2014年10月08日
本日、通夜から告別式まで無事に喪主として大好きな親父殿を送り出しました。
5年2ヶ月という長い時間、四肢麻痺で不自由な生活の中での入院生活。
それが解放された時でした。
この数日間は長い様で短くも感じました。
看病していた辛さがなくなって楽になった気持ちよりも、親父殿が辛さから解放されて良かったと思う気持ちの方が大きいです。
確かにどんな状態でも生きていてくれればいいと思う時もありましたが、本人が一番辛かったと思います。
なので「お疲れ様」と送り出せて良かったです。
コメントやメッセージを頂いた方々、また内容を読んで頂いた方々には大変感謝しております。
本当にありがとう御座いました。
まだ色々と残っていますが少しずつ普段の生活に戻ると思います。
また今後共どうぞ宜しくお願いします。
Posted at 2014/10/08 22:13:20 | |
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生活 | 日記
2014年10月06日
本日、午前5時20分に親父殿が5年2ヶ月の入院生活にて66歳で亡くなりました。
各関係者の方々、そして自分と関わりがございます皆様にこんな形ではありますが取り急ぎご報告させて頂きます。
ひとまず落ち着きましたらまた後ほどご報告させて頂きます。
平成26年10月6日
Posted at 2014/10/06 11:33:39 | |
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生活
2014年10月03日
私事ですが昨日10月2日夕刻より自分の父が意識・反応が全くなくなりました。
心拍120前後、血圧60/40前後、酸素5リットルで97。
モニタを見ていても安定していません。
昨日の夕方から病院に泊まって昼にお袋様埼玉から来てくれ、自分は軽く昼食を取りそのまま仕事へ。
仕事を定時で終えそのまま病院へ。
弟も大阪出張から新幹線で戻り埼玉からクルマで来院。
とりあえず安定しているように見えるけれどもやはり不安定な波形。
気管吸引しても普段だと苦しい感じで反応はあるが、そんな反応も全く無し。
事故に遭い、5年と2ヶ月経過。
延命処置はするつもりはないけど自然に立ち止まるまではそのまま・・・
もう5年なんだから疲れたでしょ?
親父殿そろそろ休んでちょうだい。
唯一の心残りは、次男を抱かせてあげられなかった事。
でも今日病院の帰り、頭撫でてたよ。
二人の孫にタッチされていたよ。
お疲れ様、親父殿。
Posted at 2014/10/03 21:56:31 | |
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生活 | 日記
2014年08月29日
親父殿の今入院している病院から連絡があり、月曜に自宅近くの病院に転院が決まりました。
申し込みしてから何年掛かったのだろう・・・
今度の病院はちゃんとした医療設備もあるので、今までだと救急車で本院に搬送という事態がなくなります。
また最後まで入院ができる病院です。最後とは文字通り「人生最期の時」までです。
事故から丸5年が経過しましたが、今は少し安定していますが健康体の人とは違い体温調整がほとんど出来ないので、発熱等の変化が起きます。
今日も洗濯物を持って行きましたが「水が飲みたい」と言ったので小さい紙コップに半分程入れてストローで飲ませました。
親父殿は「うまい」と小さい声で言いました。
自分自身で水を飲ませたのは1年以上もしくは、数年飲ませていませんでした。
健康体の人であれば何も問題はないのですが、頚椎損傷で色々な部分の筋力がないので水が間違って気管に入ると誤嚥性肺炎になる可能性が大きいのです。
最悪はそのまま・・・って感じです。
なのでかなり久々で少し驚きました。
今の病院までは結構時間が掛かりましたが、今度の病院は10分程で行けます。
ただ少し残念なのが、リハビリは回復の見込みがないので中止。
着衣も病院指定のになるので洗濯物がなくなります。
洗濯する負担が少なくはなりますが少し淋しい感じです。
もちろん近くなるので気軽にいつでも行けます。
まぁ今現在も2日に1回は行っているのでほとんど変わらないかな?
話は変わりますが、今現在世界でALSのニュースがありますが交通事故等で脊髄損傷や頚椎損傷で神経が途絶えた人の研究も進んではいますがまだまだ時間が掛かりそうですね。
再生治療が可能になれば何が何でも親父殿には元気になってもらいたいです。
だってまだ66歳なんですから。。。
Posted at 2014/08/29 21:26:54 | |
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生活 | 日記
2014年07月31日
本日は昨日のブログ内容とは間逆の内容ですのでスルーして頂いても結構ですので。
前からブログにはたまーに登場しているウチの親父殿。
5年前の今日深夜に片側3車線(右折レーン中央分離帯有り)の場所で一時停止無視のトレーラーのキャリアカーの真横に衝突しました。
トレーラーキャビンの側方だったので下に潜り込まなかったのが幸いでした。
もちろんシートベルトも着用していました。
ただ、潜り込まずに乗っていた車と、トレーラーの車体の一部で衝撃は吸収されたのですがその反動が全て首の骨に集中しました。
「頚椎損傷」です。
損傷箇所はC5-C6の脱臼骨折。首の骨が一つ分ずれました。
自発呼吸は出来ますが、それ以外の動作では肘までは感覚があるが関節が動かせない。
また、セキ・タンが自分ではほぼ出来ない。
肩はすぼませる事が出来るが首の骨をプレートで固定しているので可動範囲が至極限定的。
寝たきりなのででん部に褥創が出来る。
同様にベッドアップすると起立性貧血が起こる場合が有り。
意識は通常にあり会話も成立するが喉に吸引の為のトウヘルパーを使用。
摂食は固形物は誤嚥性肺炎を起こすので、PEG造設で流動食(カロリー型ミルク)。
でもこの1年半から2年くらいはかなり元気に過ごしています。
もちろん頚椎・脊髄損傷なので自分で体温調節が出来ないので、度々発熱したり身体の具合が悪くなったりします。
現在、脊髄損傷には決定的な治療方法は確立されていません。
IPS細胞等で切れた神経を再生させる再生治療も、もし新しい神経が出来ても元の場所にうまく接続されるか?等が問題だと思います。
素人の考えだと、すでに5年経過している状態でもし神経が再生しても想像を絶する痛みが出るように思えます。
何故ならば、すでに四肢麻痺となり肘から先や肩から下の足の先までがすでに硬直して筋肉はありません。
そんな状態で感覚が戻ったら・・・
悶絶してしまいそうです。
2日に1回は病院に行っていますが、今は暑いので点滴で水分補給しています。
今の病院にはこの先ずっとは入院が出来ないので数年前から自宅近くの病院に転院の手続きをしていますがまだ連絡は来ません。
もちろん自宅介護等も考えましたが完全麻痺なので難しいと・・・
意識がはっきりとあるのが本人は辛いとは思いますが唯一の救いだと思ってます。
ただ、事故にあった最初は悲観的になっていました。
でも何も出来ず動けない自分に苛立っていたと思います。
今は子供達の笑顔を写真に撮って見せるのが唯一の親孝行です。
もし自分が同じ状態になったらと考えると気が狂いそうです。
うつ病の薬も投薬して貰ってますがそれの効果もあるのでしょう。
自分もすでに7年くらいは病院に通って現状を維持しています。
皆さんにお願いです。
一時停止は必ず停止して左右確認して下さい。
もちろんそれ以外の事もそうですが。
こんな自分で、こんな車に乗っている人間が言っても説得力がありませんが少しでも頭の隅に置いて頂ければ幸いです。
車はぶつけても元通り近くまでは直せますが、人の身体は正直治りません。
見た目が元に戻っても、後遺症などで辛い思いをします。
自分個人も小学2年の時に右折トラックに横断歩道を渡っていた時に左側をはねられましたがいまだに痛みます。
その痛みをかばうのに身体の他の部分がカバーするのでそれ以外がまた痛くなる負の連鎖になります。
この時期は子供達は夏休みなので子供を見かけたらゆっくり走ってあげて下さい。
特に狭い道路や、学校や幼稚園・保育園がある場所とか。
こんなに長文になりましたが読んで頂いた方々に感謝致します。
Posted at 2014/07/31 20:30:13 | |
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