• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kaztomのブログ一覧

2012年06月17日 イイね!

1/10のリアルさに感動

1/10のリアルさに感動ブログなんか書いている場合じゃないけど…

トヨタ2000GT、26号まで組み立てが終わりました。

25号、26号でダッシュボードとメーターパネルが完成です。メーターは、それぞれ目盛りと針が刻まれています。スピードメーターは240kmまでしっかり刻まれとる。

メーターパネルのスイッチ類はさすがに小さく、ルーペがないと見えないですわσ(^_^;
3つだけ家内にやってもらいました(笑)

全シリーズの4割ですが、ここまででも相当のリアルさがあります。エンジンルームにエンジンを仮置きしてみましたが、やはり実物の1/10はかなりでかいことがわかります。



オトナの贅沢です.

ところで、ボディはどうなって提供されるんだろう…?
パッケージが大きいのかしらん?

※コメは適宜スルーして下さい。
Posted at 2012/06/17 11:35:43 | コメント(2) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2012年06月05日 イイね!

週刊トヨタ2000GT No,25

週刊トヨタ2000GT No,25週刊トヨタ2000GTも25号です。

今週号のデザイン&メカニズムは、ドアの内張りです。
2000GTのドアの内張りはドライバーに圧迫感を感じさせないように、様々な工夫が凝らされていた。

サイドウインドウには1500Rの局面ガラスを採用。また、ドアの内張り部分をえぐることによって、肘の部分のスペースも広げてある。

当時のトヨタでは最も高額な2000GTだったが、サイドウインドウの開閉は内張り前方下部に設けれられたレギュレーターハンドルを手で回す手動式。パワーウィンドウは、軽量化を旨とするスポーツカーには必要とされない装備なのだ。もっとも、高級セダンのクラウンですらまだパワーウィンドウを採用されていない時代だった。

ウィンドウレギュレーターハンドルの下には、ドアのへこみ部分を利用して、左右共に灰皿とシガーライターが取り付けられていた。今よりずっと喫煙率の高かった60年代には灰皿とシガーライターは必須の装備たったのである。

スポーツカーならではの工夫が至る所にあるんですね(^_^)
パワーウィンドウを初めて見た時は、魔法のウィンドウかと子供心に不思議に感じていました。今や灰皿は移動式、パワーウィンドウも当たり前の装備で不自由なく使っていますが、時代は変わりましたねσ(^_^;

もう一つのGT伝説名車図鑑は、ディーノ206/246GTです。
車好きならば、誰もがその名前や複数のモデルを正確にイメージすることのできる超高級スポーツカーメーカー、フェラーリ。

1960年代も後半に差し掛かった頃、当時世界的に盛んだったF2レース用エンジンとして、アルフレッドが残したV6ユニットが注目されるようになる。しかし、当時は一定の数を生産車に搭載して販売した実績がなければ、F2レース用エンジンとして使用できないというレギュレーションが存在していた。そのために企画されたのがディーノ206てある。

長くなるので、この辺で終わります。
フェラーリと言えば、記事の通り、超高級スポーツカーとイメージがあって近づき難い感があります。以前、モーターショーに行った時もクルマは当然触れずパンフもらうのも一苦労でした。私みたいな庶民が買えるクルマではないですが、一度でいいから『触ってみたい』(大笑)


そう言えば、独身のころ行きつけの飲み屋の娘さんにテスサロッサの模型をあげたっけ!!
その店に数年ぶりに行ったら、娘さん結婚してましたが、まだ模型を大切にしているという。
嬉しかったなぁ~(^_^)v
Posted at 2012/06/05 20:20:36 | コメント(2) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2012年05月29日 イイね!

羊の皮をかぶったオオカミ

羊の皮をかぶったオオカミ週刊トヨタ2000GT、今週号は日産スカイラインGT-R(1970)です。

かつて存在した自動車メーカー、プリンス自動車の名が消滅してから45年以上経った今、この社名は人々の記憶から消えつつある。しかし日産と合併した後も、消えることなく語り継がれる名がある。おそらくこの先も日産自動車のひとつの看板として生き続けるであろう車名「スカイライン」だ。

そもそも「スカイライン」という車名は、プリンス自動車が送り出したスタイリッシュでパワフルなモデルの名称だ。国内の自動車事情とえは実用性が優先された時代にもかかわらず、他のメーカーよりも一歩先に乗用車の理想像を商品化していたプリンス自動車。その先見性を表すかのごとく、初代スカイラインは非常に目を引くボディをまとっていた。中でも「スカイライン・スポーツ」はイタリアのデザイナー、ミケロッティに依頼した国産車離れした派手なエクステリアデザインだった。

2代目はすっきりした印象とアグレッシブなスタイルが上手く融合したものとなり、実用性も確保されていた。搭載された1500ccの4気筒エンジンは同クラスの中では最強のパワーを誇り、スポーティーな走りを満喫するには十分だった。

しかし、ただスポーティーだけでは飽きたらず、レースのGTクラスで勝利すべく、新たなラインが生産された。さらなるパワーを得るためにボンネットを20cm延長し、グロリアスーパー6に搭載していた6気筒エンジンを押し込んだ「スカイラインGT」である。

そして、1969年ベースのスカイラインそのままの4ドアボディにDOHCの2000cc6気筒エンジンが搭載された「GT-R」が発売された。さらに1970年にはスカイラインにスタイリッシュな2ドアのハードトップが追加された。GT-Rもこちらのモデルをベースとするようになった。

ただ、完全にレースベース車として登場したGT-Rは、扱いもメンテナンスも気難しく、街乗りを主とするドライバーたちが完調を維持するには極めて困難だった。

記事はこの辺で終わります。

この車は私が免許を取る以前の車なので、あまり関わりはありません。後のケン&メリーのキャッチフレーズで大流行した「スカイライン」の方が馴染みが深いです。特にブルーの2ドアハードトップのGT-Xは凄い人気でした。
で、一番大好きなのがケンメリGT-Rです。今見ても、スタイルはカッコいいし、あの精悍な顔が何とも言えません!!!

現在のスカイラインは今一歩スポーティーさに欠けるような気がします。スカイラインの象徴だった丸型テールは、GT-Rに受け継がれているものの、元祖はスカイラインではと、思います。

トヨタ乗りが生意気言ってすみません(爆)
Posted at 2012/05/29 23:45:33 | コメント(6) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2012年05月24日 イイね!

デロリアン DMC-12

デロリアン DMC-12いつものGT伝説名車図鑑です。

今週号は言わずと知れた映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でお馴染みのデロリアンです。

デロリアンは、アメリカ・ビッグ3の雄であるGMの役員職を辞した元エンジニアのジョン・ザッカー・デロリアンが、自らの名を冠し自動車生産に挑んだ会社「デロリアン・モーター・カンパニー」で生産されたクルマだ。


生産工場は北米ではなく英国の北アイルランド、それもアイルランド共和軍(IRA)の闘争真っただ中のベルファストに建設された。北アイルランド問題の解決のためには、高い失業率と貧困を抱える同地方の雇用拡大が必須であるという政府の方針に、工場誘致という計画が見事にマッチした結果である。こうして、政府からのサポートと資金援助を受け、デロリアン・モーター・カンパニーは北米で販売する同社初めてのモデル「DMC-12」を、大西洋を隔てた英国で生産することとなったのである。

新興メーカーであるデロリアンはエンジンの自社開発は荷が重かったため、エンジンはPRVのV型6気筒が採用された。PRVとは、プジョー、ルノー、ボルボの3社がそれぞれ異なるチューニングを施したものが、生産車に数多く採用されていた。

しかしながら、デロリアンの造るスポーツカーは成功するかに見えたが、いざ生産が始まってみると販売は好調は言い難かった。この主な理由として挙げられるのは2万5000ドルという北米での販売価格と、販売後に露呈した信頼性の低さだ。価格に見合わないという評価がささやかれたという。

さらに不運は続く。販売開始翌年の1982年、財務と経理倫理に関するトラブルが噴出、加えて、ジョン・デロリアンがコカイン密売容疑で連邦捜査局(FBI)によって身柄を拘束されてしまう。これにより先の見通しの立たなくなったデロリアン・モーター・カンパニーは生産を終了し、工場は閉鎖、会社は解散と言う結末を迎えることとなった。わずか2年にすら満たない生産期間と、8000台余りの生産台数が希少性を生んだが、DMC-12が人々の記憶に残る理由はほかにある。

会社解散から3年後、1985年に公開された「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に準主役的な役割で登場し、人気を集めたのだ。

DMC-12を特徴づけるポイントは3カ所ある。まずはボディパネルのほとんどがステンレス鋼板で製作されていることだ、つや消しヘアライン仕上げのステンレスボディは錆とは無縁であり、近代の生産車としてはあり得ない色艶をみせていた。ただし、ホディに触れると指紋が残り、拭いても取れないという難点もあった。

2つ目のポイントは、ガルウイング・ドア。

3つ目のポイントは、ミッドシップレイアウトである。

映画で取り上げられなけば現在まで語り継がれるようなクルマとなったか疑問は残るものの、1980年代に一瞬だけ輝いた、超個性的なモデルであったことは間違いない。

ということで、今日は休暇。ダイヤモンド・キーパーのコーティンクにヴェルを預ける日です。
午前中に郵便局・農協と駆け巡り、○○○○万円を預金して、これから行ってきます。
Posted at 2012/05/24 09:45:34 | コメント(6) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味
2012年05月16日 イイね!

フェアレディZ 432

フェアレディZ 432今週号の週刊トヨタ2000GT、伝説名車図鑑はフェアレディZ432です。

自分の中でフェアレディZと言えば、この型。
240ZGや今週号の432を含めて、たいそう憧れたクルマでした。

1969年に発売されたフェアレディZは、国内外の全モデルに直列6気筒エンジンを搭載。日本国内での主力は5ナンバー枠に収まる2000cc版の「L20型」エンジンだった。

さらにフェアレディZには、まったく毛色の異なるエンジンが搭載されたモデルが存在した。L型エンジンと共通するのは直列6気筒というレイアウトと、2000ccという排気量のみ。設計思想からすべてが異なるエンジンを搭載した″フェアレディZ″である。

この特別なフェアレディZに搭載されたのは、「S20型」エンジンだ。日産自動車に吸収合併されたプリンス自動車の製作したプロトタイプレーシングカー「R380」に搭載されていた「GR8型」エンジンをベースに、公道で使えるように再設計さるれたものである。

4バルブDOHCヘッドを持つ2000ccの直列6気筒、ノーマル状態で160psという性能は、当時世界的にみてもトップクラスだ。このエンジンを搭載したフェアレディZ、そしてスカイラインGT-Rはモータースポーツの世界でも大いに活躍した。

S20型エンジンを搭載したフェアレディZは、「Z432」と名付けられた。4バルブの「4」、3キャブレターの「3」、そしてDOHCの2カムシャフトの「2」を並べた3桁の数字を正式グレード名としたのは有名な話だ。

一方で、装備を外して徹底的に軽量化されたモータースポーツのベースモデルとされる「Z432-R」も、少量ながら生産・市販された。ボンネットはFRP製、サイドとリアウインドはアクリルにそれぞれ素材置換され、徹底的に軽量化か図られた。内装もノーマル比べ非常にシンプル。ヒーターすら省かれており、車両重量は940kgだった。このZ432-Rは30数台生産されたと言われているが、そのほとんどが競技車両てして使用されたため、販売状態の姿を残しているものは非常に少ないという。

国内で8万台、グローバルで55万台もの販売を記録したフェアレディZ。しかしZ432は400台を僅かに超える台数しか世に送り出されることはなかった。

このフェアレディZ、Z432というネーミングが好きでした。今はほとんど目にしませんが、まさに幻の名車だと思います。
当時は免許もなく、クルマなんぞ乗れるはずもありませんでしたが、随分と憧れたものでした。

Posted at 2012/05/16 23:08:39 | コメント(8) | トラックバック(0) | 模型 | 趣味

プロフィール

ヴェルファイアとテキトーに戯れています!

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

掲示板

<< 2025/11 >>

      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      

愛車一覧

トヨタ ヴェルファイア トヨタ ヴェルファイア
ヴェルファイア3号車
トヨタ ヴェルファイア トヨタ ヴェルファイア
VELLFIRE 2号車です。 2018年7月8日、引き渡ししました。
トヨタ ヴェルファイア トヨタ ヴェルファイア
念願だった1BOXをやっとの思いで買いました。
トヨタ ウィッシュ トヨタ ウィッシュ
6年2ケ月の間、たくさんのお友達を作ってくれました。 思い出がたくさん詰まった1台です。 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation