
ダチアなんて言う東欧の車、今まで聞いたこともなかった。
それが、ルノーの4割、100万台を世界で売りまくっているという。
『日本車は優秀。世界で売れまくっている』などという『日本車神話』にどっぷりつかった井の中の蛙の自分が情けない。原発の安全神話にどっぷりつかっていた多くの日本人と50歩100歩か。日経さん、注意喚起してくれてありがとうね。
日本人は、『細かいところに拘る、多機能を喜ぶ』と言われるが、その国際標準とかけ離れたところが『ガラパゴス製品』を生むのではないか?
O型の大雑把で『テキトー』人間のあっしは、そんな几帳面な『A型日本社会』より米文化の方が、はるかにしっくりくるんです。(韓国のO型社会は嫌だが)
家電の場合は、リストラやスカウトされた人間が重要な技術情報とともに渡航したことが日本の没落の一つの要因のようだが、車業界はどうなんでしょう?
ダチアの快進撃の原動力は『価格』と日経は書いている。
A型の消費者・経営者・技術者があまりに『品質・機能・性能』にこだわり(こだわるのはいいことだが、価格等他の要素とのバランスが問題)、ガラパゴス化が進んで、世界の消費者ニーズからかけ離れてしまうと生き残りが難しくなる恐れも?
車を買うとき、バイザー・マット・ナビなしでと言ったらDのお兄さん困った顔をしてた。『あなた日本人ですか』と顔に書いてあった。
バイザーは『クチコミ』でも賛否両論だが、あっしは不要派。別に外車を持ち上げるわけではないが、あっしの白いノートは、スモークガラス等で白黒モノトーンの色彩バランスが取れている。そこにバイザーなどという実用性の全くないへんてこりんな格好の不純物を取り付けると、色彩的にも見た目、的にもスッキリ感ガタ落ち。
マットに至っては、日本人がDのカモにされていることの証左に他ならない(というか値引きの原資としての意味しかない)。その法外な価格をほぼ全員が買うというのも信じられないが、問題はそのセンスである。
地味好みの日本の消費者には、これぐらいのものを与えておけばよかろうといった、ほとんどセンスというものを感じさせない代物である。
ある外車(旧車)で、燃えるような真紅のマットを見たが(もちろん日本ではない)、乗るたびに胸が高鳴るようなセンスを日本人に求めること自体間違いなのかもしれない。
日本人は安くて壊れない車を何も考えずに作っていればいいのだ、という欧米人の高笑いが聞こえてきそうだ。
Posted at 2014/07/10 15:21:41 | |
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