FDとの懐かしい思い出にひたっている、みさわ@MAZDAですこんばんわ(。・_・。)ノ
ブログというものは備忘録としても便利ですね!
確かにこれは毎日更新していれば日記の代わりになるでしょう。
そういう意味では写真も便利ですね。
当時のフィルムカメラのように、煩雑でもなく、現像代がかかるでもなし。
データとしてパソコンの中に入れておけば、まぁ場所もとらなくて快適快適。
ただ、
データ飛ぶ時は一瞬ですね(;´Д`)
話が逸れました、それでは本題に戻りましょうか。
今回
【前編】 【後編】 と2回にわたって書いてまいりましたFDの回顧録ですが…
実は番外編と言うべき
話の続きがあります。
前回までのブログと違い、FDを手放すにあたり直接関係のある話ではありません。
しかし、これはその後の私の車に対する価値観に、少なからず影響を及ぼした事柄と言えます。
事件…と言っては大げさになりますが、この出来事をきっかけに、私は車の在り方について考えさせられる結果になりました。
話は2011年4月、後編でも触れましたが、嫁の従兄弟にFDを引き継ぐ直前に遡ります。
嫁の従兄弟にFDを譲るのが確定した1ヵ月後…
書類も一通り揃い、あとは引渡しを待つのみとなっていた3月下旬。
私達はFDとの最後の思い出にと、三重県の伊勢路、熊野古道へ行きました。
まぁ場所に関しては特に縁があるわけではなく、単純に元々旅行に行く予定だった熊野古道に、FDで行くように予定変更しただけですね。
全然関係ない余談ですが、昔駅のポスターで以下のようなイラストを目にした事があり、クマ好き夫婦としては一度は行っておかないといけないと思っていた次第です。
イラストはよそのブログから拝借しましたm(__)m
熊野古道は凄く良い所で、また是非とも行きたいと思っていますが、今回のブログとはほぼ関係ないので、簡単に写真だけ貼っておきますね。
さて、数日後にFD引渡しを控えていた関係上、この時は必要以上に
安全運転の旅となりました。
あまり褒められた話じゃありませんが、正直それまではまぁ下道だろうが高速だろうが、あまり大っぴらには書けない速度で走り回っていたわけですが(;゚Д゚)
さすがに引き渡し直前に事故るわけにはいきませんからね、安全第一です。
そんなこんなで、私がFDを買ってから6年。
こんな穏やかな気持ちでFDを運転したのは初めてだと言ってもいいかもしれません。
この2日間に限って言えば、ほとんどブーストをセカンダリーに入れることもなく、ある意味エコ運転に終始していました。
実際後で給油したらリッター10ほど走っていた記憶があります。
FDのようにハイスペックな車のポテンシャルをほぼ使わずに走る。
最後の別れの旅路にしては何とも大人しい2日間だったと思います。
しかしそんな別れもいいじゃない、これでFDとの楽しかった思い出を、有終の美で締めくくる事が出来る。私はそう思っていました。
あの瞬間まではね
正確な場所は覚えていません。
記憶が確かであれば熊野から尾鷲へ北上する、国道42号線だったと思います。
私の前をトラックが走っていました。まぁ速度50キロといったところでしょうか。
普段なら問答無用で追越をかけますが、前述したとおりこの日は安全運転モードの私です。
大人しく30分近く、適度な車間をあけながらトラックの後ろをダラダラ走っておりました。
峠道のような上り坂を終え、ふと前車のトラックがハザードを出して左に寄りました。
まぁそうなれば追い越しかけますね。
譲ってくれてありがとう、とハザードを炊いて追い越しをかけたその時です。
目の前で青い服の男が赤い旗を振っています
( ゚Д゚)<????
理解するのに数秒時間がかかりました。
数秒時間がかかりましたが、理解してから猛烈に思いました。
何してくれちゃってんのマジで(;゚Д゚)
いや、ホントに何してくれちゃってんのマジで。
譲ったよね?トラック譲ったよね今?え、俺抜いたらマズかったわけ??
いや、そもそもこれトラックにハメられてね??ネズミ捕見えてたよね?トラックお前見えてたよね?
え~?俺煽ってないよね?トラックいらつかせるほど煽ってないよね~?
え~?何これ、何なのこの仕打ち。よりによって今日このタイミングで来るわけ???
いや、キッツイわ~、マジキッツイわ~それ(;´Д`)
以上、当時の心の中を忠実に再現しております。まさにこんな心境でした。
信じられない話です。
2日間本当に、過去かつてないほどの安全運転をしていた2日間です。
これは私の運転キャリアの中でも、
免許を取得する卒業試験の時以来の安全運転でした。
それが、たった一瞬で
1点15000円の罰金に生まれ変わりました。
今でこそ笑い話ですが、その当時の心境は推して知るべしです。
そりゃわかっていました、ちょっと踏めばこのくらいは出る車である事は。
だがしかし、この状況で捕まえるのはいくらなんでも理不尽じゃありませんか?
食って掛かろうかと思いましたがどうせ覆りはしないでしょうし、FDとの最後の別れの思い出を、そのような醜い言い争いで埋め尽くすのもどうかと思いました。
こうして、私とFDとの最後の別れの旅行は最悪の形で幕を閉じたのです。
この出来事が、私の中に落とした影は暗く、また根深いものでした。
これが別れの旅でなければここまで私に暗い影を落とす事は無かったのかもしれません。
しかし残念な事に、そうではなかった。
最も美しくあるべき記憶の最後のページに墨をぶちまけられた、そんな気持ちでした。
無論、運転していた以上、いかなる行為も違反も私の責任です。
しかしこのような理不尽を自己消化できるほど、私は人間できていません。
この時です。私が今までの価値観を根本から覆す思いを抱く事になったのは。
公道で使い切れないパワーに価値はあるのか?
はっきり言って、これを言ってはお仕舞いです。
それこそ今まで私がFDと共に築き上げてきた歴史の全てを否定する事になります。
しかし、残念ながら趣味の車を持つ上で最も到達してはならない結論に、私はこの時到達してしまいました。
その証拠に、私がFDを手放してから今日までのおよそ5年間。
何の面白みもない廉価版グレードのマーチを、一切の不満を口にすることなく乗ってこれたのは。
車に対する興味が喪失していたからに他ならない。
誠にどうでもよかったんです、車なんてものは正直乗れれば何だって。
もしもあの時、ああいう形でFDと別れる事になっていなければ。
それこそ今頃私は再びFDに乗っていたかもしれない。
よしんばそうでなかったとしても、少なくとも大人しくマーチには乗っていないでしょう。
上では大げさかもしれないと書きましたが、私にとって、これは事件でした。
今までの価値観も、大事にしてきた車に対する想いすら、全て崩して消してしまう程に。
本当に些細な事が、思いもよらない形で致命傷になりました。
ですから本来、私の車の趣味というのはFDが最後になるはずでした。
あの時、あの場所に、FDにさようならを告げる為のあの旅路に、私は車の全てを置いてきました。
これ以降、私は軽トラだろうと商用バンだろうと、特に思いいれもない車を乗り継いで、何ら不満を抱くことなく生涯を終えるつもりでいたんです。本気で。
だからこそ…紛うことなく本気でそう思っていたからこそ。
今私がここでこうしてこのブログを書いているのは
まさに奇跡なんです。
皆さんが思っているよりも遥かに、私自身が一番理解不能です。
何でこのタイミングで突如頭の中に物欲の源泉が湧き出てきたのか、未だに納得のいく回答を私自身持ち合わせておりません。
しかし、今この瞬間、私が再び車に対する情熱を蘇らせた事にはきっと意味があるんでしょう。
ですからこの小さな火種、消さないように大事に大事に育てていくつもりです。
次期愛車決定まで、あと5ヶ月ヽ(゚ー゚ )ノ