ダイハツSE-71947~1949年(昭和22~24)頃?資料が無いため、詳細不明 (ご存知な方教えてくださいナ~)※1930年~は、HA型を製造されてた。時代を感じます! 戦後間もない日本、再建に向けてコストも考えて三輪車の盛期、だったのでしょう!見ての通り、前半分はオ-トバイ、後ろ半分は、リヤカーですね。1950年(昭和25)製造ダイハツSF型 機関GK750※資料が無いため、詳細不明(ご存知な方教えてくださいナ~)ダイハツ三輪トラック(型・詳細不明)※マツダ、くろがね、とは違いますよ!!(何時しか、オ-ナ-に聞いときます。)二人乗り爺には、読めませんナ~、トホホ。1950年代にオ-ト三輪車むかし三輪自動車は“オート三輪”、とか“バタバタ”と呼んだ。エンジンを造ることにかけては自信のあったダイハツは、1929年4月に2サイクル350cc単気筒、翌30年4月には4サイクル500cc単気筒ガソリンエンジンを完成、当時数多くあった小規模三輪自動車組立業者に売り込みを図ったが、国産品=粗悪品という風潮は変わっておらず、売れなかった。 それでは自分で造ってやろうと決断。1930年12月に1号車を完成した。改良を加え1931年から量産に入ると好評で、1937年には年間5122台生産された。しかし、第2次世界大戦の影響をもろに受け、民需用の生産台数は激減する。1946年には小型三輪自動車の国内総生産台数2696台の内、ダイハツは1455台(シェア54.1%)を造った。しかし、順調に伸びた市場も1957年の11万1352台、ダイハツは35953台(シェア32.3%)をピークに小型トラックと立場が逆転、急速に落ち込む。ダイハツは1972年の565台を最後に撤退。2年後には我が国の小型三輪自動車の生産はすべて終了した。 三輪自動車の装備が充実し、大型化され(全長6mを超えるモデルもあった)、四輪トラックとの価格差が小さくなった結果、より快適で安全な四輪車に需要が移っていった。