ぶらかつです。
今年も色々あった1年でした…。
こんなに世界が変わるとは思いもしなかった2020年。
この1年を後日振り返った時に
こんな事やあんな事があったと思い出せる様に
備忘録的に書き留めておこうかと。。
~1月~
いつもと変わらず、ただの「1日・ついたち」を迎えた元日。
普段通りに仕事をし帰る。
ただそれだけの普通の「1日」で2020年がスタート。
15日
今年は駐在地大使館公邸で賀詞交換会に参加。
あまり会う事の無い、いや会わないであろう
とてもユーモアのある特命全権大使と話す機会に恵まれ
また日本から輸送してきた食材で作ったおせち料理を頂き
体に染み渡るお出汁とつきたての餅を食べ
「あ~これよ。この味!」と皆で口を揃え、やっと正月気分を実感。
久しぶりに食べた「The・お袋の味」に感動すら覚えた日だった。
1月下旬。一時帰国。
その頃から、中国でコロナが拡がり初めていた。
もともと駐在地の環境汚染が酷く、PM2.5の値が日本の比では無いから
大量にN95用のマスクを注文していたのでマスク不足に困る事は無かったけど
今思うとあのマスク騒動は何だったのか。。
~2月~
4日に日本から現地に戻り、いつもの生活が続く。
~3月~
ここから事態は急変する!
現地でもコロナの感染者が出始めて「遂に来たか!」と動揺が…。
19日
「お~い、商業便のフライトが今夜で最後だってぇ~」と「えっマジで」
「その後、空港閉鎖されるってよ」と「えっマジで」(ノ・ω・)ノオオオォォォ-汗
3月は出張者もいたし、コロナの感染リスクが高い高齢者等を最優先に出国手続きを開始。
座席数にも限りがあるので最善策をとっての判断。
24日
残されたメンバーも僅かな期待を込めて、ダメ元で翌日以降の航空券を予約。
ただ、情報が錯綜し過ぎてどれが正しい情報なのか選別するのに一苦労。
搭乗するには医師の署名が入った健康診断書が必要だったので
現地で大変お世話になっている病院に行き、
「さぁこれから健康チェックをします」と部屋に入って待機していると
1本の電話が。。
「明日の便はキャンセルです!」
「次回はいつ出発するのかもう分かりませんっ!」と「えっマジで」
26日
遂にロックダウンが始まる。
いつもの喧騒とした街の光景が一変。
街の音が消え、あれだけひしめき合っていた人影も無くなり
「こんな静かな世界に変わるのかっ」とちょっと不気味さを感じた。。
残されたメンバーは事態の急変に対応出来るように
「なるべく行動を共にしよう!」と
同じ宿舎に移動し、そこでロックダウン生活が始まる。
31日
予てより噂があった「チャーター便」の情報が!
「これで日本に帰れる~~~~」って
藁をも掴む思いで直ぐに希望者リストに登録。
「早く日本へ帰りたい!」と思う人達が一杯いると思うが
なんとか第一次便の席を全員分確保ができ、皆で胸をなでおろす…。
これほど嬉しい日は無かったかもと思える日でした。
もうそこからは「搭乗出来なかったら洒落にならん!」と
体調管理に全集中で過ごす日々!
~4月~
2日
遂に出国の日を迎える。
まだまだロックダウンは継続中なのでいつもは激込みの道路も
車両が走っていないからスムーズに空港へ。
空港へ入る際に体温チェックがあるので、少しドキドキしながらゲートを通過。
搭乗ボードには各便に「欠航」の文字が並ぶ中
ただ一つ「CK-in Open」の文字をみて「これで無事帰れるのか」と…。
チャーター便を手配して頂いた関係各所の皆様に本当に感謝です!
そして業務の都合でどうしてもまだ帰れない人達に無事を祈りつつ出国。
いつもはどこかで経由しなければならず約14時間程掛かる行程ですが
直行便なので6時間で到着。大幅に時間が短縮されフライトの疲れなど全く無し。
今後も直行便が出来る様になればと願うばかりです。
日本到着後は会社手配のレンタカーで自主隔離のホテルへ移動。
1週間の隔離生活がスタート。
~5月~
国内も緊急事態宣言の中、在宅中心の勤務体制でリモートでの仕事になる。
ZoomやSkypeといったリモートツールでの打合せに少し戸惑いが。
~6月~
現地の感染拡大が止まらず、いつ戻れるのか?予測不能な状態になるが
プロジェクトの遅れを危惧するクライアントからの圧が強まる。
~7月~
現地に戻れる条件として隔離施設、医療設備・専属の医療従事者の確保が大前提との話合いが進む。
戻れる日が確定しないまま九州への転勤依頼を受ける。
超ご近所での地元過ぎるミネラルオフ開催
近所過ぎて散歩している気分でしたが、久しぶりにお会い出来て楽しいオフ会でした。
~8月~
6日
遂に宮崎への転勤が決まり異動。
約3か月間の限定で初めての地、九州・宮崎での単身赴任生活がスタート!
宮崎もコロナ禍の影響で、普段の賑わいでは無い様子だった。
盆休み
赴任直後だったので、家には帰らず宮崎に滞在。
ヤリスをレンタカーで借りて海岸線ドライブをしてみる事に。
日南海岸や日豊海岸沿いの青島や鵜戸神宮、日向、都農、大御神社といった
有名スポット、日本神話ゆかりの地をことりっぷ。
~9月~
残暑厳しい中、久しぶりの国内勤務でちょっとバテ気味になるも
宮崎グルメで体力を回復する日々を過ごす。
この頃、現地医療体制も確立され、いよいよ第一次渡航班が現地へと出発開始。
~10月~
宮崎生活最後の月。
思い残す事無く宮崎を楽しもうと仕事に励む。
第二次渡航班が現地へと出発。そして11月の第三次渡航班に決定。
宮崎と日本での残り少なくなった思い出を残そうと
食べていないグルメを食べまくる。
29日
いよいよ今日が宮崎での最終日。
短い期間であったが沢山の思い出を残す事が出来た。
宮崎駅と駅前が再開発され、とても綺麗な場所に生まれ変わった。
記念銘板も設置され、宮崎にも足跡を残せて嬉しく思う。
旅立つ際に楽しい良い思い出と離れたくない寂しさと複雑な心境で涙ぐむ。。
宮崎空港へと向かう列車を1本乗り過ごしたが、それが吉と出た。
隣の南宮崎駅になんとあの「ななつ星」が停留中!
折角九州に来たので一度は見て観たいと思っていたので
最後の最後に良い思い出が出来て「宮崎サイコー」って叫んでました。
でも一番の宮崎の思い出は「木挽Blue」との出会いかな(笑)
東日本では見た事無い、とっても美味しい焼酎でした。
~11月~
いよいよ再渡航に向けて準備が始まる。
健康診断や渡航前の最終打合せ、PCR検査など慌ただしい2週間だった。
当初は15日に出発予定だったが渡航便が欠航となり再度予約を入れる。
この時期でも、まだまだ不確定要素があり準備にアタフタする。
18日
明日の出発に向け集合時間が早いので空港近くのホテルに前泊。
美味しいお肉は暫く食べれないから
3日程前から宮崎で購入してきた宮崎牛三昧をしてきたが
やっぱり最後の晩餐も宮崎牛で〆た。
やっぱり日本の牛はサイコーに美味しい~~♪
19日
第三次渡航班出発日。
この班で前回メンバーが全員現地入りし且つ新メンバーも加入。
いよいよ出発。かなり不安で戻りたくない心境。。
しかしこんなにガラガラな空港は滅多に見れる光景では無いと思いました。
出国エリアのお店もほぼ閉鎖。人が居ない。
コロナ禍で大変な状況ではあると思うが航空業界も大打撃を受けているのが分かった。
それは乗り継ぎ地でもあったチャンギ空港も同様だった。
国際的なハブ空港でも同じ惨状、コロナで世界が激変した事をつくづく思い知った…。
~12月~
赴任して1ヶ月が経過。
現地感染状況は第2波が落ち着きつつある傾向ですが
これまでの感染者数は優に50万人以上を超えています。
まだまだ予断を許さない状況が続いて大変ですが
感染防止、危機感を持ってもう暫く我慢の生活をしなければなりませんね。
早く家族や友人、仕事仲間などと気兼ね無く過ごせる日々が来ることを願うばかりです。
もう日本は紅白歌合戦が始まった頃でしょうか?もう終盤ですかね?
時差が3時間あるので新年の挨拶を何時に言うべきか問題がありますが
やっぱり日本時間が良いのかな?
今年の大晦日は自室で一人で過ごす寂しい大晦日です。
でも明日「元日」は金曜日。現地では休日なので赴任して初めて「元日」休みになりました。
現地で過ごす今年が3回目の正月。
「元日ぐらい休もうよ」って言っても現地の人達にはあまり響かないようで。。
こちらの新年は4月ですからしょうがないか。。
という事で、今年のあれこれ、思い出あれこれを綴ってみました。
グダグダブログに最後までお付き合い頂きありがとうございました。
写真はみんカラらしく昨年訪れたローマでのスナップを。
「あ~何処か行きたいなぁ~」「自由に旅がしたいなぁ~」と思う気持ちを抑えつつ
こんな日が早く来ればいいですね。
今年最後のドタバタ投稿ですが、皆様良いお年をお迎え下さいませ!
そしてもうすぐ来る2021年はコロナに負けるな!
来年も細々とつながってますので、宜しくお願い申し上げます!!('◇')ゞ
あっ、因みに元気に生活しております!