
にゃおにくすの住む千葉県北西部は広大な台地で、江戸時代は幕府の軍馬を輩出する牧場、また戦時中は軍の飛行場として何箇所も整備されていました。
ある日の休日、良く買い物に出かける千葉ニュータウン方面をスマホの地図(グーグルマップの航空写真)をなんとなく眺めているとなにやら飛行機の形をした構造物を発見。
そこは印西市草深(そうふけ)。調べてみるとかつて印旛飛行場という旧日本陸軍の飛行場があった場所でした。
頭の中にあった「掩体壕」と飛行場がリンクした瞬間でした。
にゃおにくすはもともと歴史が大好きで、特に地元の郷土史が好き。
だってその昔、自分が住んでいた場所がどんな場所だったか気にならないですか?
そんなにゃおにくすが中学生の頃印西市方面へ遊びにいった頃にはまだまだ掩体壕がたくさん残っていて不思議な風景だな~と思った記憶があります。もう20年以上前になりますが^^;
さっそくグーグルマップで見た飛行機の形の構造物を見つけに出発!
その場所はとある公園でした。
「東の原公園」
住宅地の端に新しく整備された公園です。駐車場、トイレも整備されています。
いきなりですが
航空写真に載っていた構造物は公園の砂場でした。
なんで飛行機の形をしているかというと旧日本陸軍の飛行場跡地の一角で、掩体壕が残されていた場所だったから。なんですね。
さきほどから話に出てくる掩体壕(えんたいごう)とは敵の攻撃から飛行機を守るU字型の土手のような物です。
下総地区の場合、屋根はない無蓋掩体壕(むがいえんたいごう)が普通でした。
3mほどの土手で敵の爆撃や銃撃から大事な飛行機を守るものでした。
屋根はないので真上からの直撃には効果がないですけどね。
写真だとまったくわかならいですが、飛行機の形の砂場をU次型の盛り土が囲んでします。綺麗に芝で覆われていますが。
かつては軍事目的の飛行機を守っていた物が、砂場で遊ぶ子供を見守る役目になるなんて当時の方は想像もできなかったでしょうね。印西市GJです!
(砂場の形は双発機で、実際に配備されていたのは隼Ⅲ型と鍾馗だった違いはあるようですが)
この公園から離れたところにある住宅地ど真ん中の「西の原公園」に石碑があるのを見つけました。
その碑は「平和の碑」と彫られていて裏側には「草深野のあゆみ」としてこの地域の歴史が書いてあります。
印旛沼のまさに草深い草深の地を開墾した先人の苦労、逓信省が飛行場を作ったこと、帝都防衛のために陸軍が接収して飛行23戦隊が配備されたこと、帰還しない飛行機がたくさんあったこと、終戦後、飛行場跡地を開墾した苦労など・・・。
公園はお子さんがたくさん遊んでいました。
石碑のことを知っている人も少ないでしょう。
今年で終戦70年になります。
もう70年ですが、ほんの70年前。ここには飛行場があって戦争がありました。
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Posted at
2015/06/29 14:28:09