
どうでも良いことですが、知っているとちょっと違って受け止められるかも、、、の話。
松田聖子で大ヒットした「風立ちぬ」
ここで取り上げるのは基本、松本隆の「詞」「歌詞」についてです。
大滝詠一の曲、松田聖子の歌としての楽曲としてではなく、です。
詩の世界
まず、時系列的に。
はっぴいえんどの「風街ろまん」で
松本隆は「「春と修羅」にインスピレーションを受けて作った」そうです。
大滝詠一
「松本隆先生がですね、宮沢賢治の「春と修羅」にインスピレーションを受けて作ったんだそうです。」
32分00秒ぐらい~です。
宮沢賢治 心象スケッチ 春と修羅
電車
トンネルへはいるのでつけた電燈ぢゃないのです
車掌がほんのおもしろまぎれにつけたのです
で、いきなり時間が流れて(笑
大滝詠一の『ア・ロング・ヴァケーション』
作詞は一曲を覗いて松本隆が作詞。
で、その時、、、最愛の妹さんが亡くなられて。。。
※ ※ ※
大滝詠一について語ろうとすると、もう十数年のつきあいになるのに、彼のことを何も知らないような気がしてくる。
そういえば彼から家族のこととか、身の回りの雑事について聞いたことが無い。仕事以外のプライベートなことに関して口が重いのかもしれない。
一度だけ彼がぼくの家を訪ねてくれたことがある。
「今度作るアルバムは売れるものにしたいんだ。だから詩は松本に頼もうと思ってね」
「よろこんで協力させてもらうよ」
後にミリオン・セラーになった『ア・ロング・ヴァケーション』は、こんな会話から生まれた。
発売日も決まって、さあ制作に入ろうという時期に、ぼくの妹が心臓の発作で倒れた。ちょうど大平首相が倒れた翌日で、偶然にも同じ病院の隣の病室に入院した。
ぼくは電話で大滝さんに事情を説明して、他の作詞家を探してくれないかと言った。
「いいよ、おれのアルバムなんていつでも出せるんだから。発売は半年延ばすから、ゆっくり看病してあげなよ。今度のは松本の詩じゃなきゃ意味が無いんだ。書けるようになるまで気長に待つさ」
「ありがとう」
でも数日後、妹は息をひきとった。
精神的なショックから立ち直るまで、三カ月ほどかかった。その間、彼は何も言わずに待ってくれた。
あのアルバムの中の詩に人の心を打つ何かがあったとしたら、明るくポップなプールのジャケットの裏に、透明な哀しみと、それを支えてくれた友情が流れていたからだと思う。
数年後、『イーチ・タイム』を作ってから、二人の間の距離が開いて、彼は再び長いバケーションを楽しんでいるようだが、来年の春あたりに、突然電話してきて、「そろそろ何かやろうか」なんて言い出すような予感がしてる。
「待ってくれた大滝」朝日新聞1985年12月18日夕刊(「新友・旧交」欄)、より
※ ※ ※
『ア・ロング・ヴァケーション』完成後、松本隆に作詞の依頼が来る。
普通のアイドルに決別 「風立ちぬ」
その時、
堀辰雄の小説「風立ちぬ」をモチーフにしたことは有名ですよね。
って題名が一緒だし♪
「風立ちぬ」
今日から私は心の旅人
涙顔見せたくなくて
すみれ・ひまわり・フリージア
高原のテラスで手紙
風のインクでしたためています
で、、、なぜここで
SAYONORA SAYONARA SAYONARA
ローマ字表記なのでしょうか?
で前出の「風街ろまん」での春と修羅
その中に永訣の朝という宮沢賢治が妹との別れの詩があります。
永訣の朝
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
オラ オラデ シトリ エグモ
私 私で 一人 行く(逝く?)(往く?)もん
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
小説「風立ちぬ」のヒロインは、、、亡くなってしまいます。
宮沢賢治の妹も。。。
松本隆の妹も。。。
以上を念頭に松本隆作詞の「風立ちぬ」を読むと、、、
単なる失恋ソング、、、ではなく、、、
違った情景が浮かぶ、、、かも。
って言うだけの話でした(爆
では、では♪
Posted at 2015/07/23 13:05:31 | |
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ナイアガラ | 日記