たちの想像をはるかに超えた急ピッチで事は進んでいくことになります。
ロードスターへの軌跡 その3【検討】へ続く