さて、その初代Sシリーズの販売終了から29年が経ち、
ホンダ創立50周年記念にあわせて発表されたのが、
現行のS2000である。
S500が持っていたスピリットと、バイクのエンジンもかくや!と思わせる
9000rpmがレッドゾーンとなる超高回転ユニット(F20C)を備え、
NAでリッター125psを発揮するモデルとしての登場だった。
S2000は当初、SSMという名前でコンセプト展示された。
(95年の東京モーターショー)
当時はバブル崩壊後の余波をモロに食らっていた頃で、
就職難などという生易しいものではなく、
就職氷河期という言葉まで生まれた頃だ。
1990年に日本を代表するスポーツカーとしてデビューしたNSXの販売は、
当初はバカ売れ、注文から納車まで6年待ち!(理由は後日)
などという噂も流れたほどだった。
当時F40と共にスーパーバブルカーを象徴するかのような狂騒ぶりであったが、
91年中頃からキャンセルが相次ぎ、すでに販売は低迷していた。
しかしそのような中にあってもS2000の開発は鋭意に進められた。
要するに売れるか?売れないか?を重要視してのモデルではない。
NSXというスーパーカーをすでに世に送っていたホンダとしては、
技術の誇示・意地とプライドというより、
純粋に
ホンダを象徴するモデルとしてS2000を捉えていたといえる。
車をどのように楽しもうとも(良識の範囲で)、それは各ユーザーの自由である。
しかしS2000は
コンペティショナルな目的で開発されたのではない。
この点、思い違いをしているユーザーが存在していることは否めない。
オープンボディーであり、
あくまでスポーツユース・ドライバビリィティを中心に据えての開発であった。
但しそれがあまりにも素晴らしい素性を備えていたために、
違う土俵に引き出され(R系と)比較されてしまったといえる。
S2000の生い立ち・成り立ちから考えれば、
この車の評価にあたって、
サーキットタイム云々で判断するのは
野暮というものだ。
(参考値としての意義は十分にある)
それた話を戻す。
S2000の発表はそんな世相や、市場におけるスポーツカーのニーズとは関係無く、
ホンダが放つ久しぶりのオープンFRとして、
世界の自動車メディアをはじめ一般の話題をさらった。
もう13年前の話だが、つい最近のことのようだ。
これらの歴史からみても、
ホンダの「S」という車にかける意気込みをうかがい知ることが出来る。
(NSXは次期施行予定の排ガス規制クリアの壁にぶつかり、これを改善するのに際し多額の資金投入が必要になった。発売からマイチェンのみで15年が経過していたことや、新規顧客の獲得が困難という判断から2005年に生産中止が決定した。
つまり次世代に適応するのは困難であったようだ・・・)
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Posted at
2008/03/24 22:27:50