
『雑宝蔵経』というお経の中に、たとえお金や財産がなくても、誰かの役に立つことができる「無財の七施」が説かれています。
1.眼施(げんせ)
優しく温かいまなざしで、周りの人々の心を明るくするよう努めることです。
人間の目ぐらい複雑な色合いを映し出すものはありません。
その目にたたえられた和やかな光は、どんなにか人々を慰め、励ますことでしょ う。
2.和顔施(わげんせ)
和やかな顔、喜びにあふれた顔、希望にみちた顔で接すること。
心からの美しい笑顔こそまさに人生の花。
純粋無垢な笑顔に接する時、一瞬、人生の苦労を忘れ、生き甲斐さえ感じます。
3.言辞施(ごんじせ)
気持ちのいい、明るい言葉、温かい言葉で話しかけること。
チョットした言葉や激励が、相手を勇気づけたり、慰めたりするのです。
心からの優しい言葉はどんなに相手を喜ばせるか、計り知れません。
4.身施(しんせ)
肉体を使って人のため、社会のために働くことです。いわゆる無料奉仕すること です。
5.心施(しんせ)
相手の気持ちを考えたり、相手の喜びを共に喜ぶような心配りで、親身になって 接すること。
心からの感謝の言葉を述べるようにすることです。
「ありがとう」「すみません」
たったの5字の音声ですが、この世の中をどんなにか住みよく明るくするかしれ ません。
6.床座施(しょうざせ)
他の人のために気持ちよく、座席や場所を譲ること。
乗り物の座席の取り合いから、権力の座の争奪に至るまで、今日の世相を見て も、いかに床座施が必要かが知らされるではありませんか。少しでも床座施があ れば、この世はどんなに素晴らしく気持ちよく変わることでしょう。
7.房舎施(ぼうしゃせ)
求める人、訪ねてくる人があれば一宿一飯の施しを与え、その労をねぎらう親切 をいいます。
ちょっとした気づかいや、思いやりは、周りの人を含めほのぼのとした雰囲気を作ります。
この「無財の七施」という教えは、現代にもそのまま通用します。
日頃から、ほんの少しでも周りの人に、気を配り、思いやりをかけるように心がけましょうと。
しかし、思い違いというものもあります。
こんな話がありました。。
車椅子に乗っている人が、坂の下にいて、坂の上の方を見つめていました。
見かけたある方が、親切に「手伝いましょう」と声をかけたと同時に車椅子を押し始め、何とか坂を上がりきりました。
後は、平らな道路ですので、もう車椅子を押さなくても良いと思ったその方は、「失礼します」と言いその場を立ち去ろうとしました。
車椅子の方が、その方に言った言葉は、『なんで余計な事をしてくれたのですか。自力で頑張って上がろうと思っていたのに・・・・・』
別に感謝の言葉を期待していた訳ではありませんが、あまりにも意外な言葉に、何も答えられなかったそうです。
皆さんはどう思われますか。。
私が思うには、「手伝いましょう」と声をかけたところまでは良いのでしょうが、本人の意思確認がされないうちに手伝ってしまったこと。
本人も、上がりきったところで言うのではなく、途中でもちゃんと話をすべきだったこと。
双方とも、手伝うことと、手伝ってもらうことに慣れていなかったからなんでしょうね。。
親切とお節介は紙一重と言います。
お節介は、「かえって迷惑になるような余計な世話をやくこと。また、そのような人やさま。」のことです。
しかし、節介とは、「節操を堅く守り、世俗に流されないこと」です。
おを付けた、お節介とは意味が違ってくることから当て字とも言われています。。
親切もお節介も、時に他人の内にまで入り込む事になるため、慎重にならざるを得ないことには違いありません。
相手のことを考えるあまり、相手も自分と同じ考えであろうとか、きっと喜んでもらえるだろうと思い込んでしまう節もあります。
まだまだ初心者なんですよね。。
素直に相手に尋ねる事が必要なんでしょうね。。
けして「文句を言われたから二度としない」などと思わないように・・・
介助される側も介助されることに慣れて欲しいと思っています。。
お互い様なんですけどね。。
Posted at 2007/11/21 21:50:19 | |
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