今回は芸能人なら勿論なこと、子供向けヒロインとしても決して越えてはいけないラインを飛び越えて消えたアイドルです。
49 小沢なつき
1972年4月19日生 (46歳)
東京都出身
1986年、新宿でスカウトされ同7月、
テレビドラマ『パパ合格、ママは失格』
でドラマデビュー。
1987年、『追いかけて夏』
でアイドル歌手デビューします。
※このデビュー曲は当初『パンドラの小鳥』というタイトルでしたが、発売直前に変更。
理由は、先にデビューしていた大西結花に『バンドーラ』と言う曲があったからとか。
そして、安定した演技力を認められ1988年、『スケバン刑事』の同系後継番組、
『花のあすか組』
の、宮本ミコ役を熱演。
一気に全国区人気を獲得します。
1989年、ついに特撮ヒロイン番組
『魔法少女 ちゅうかなぱいぱい』
の主演ヒロインの座を射止めます。
・・・と、ここまでは、アイドルとして順風満帆なのは誰もが認めるところです。
確かに、ファニーな顔立ちでキレの良い見栄切りが出来るのは、特撮ヒロインや学園ドラマではかなり重宝するわけで、関係者も彼女にはかなりの期待を寄せてました。
・・・しかし彼女はその後、越えてはいけないラインを軽々と飛び越えてしまい、スカーッと芸能界から消えます。
それは、『魔法少女ちゅうかなぱいぱい』の撮影も中盤に差し掛かった頃、何故か彼女は撮影をすっぽかして現場に来ませんでした。
所謂、蒸発でした。
彼女が撮影に穴を空けた代償は大きく、直後に番組は即打ち切りになりました。
※その後、ドラマの世界観を引き継ぐ流れで、ヒロインを小沢なつきから島崎和歌子に代えた、
『魔法少女ちゅうかないぱねま』
としてリニューアルすることになります!
これが、実際の芸能界引退になります。
・・・何故?どうして?だったのでしょうか?
1度くらい穴を空けたからと言って、即降板、打ちきり、引退なんて些か強引では?
こう言った場合は往々にして、もっと納得出来る理由があるわけで・・・。
後年、別のテレビ番組で、その蒸発事件の事を尋ねられると・・・、
『忙し過ぎて訳がわからなくなり、マネジャーと駆け落ちまがいのことを計画したが、待ち合わせ場所に相手は来なかった」
と事件の真相を語りました。
・・・しかし、この真相にも幾つかの疑問が。
ひとつは、マネージャーが商品に手を出すのはご法度。
しかし実際、この事件ではマネージャーは処分は受けていません。
もうひとつは、当時小沢なつきは17歳、流石に全てを棄ててマネージャーと駈け落ち蒸発を実行するとは考えにくい。
恐らく真相は、彼女自身が素行不良で、未成年の○○などスキャンダルの発覚により、いきなり撮影に参加できなくなったと思われます。
事務所関係者は、未成年のスキャンダルを恐れ、謹慎後そのまま引退させたと推測出来ます。
これは、上手く闇に葬れば、宇沙美ゆかりパターンで、失敗して公にバレると高部知子パターンになります。
(宇沙美ゆかりのパターンは、私の過去ブログを参考にしてください。)
流石に子供向けの特撮ヒロインがスキャンダルを犯して降板なんて事がバレると、番組は元よりヒロインや特撮のイメージにも甚大な影響を与える事になります。
関係者はかなり神経を使って、この騒動について、あるあるな表向きの理由を造り上げたことと思います。
そして、急遽小沢なつきを引退させる事で、幕引きをはかったのではないかと思われます。
どちらにしても、彼女も越えてはいけないラインを越えたのはどうも間違いない様で、然るにスカーッと芸能界から消えた訳です。
でも、今なら補償金の問題も勿論ありますよね?
当時もあったのでしょうか?
・・・芸能界を引退させられてから4年後の1993年、彼女はヌー○になって再出発します。
・・・んっ~、補償金・・・んっ~・・・
何かここまでは、皆さんが想像している様に、一応に補償金まで辻褄を合わせた展開になってたわけです(笑)
※これはあくまで分析の結果のひとつとして、楽しく読んで下さい(笑)
シングル7枚、アルバム4枚
アルバムの1枚は復刻版で、比較的安易に手に入ります。
唄は意外と緩くてメルヘンな歌が多く、聴きやすいのですが、彼女のキャラクターほどのインパクトはありません。
勿論、ヒットというヒットはないので、B級テイストがしっかり薫ります。
聴くか聴かないかはあなた次第!
80年代B級アイドル度・・・85%
引退の理由なんかは正しくB級の証し。
ヌー○写真集が結構売れたのは皮肉な結果です。
おわり
Posted at 2018/08/06 19:32:32 | |
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