2016年07月11日
午前11時過ぎ、私の祖父が亡くなりました。
死因は末期の胃ガン。83歳でした。
外孫ながら我が子のようにかわいがってくれ、私がもう大人になろうという歳になってからも車(ジーノ)を買ってくれるほどの孫煩悩(?)ぶりでした。
極度の病院嫌いだったため、食欲不振を訴えようやく病院に行き、ガンが見つかった時には既に手遅れな状態でした。
「とてもこんなことは伝えられない」、家族でそう話して医師から本人には胃潰瘍であると事実を隠して伝えてもらいました。
そのおかげか、当初はそのうち治るんだろうととてもポジティブに振る舞っていましたが、病に身体は抗うことができず、見舞いに行くたびやせ細り、受け答えもだんだん弱々しいものになっていきました。
母や伯母、伯父らは週1回か2回ほど見舞いに病院を訪ねていましたが、私はなかなか実家に帰ることができず、ジーノを手放しつつ見舞いをするために1ヶ月前に帰省して以来、ようやく昨日・一昨日実家に戻ることができました。
一昨日、1ヶ月ぶりに見た祖父の姿は変わり果てたもので、1ヶ月前は普通に会話していたのに呼びかけにも応じず、意識はないと言っていいほどのありさまでした。
容態が急変し、危篤の知らせを受けたのは昨日の朝。
もちろんすぐ病院へ駆けつけました。
今まで家族・親類の死に直面したことは何度かありましたがどれも突然すぎるもので、駆けつけた時には既に亡くなっていた、という経験しかしてきませんでした。
しかし今回はまだ猶予があり、初めて「看取る」ということをしました。
ガンでありながらほとんど苦しんだり痛みを訴えたりすることもなく、私含む4人に見守られながら穏やかに息を引き取りました。
前日はあいにくの雨でしたが、その日はよく晴れたいい天気の中での死でした。
だいぶ衰弱しているのは火を見るより明らかでしたが、最期を迎えるにはあまりにもあっけなかったように思います。
しかし、1ヶ月に一回くらいしか実家に戻れない私が偶然にも祖父の死に立ち会えたのは、祖父が私を呼び寄せていたのではないかとふと思いました。
今まで一生かかっても返しきれないほどの恩を受けながら、恩返しらしいことを何もしてあげられなかったのが非常に心残りでしたが、それを祖父と一緒に住んでいた伯母に話すと、「○○(私)の就職が決まったときに大喜びしてたからそれで大丈夫だよ」と言ってくれたのは救いになりました。
あの世から祖父が私たち家族を見ているかどうかはもちろんわかりませんが、もし見ているのだとしたら、祖父の娘であり、祖父と並んで非常にお世話になった(なっている)母や伯母にこれから恩返しするところを見ていてほしいものです。
Posted at 2016/07/11 07:57:47 | |
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