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2016年02月18日

スバル・レガシィRS(1993) 《1》

スバル・レガシィRS(1993)  《1》 英国の、あるモータースポーツ専門誌。その表紙で、いつもは赤色である誌名の色が、その号だけはグリーンになった。深い緑色はブリティッシュ・グリーンと呼ばれ、モータースポーツ・フィールドにおける英国のナショナル・カラー。英国人が達成した功績を讃えるための伝統に従ったという雑誌がそのようなお祝いをしたのは、ナイジェル・マンセルがF1で勝利した時以来だった。

英国誌が大きな活字で「歴史的快挙」と謳ったのは、若き英国人ラリースト、コリン・マクレーの勝利だ。WRCのワークス・ドライバーの中で最年少であるマクレーは、自身が23歳の1991年からWRCを走りはじめ、25歳の誕生日を迎えたニュージーランド・ラリーで、ついにWRC初勝利を挙げた。

「マクレーはついに、ラリーのスーパースターたちの仲間入りを果たした」と英国誌が書き讃える初勝利は、実は彼が操ったラリー・カーとそのメーカーにとっても待望久しい勝利だった。そのスバル・レガシィRS、ニュージーランド・ラリーのウイニングマシンが今回のクルマである。

カラーリングの「555」とは“ファイブ・ファイブ・ファイブ”と読み、1993年からスバル・チームをサポートしているブリティッシュ・アメリカン・タバコの製品名。ニュージーランド・ラリーのオフィシャル・プログラムなどの資料は、現地スバルの協力でこのクルマの写真が使われたが、実はこのラリーの冠スポンサーはロスマンズ・タバコだった。ラリーの主催者は、プログラムなどでレガシィのフォトは使いつつも、「555」の文字だけは巧みに見えないようにしていたという。

この種のこぼれ話なら、まだあって、ラリーの表彰式の前には、上位入賞車による恒例の“喜びのスピンターン”というのがある。コリン・マクレーは、白煙でクルマが見えなくなるくらいにクルクルとターンを繰り返し、その煙の中から飛び出して、もう一度、スピンターンを決めた。

続いて、6位に入賞したチームメイトのニュージーランド人ドライバー、ボッサム・ボーンも、負けずに派手なスピンターン! しかしボーンは勢い余って、カンクネン/セリカのドアにバンパーをぶつけてしまう。セリカのドアをペコッと凹ませてしまったボーンは、そこで言った、「やっぱりレガシィは頑丈だ(笑)」。

……ジョークはともかく、このニュージーランド・ラリー(1993年8月)はマイナー・イベントではなく、トヨタとフォードの二大ワークスがトップ・ドライバーを並べてポイントを取りに来た、WRCの第8戦だった。リザルトで2位以下を見ても、まずフランソワ・デルクール/フォード・エスコートがいて、ディディエ・オリオールとユハ・カンクネンのセリカが続き、4位にはカルロス・サインツのランチア・デルタが割って入ったというビッグイベントであり、そこでのコリン・マクレー/レガシィの勝利だったのである。

英国のモータースポーツ誌が「レガシィによるマクレーの勝利は英国の誇りだ」と記すのは、誇張でも何でもなかった。もっとも、さすが英国のジャーナリズムというべきか、「コリンのような、目を見張る走りをするが、同時に、目を覆いたくなるようなアクシデントも引き起こす。そんな若者をワークス・ドライバーとして使っているスバルとプロドライブの勇気には敬意を表する」と、ひと言付け加えるのを忘れていなかったが。

さて、サファリなどに参戦はしていたものの、スバルがWRCに関わるようになったのは、英国のラリー・チームである「プロドライブ」がレガシィに目を付けたからだといわれている。4WD、水平対向エンジン、コンパクトなボディ。これらにプロドライブのデビッド・リチャーズ代表が注目し、同社とスバルがWRC活動についての契約を交わしたのは、1989年の9月のことだった。

そして、ベテランのフィンランド人ドライバー、マルク・アレンをドライバーに迎えて、プロドライブ/レガシィがWRCに初登場したのは1990年のアクロポリス・ラリー。以後、休みなくチャレンジを続けたスバルは、ついに1993年9月の初勝利に至ったのだ。

ただ、実はレガシィというクルマ、いずれはラリーに出場するということなどまったく考えていない、単なるセダンだった。ドライバーのマルク・アレンは「ノー・パワー、ノー・ブレーキ……」と首を振り、しかし、ハンドリングだけには及第点を付けて「グッド・ハンドリング!」と讃えた。また、乗っていてすごくラクなラリー車だとも評して、これらを出発点に“ラリー・レガシィ”の熟成が始められた。

そして、アリ・バタネンとコリン・マクレーというベテランと新鋭のコンビになったのが、1991年の英国RACラリーからだった。1991年での最上位は3位、1992年は二つのラリーで2位を得たというのがベスト・リザルト。そして1993年から「555スバル」という態勢になり、ニュージーランドで、ついにオーバーオール・ウインをゲットしたわけだ。

(つづく) 

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
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Posted at 2016/02/18 18:01:08

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