大晦日、いかがお過ごしでしょうか。かたのくりこです。
昨日、映画「252-生存者ありー」を観てきました。
252とは、消防で使われるいわゆる隠語で、映画では生存者ありとなっていますが、正確には「要救助者あり」という意味です。(生死は不明だが、人がそこにいるという意味)
映画の展開としては、まぁ良くあるパターンであり、話もできすぎています。でも、泣きました(爆)
目の前に助けを求めている人がいる。でも、救助にいけないジレンマ。周りは、なぜ助けないのか?と非常な言葉。
これって現実にあることなんですよね。
消防に限らず、人命救助の最前線にいる人たちは、自分の命を顧みず、救助に向かいます。
しかし、時には救助する側も危険に曝されることもあります。
そのような時、上にたつ人間は、救助には行かせません。
これを非常識ととるか、常識ととるか・・・。
人命救助のエキスパートは、普通の人ではできない人命救助を行うために、常日頃から訓練を積んでいます。
でも、レスキューする側も人間です。神様ではありません。
時に、人命救助をあきらめざるを得ない状況もあります。
救助する側にも家族が居ます。あえて死を招く場所に行かせられる権限を誰が持っているでしょうか。
レスキューではありませんが、災害の時に行うトリアージ。患者の振り分けとも言います。
通常時では助けられる人も、災害時には助けられないことが多々あります。福知山線の列車脱線事故の時に話題になったトリアージタッグの「黒」。
これは「死亡」もしくは「治療不可」を意味します。
このタグをつけた医療者や救助者がマスコミにも多く叩かれました。
誰が好き好んで「黒タグ」を付けたでしょうか。
医療者や救助者は、誰もが一人でも多くの人間を助けたいと願っています。さぞかし無念だったでしょう。
限られた環境や機材の中、命が助かる可能性の低い一人を救うよりも、助かる可能性の高い複数の人を救うことに専念します。それが災害時の医療や救助なのです。
非情とも思えるかも知れませんが、災害時は誰もが助かりたいし、助けてほしい。そう思います。でも、全ての人間に対し、同じようなことをしていては、より多くの人を助けることはできないのです。
そのために、トリアージが存在し、非情とも思える振り分けが行われるのです。
あまり知られていないことですが、災害に派遣されたレスキューの人たちや医療者の人たちは、時間が経つにつれ、多くの人が恐怖とストレスを感じ、苦しんでいます。
「あの時、あの人を助けることができたのではないか」と。
そのような仕事を選んだ人間の宿命といえばそれまでなのかもしれませんが、助ける側の人間も悩み苦しむのです。
それを多くの人に知ってほしいです。
年の瀬、暗い話題になってしまいましたが、この映画はそのような人間の背景や気持ちを表しています。
ただ、かっこいいだけではないです。レスキューに携わる人間の苦しみや悩みを知ることができる映画です。
2009年、このような災害が少しでも少ないことを願ってやまないかたのくりこでした。
それでは、皆様良いお年を・・・。
Posted at 2008/12/31 04:20:13 | |
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災害を考える | 日記