
いつものGT伝説名車図鑑です。
今週号は言わずと知れた映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でお馴染みのデロリアンです。
デロリアンは、アメリカ・ビッグ3の雄であるGMの役員職を辞した元エンジニアのジョン・ザッカー・デロリアンが、自らの名を冠し自動車生産に挑んだ会社「デロリアン・モーター・カンパニー」で生産されたクルマだ。
生産工場は北米ではなく英国の北アイルランド、それもアイルランド共和軍(IRA)の闘争真っただ中のベルファストに建設された。北アイルランド問題の解決のためには、高い失業率と貧困を抱える同地方の雇用拡大が必須であるという政府の方針に、工場誘致という計画が見事にマッチした結果である。こうして、政府からのサポートと資金援助を受け、デロリアン・モーター・カンパニーは北米で販売する同社初めてのモデル「DMC-12」を、大西洋を隔てた英国で生産することとなったのである。
新興メーカーであるデロリアンはエンジンの自社開発は荷が重かったため、エンジンはPRVのV型6気筒が採用された。PRVとは、プジョー、ルノー、ボルボの3社がそれぞれ異なるチューニングを施したものが、生産車に数多く採用されていた。
しかしながら、デロリアンの造るスポーツカーは成功するかに見えたが、いざ生産が始まってみると販売は好調は言い難かった。この主な理由として挙げられるのは2万5000ドルという北米での販売価格と、販売後に露呈した信頼性の低さだ。価格に見合わないという評価がささやかれたという。
さらに不運は続く。販売開始翌年の1982年、財務と経理倫理に関するトラブルが噴出、加えて、ジョン・デロリアンがコカイン密売容疑で連邦捜査局(FBI)によって身柄を拘束されてしまう。これにより先の見通しの立たなくなったデロリアン・モーター・カンパニーは生産を終了し、工場は閉鎖、会社は解散と言う結末を迎えることとなった。わずか2年にすら満たない生産期間と、8000台余りの生産台数が希少性を生んだが、DMC-12が人々の記憶に残る理由はほかにある。
会社解散から3年後、1985年に公開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に準主役的な役割で登場し、人気を集めたのだ。
DMC-12を特徴づけるポイントは3カ所ある。まずはボディパネルのほとんどがステンレス鋼板で製作されていることだ、つや消しヘアライン仕上げのステンレスボディは錆とは無縁であり、近代の生産車としてはあり得ない色艶をみせていた。ただし、ホディに触れると指紋が残り、拭いても取れないという難点もあった。
2つ目のポイントは、ガルウイング・ドア。
3つ目のポイントは、ミッドシップレイアウトである。
映画で取り上げられなけば現在まで語り継がれるようなクルマとなったか疑問は残るものの、1980年代に一瞬だけ輝いた、超個性的なモデルであったことは間違いない。
ということで、今日は休暇。ダイヤモンド・キーパーのコーティンクにヴェルを預ける日です。
午前中に郵便局・農協と駆け巡り、○○○○万円を預金して、これから行ってきます。
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Posted at
2012/05/24 09:45:34