
突然こんな話をすると、驚く人も多いのかもしれませんが、私は学生時代、鉄道研究会に所属していました。
会社でも隠すことなく、むしろ公言しているくらいなのですが、誰しもが勝手に自動車部だったと思い込んでいるようで、何度訂正しても、相変わらず自動車部だったと思われています。
それくらいに、私の自動車趣味はインパクトを与えている様子です。
鉄道趣味と一口に言っても、写真や模型、旅行等々、いろいろな楽しみ方があります。そこは、サーキットだったりドレスアップだったりドライブだったりと、自動車趣味も多種多様なので、ご理解いただけるのではないでしょうか。
じゃあ、鉄道の魅力は何?と聞かれると、言葉に窮するのですが、私は乗り物としての特殊性にあるように思います。
自動車、飛行機、船、ロケット…どの乗り物をとっても、乗り物が進む場所の自由度が高いですが、鉄道だけはかなり制限されます。
そういういと、いやいや道路は?空港は?港は?発射台は?というツッコミを貰いそうですが、鉄道はその比ではないのです。
鉄道車両を道路の上に直接置けば、たちまち車輪がめり込んでいくでしょうし、レールの上でなければ右にも左にも曲がれないのです。
鉄道は、鉄道というシステムの上でしか成り立たない、そういう存在です。
だから、写真を撮るにしても風景の一部として切り出したくなるし、模型も車両単体だけでなくジオラマも作りたくなるし、旅行で鉄道のある街を散策するのも楽しいのだと思います。
前置きがずいぶん長くなりましたが、こういった鉄道の特殊性が、趣味だけではなく、自分の街にも鉄道が通っているということに対して、誇りに思ったり、感謝したりすることへつながっているのだと思います。
東北の震災後、不通となっていたJR山田線の宮古 - 釜石間。
第三セクターで運行する三陸鉄道へと移管され、3月23日、盛 - 釜石間を繋いでいた南リアス線、宮古 - 久慈間を繋いでいた北リアス線と合わせて、リアス線として岩手県沿岸を縦断するように全線開通しました。
その上り一番列車を宮古駅から釜石駅まで追いかけた一日の記憶を留めておこうと思います。
日付が変わる前に群馬の自宅を出て、東北道を北上、花巻から釜石道へと進み、遠野ICで降りて国道340号を使い、宮古駅に辿り着いたのは午前9時前、片道650kmと、東北の広大さを体感しました。
駅には、今回の全線開通のために増備した新車が2両つながれて待ち構えています。
先頭には『祝 三陸鉄道リアス線開通』の文字が躍るヘッドマークが掲げられていました。
1000セット限定で記念発売された『三陸鉄道リアス線誕生記念きっぷ』を購入。
また、宮古駅の隣に新設された土産物屋『さんてつや』でお土産品を購入。
駅前にはテレビ局や新聞社の取材が多く集まり、イベントも催され、お祭りムードでした。
一番列車が発車する12時を前に宮古駅を立ち去り、周辺駅の様子を確認。
隣駅の磯鶏駅には、大漁旗が準備されており、もう一駅先の八木沢・宮古短大駅では駅前でイベント開催中。
どこで一番列車を見ようかと考えた末、磯鶏駅に戻ることに。
そして、12時過ぎ、一番列車到着。
トンネルを抜け、一番列車が警笛を鳴らして磯鶏駅へと進入します。
大漁旗が揺れ、上がる歓声。
地元の方々に歓迎され、一番列車が到着しました。
振り返ると、老人ホームから多くのお年寄りが玄関から身を乗り出すように、列車の到着を見守っていました。
再度警笛を鳴らして出発。
1分ほどのことだったハズですが、とても長い時間に感じました。
列車を見送った後、愛車に火を入れ、のんびりと国道45号を南下します。
磯鶏駅での時間だけで、とても満足したので帰ろうと思っていたのですが、途中の陸中山田駅あたりで一番列車を追い抜いたことに気付きました。
それなら…ということで、世界最大の防潮堤に囲まれた町、大槌で列車の到着を待つことにします。
大槌駅の北側に位置する長大な鉄橋を渡り、震災復興工事に携わる人々の歓迎を受けながら、列車は駅へと入りました。
改めて写真を見返すと、工事中の防潮堤や復興住宅など、まだまだ色濃い震災の影響を感じますが、鉄道の復旧によって、復興が進むことを願ってやみません。
駅前広場ではイベントが行われていました。
再び愛車を走らせて、一番列車の終点、釜石駅へと向かいます。
列車は既に釜石駅に到着、折り返し運転を待っていました。
釜石駅でもイベントが開催され、三陸鉄道の全通と、ラグビーW杯開催に沸いていました。
冒頭でも書いたように、鉄道というのはとても特殊な乗り物で、だからこそ開通の歓びもひとしおと思います。
震災から8年が経ち、風化や忘れられることを心配する報道を多く見ましたが、やはり多くの人に一度、訪れて欲しい土地と思います。
もちろん、岩手沿岸に限らず、東北から東関東にかけて、広い範囲に訪れ、直接目の当たりにすることが大事だと思います。
震災時、東北の大学に在籍していたこともあって、福島から岩手にかけての沿岸には、震災後に足しげく通い、工学部生として思うこと多くありました。
なかなか言葉にはならないし、人に説明するのも困難なのですが、震災による被害の大きさや、その後の復興の様子は、あまり良い言い方ではないのですが『今しか見たり経験したりできないこと』なのだと思います。
三陸鉄道に関しては、朝ドラ『あまちゃん』の影響で久慈駅までドライブしてウニ丼を食べたことが一度。
北リアス線、南リアス線復旧後、全駅を愛車で一日かけて巡り記録したのが一度。
私が所属していた鉄道研究会には、三陸鉄道が開業した日を追ったアルバムがあります。
それをなぞる形で、全駅を巡って記録したアルバムを、卒業間近に作成しました。
そして今回、リアス線開業の様子を一部ですが追うことが出来ました。
心残りと言えば、震災前、仙台駅から八戸駅までを結んでいたリアスシーライナーに乗れなかったことです。
いや、乗らなかった、と言ったほうが正確です。
あの頃は、毎年夏に設定されているから、そのうち乗れば良い、いつか乗ろう、と思っていました。
岩手県沿岸は鉄道でつながりましたが、宮城県沿岸は気仙沼線がBRTという形で復旧し、鉄道車両は乗り入れられません。
同じように、2010年の夏、松島基地航空祭も毎年あるから今年はいいや、と言っていきませんでした。
今日あるもの、それが永遠ではないこと。
三陸鉄道、そして松島基地、この二つの存在は、私に対して強烈に『今を生きる』ことを訴えてきます。
平成が終わる、三十路を迎える、多くのことが私に『今しかない』という時間を主張してきます。
CLAMP先生の漫画『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』、修羅ノ国編で登場する阿修羅王の『燃える炎の如く 流れゆく時間に同じものは何ひとつない 変わるからこそ 戻らぬからこそ 一度しかない生を悔いなく生きろと願う神に』という言葉が、頭の中でグルグルと渦を巻いています。
『空を切り裂いて落下する滝のように 僕はよどみない生命を生きたい』
ただ、それを日々実感し、実行するのは難しいのです。
頑張れ、自分。
