GT-Rマガジンを拝読しました。
まずは、R’sミーティングの開催、おめでとうございます。
ギネス世界記録達成へ向けての挑戦は、たいへん面白いものと思いましたし、オーナーさんたちの結集力の証として今後も取り組まれていかれるであろうことを楽しみにしています。
さて、今号において思うところを少し書いてみたいと思います。
まずは、巻頭企画 GT-R延命術。
「R34においても錆の発生目立つようになってきた。
定番のフードレッジはもちろん、ガラス下にも・・・」、とあります。
R34は第二世代の最終形であり、エンジン関係、サスペンション構造はじめ進化していった終着点であるとされていますが、ことボディに関しては死角あり、といわざるを得ないもの。
剛性面はともかく、錆の発生については、R32、R33同等の注意すべき箇所があるものです。
今回指摘されているガラス下以外にも重要な箇所があり、そしてそこはまだGT-Rマガジンでは取り上げられていないと思いますが、おそらく今後、年数が経つにつれて誌面でも明らかになってくるものでしょう。
また、来年あたりには、Auto Repair Gallery の方に 「Future for 34GT-R」とでもして、まとめてみようかとも考えています。
(私が現役だった頃、お付き合いのあるオーナーさんの34GTRには対策施工済み)
今号の記載にR34のガラス下とありますが、リヤガラス下の端が鬼門。
クオーターパネルと合わさる部分の塗装とシールが薄く、水が溜まると発錆しやすい。
日常的な対処としては、ガラスモール付近のマメなふき取り。(吸水性の良いタオル、ウエスを推奨)
コンプレッサーを使える環境にあるセミプロさんは、各パネルの継ぎ目、モールの隙間をエアガンを使って水分を吹き飛ばしておくと理想的。
もし、既に錆が出ているようならば、錆が深くなる前にシールの再施工をするのがよいでしょう。
ほうっておくと、ジワリジワリと奥に進行し、最終的には大掛かりな作業を要することになります。
・リヤガラス脱着
・ガラスモール交換
・錆取り研磨ないし、リヤパネルの部分切除(切り貼り)
・防錆処理 シーリング 塗装
ポイントは、ガラスを外した後の錆取り研磨と防錆処理。
Gマガによく出てくる言葉に「延命」というものがありますが、ここの対処法如何によって、R34GTRの存命期間が決まると言っても過言ではありません。
そして、もうひとつの記事。
ラッシュモータースポーツさんの「新車以上のボディに昇華」というもの。
まさに私がここで触れるべきであろう記事ということになるのでしょう。
拝読していて、かつての血が沸きあがるかのような感覚があったものです。
「新車は100点満点ではない・・・」
「新車以上の仕立てを施す気持ち・・・」
「可能な限りの完璧を目指す・・・」
このような、いくつかの懐かしい言葉の数々があり、それはどこかオーバーラップするようなものでもあり、過去を思い出させてくれたものです。
もちろん、誌面作りの都合やメディアというものの目的、方向性というものも大いに関係していることでしょうが、その可否は今後も誌面を通して見ていきたいと思わせるもの。
つまり、ラッシュさんの志に共感、そこに惹き付けられる感じがしたということです。
想像ですが、たぶん課題も多いのではないでしょうか。
本気の本気で完璧を目指していくのならば。
勿論、先輩づらした輩がわざわざ何かを呈するような権利はなく、また、そのつもりも毛頭ないことですが、かつての経験から思うことはそれなりにあるもの。
自省の戯言とでもいうものですが、作業場の写真ひとつ、作業中の職人の手つきひとつで、おおよその感じは伝わります。
たとえば、これは一般論であって特定の修理工場を指しているものではありませんが、作業中の工具やパーツが床に転がっているかのように置いてあったりする、ありがちな光景。
もうこれだけで、その工場がどのレベルの仕事をしているのかがわかるというものです。
たとえプロカメラマンが綺麗に編集した画像を使って掲載しても、メディアで華々しく取り上げられていてもです。
つまるところ、人間が作業しているわけですから、見るべきは結果ではなく、そのプロセスと人。
私は、そう思っています。
だからこそ、作られた完成写真よりも、このような何気ない作業風景の写真や人物像は重要。
そこには貴重なメッセージが映り込んでいるからです。
人は無意識にそのメッセージを感じ取り、それによってファンとなってくれる人がいるわけですし、また、嫌いになってくれるありがたい人もいてくれるというもの。
そういった人と人の熱意のぶつかりあい、さまざまな意見の融合を経ていくからこそ、目指す境地、たとえばラッシュさんで言えば完璧、へと進んでいくことができる。
でなければ、単に理想を掲げてみただけとなってしまうものでしょう。
チャレンジする気持ちというものは尊くて、素晴らしい。
しかし、突き進んでいった果てに何かに気づき、
目指していた拘りを手放すという気持ちもまた素晴らしい経験となる。
なぜなら、どちらも自分を偽ることのない生き方なのだから。 yoshi