2021年12月26日
お久しぶりです。皆様お元気でしょうか?本日は車とは全く関係のない記事です。あらかじめご了承ください。
最近、何かと家事などの作業をしながら再び音楽鑑賞する機会が増えているのですが、悲しい事実を知ってしまったのです。
私のクラシック音楽好きのきっかけとなったオルガン奏者がつい数年前に鬼籍に入られておりました。(英国で活躍されていたピーター・ハーフォード氏)
私自身、オルガンとトロンボーンを演奏するのですが、トロンボーンは吹くのが好き、オルガンは弾くのも聴くのも好きで、一時期は特定の同じ曲を奏者別に聴くために相当な数のCDを贖ったものでした。(現在のようにユーチューブなどない時代でした)
数年前、著名なオルガン奏者であられる「マリー・クレール・アラン女史」
が鬼籍に入られて、高校生の頃に来日されていた際のコンサートに行けなかった事を後年になってもずっと悔やんでありました。さすがにハーフォード氏は私が演奏を聴くようになったころにはすでにかなりの高齢であったことから来日の可能性は相当低く実際、80年代位までしか来られなかったようですが。。。
芸能界の俳優の方々も、昔から活躍されているベテランの方々が亡くなられているのをニュースなどで観ていると、考えてみれば現在は2021年、物心のついた80年代や90年代から見ているお歴々の方々も相当高齢になっているのも当たり前だとふと思った次第です。
先日、久々に必要に迫られて証明写真を撮影したのですが、「私もずいぶんおじさんになったな・・・」と思ってしまいました(笑)
とりとめのない話になりましたが、時はあっという間に過ぎるので、どんどんやるべきこと、やりたいことはやるべきだ、と再考した次第でした。
Posted at 2021/12/26 00:38:59 | |
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音楽 | 日記
2014年08月26日
お盆も過ぎ、暑さが和らいでまいりましたが、皆様は如何お過ごしでしょうか?
最近PCの調子が悪く、みんカラはおろかインターネットに殆ど接続出来ずにおりました。最近の仔細を記してまいりたいと思います。
まず、以前にも記しました愛車(U14型ブルーバード)のマウントブラケットの一件は、私のふとした思い付きから一気に解決の方向に向かい始めております。「あっ、この瞬間が日産車だね」と言いたくなってしまう展開です・・・(苦笑)
お盆を過ぎた頃から地方出張が増えまして、今月第三週から第四週に掛けて毎日日帰り出張が続いておりました。連日富山県、宮城県、山形県、長野県、静岡県(西部)と出張していたにも関わらず、鱒寿司、牛タン、ミルクケーキ、蕎麦、うなぎは食べられず仕舞い^^;
出張続きに際し、会社の先輩が「そんなにクルマ(相棒)を走らせたらクルマがストを起こすぞ!(笑)」と冗談を言った先から、スライドドアのレールが腐食により開閉困難になってしまいました。以前の変速機の故障の際も故障する前にその先輩が同じ事を言っていたような・・・?直しても直してもトラブルが止まらなくなってきましたが、この件も乗り越えて見せます!
最後に、最近は「それが大事」という曲を聴きながら、何が「大事」かを考えております。。。
Posted at 2014/08/26 21:36:39 | |
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音楽 | 日記
2014年06月26日
時下益々御清栄の事とお慶び申し上げます。
中学校の音楽の授業で取り扱われる事が多くお聴きになられた事のある方が多いかと思いますが、ヨハン・セバスティアン・バッハ(以下J・S・バッハ)作曲の「フーガト短調(BWV578)」(通称小フーガ)というオルガン曲をご存知でしょうか?
私は初めてこの曲を聴いた時、雷(いかずち)に打たれたかのような衝撃を受けました。「なんて精巧に書かれた曲なのだろうか・・・」そういう心象を抱きました。
※演奏:トン・コープマン氏
※この曲に於いて私の最も好きな奏者の演奏(鈴木雅明氏)
この曲に関しては奏者ごとにどの様な解釈をしているのか、演奏をするのか、調べるために奏者ごとにCDを集めてしまったほどです・・・。
当時吹奏楽に足を突っ込んでトロンボーンを吹いていたものの、すっかりオルガンの魅力に憑りつかれてしまい、最初はピアノ教室、後にオルガン教室の門を叩いて吹奏楽そっちのけでオルガンやそれに関連する勉強をしたものでした。
では本題に戻りますが、通称「小フーガ」と呼ばれる所以は、J・S・バッハは作曲数が膨大にあり、後に今日でも用いられている「BWV」という曲番が振られておりますが、曲番が振られる以前、同名の曲(幻想曲とフーガト短調BWV542)と区別するために用いていた名残であるようです。
フーガとは何か?については以下のページに説明を譲りたいと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%AC#.E3.83.90.E3.83.AD.E3.83.83.E3.82.AF
※ウィキペディア「フーガ」
意外かも知れませんが、今日J・S・バッハは「音楽の父」と称され多くの人々にその楽曲を演奏され、聴かれ、親しまれていますが、生前は「作曲家」というよりも「オルガニスト」として有名であり、死後はその作品の殆どが忘れ去られてしまったと言われております。
後世、フェリックス・メンデルスゾーンが肉屋で肉を購った時、その包み紙に使われていたのがJ・S・バッハ作曲の「マタイ受難曲」の楽譜で、その後、メンデルスゾーンの努力によって「マタイ受難曲」の復活公演が催され、それを機に再びJ・S・バッハの作品が世間から注目を集めるようになったという逸話が残っています。
現在でもJ・S・バッハが作曲した作品全ての発掘には至っておらず、更に作品によっては他者の作品ではないか?と論争にもなっている曲も幾つかある様です。
西洋音楽に傾注する様になるきっかけを作ってくれた曲、「フーガト短調」でした。
Posted at 2014/06/26 18:36:55 | |
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音楽 | 日記