
こんばんは。前回かつての日産5チャンネルについて語ってしまいましたが、語りついでにもうひとつ!
日産ディーラーの中で最後に登場し、最初に(実質的に)消滅した悲劇のディーラー。「チェリー店」(パルサー販売会社)について語りたいと思います。
60年代に入り、日本にもモーターリゼーションが訪れ自動車の販売台数が拡大。日産はさらなる市場拡大を目指して66年に、大衆車「サニー」が投入されます。しかし、ライバル・大トヨタの「カローラ」登場で覇権を奪われ、対抗上もう一つ下のクラスに新車種を投入することが決定! 旧プリンス開発陣が欧州車を範に取った小型FF車を「チェリー」として市場に送り込みます。
この時既に日産ディーラーは、日産店、モーター店と新設して間もないサニー店、プリンス自工との合併で加わったプリンス店。そしてもう一つ日産傘下に入った愛知機械がオート3輪や軽自動車を販売するために形成していたコニー店がありました。
愛知機械は先細りのオート3輪、赤字続きの軽自動車事業から撤退を決め、日産からの生産委託&自動車部品生産に特化を決めたため、販売系列だったコニー店に新車種が必要となり、白羽の矢が立ったのが新車種であるチェリーだったのです。
チェリーの投入でコニー店は「チェリー店」と改められ、従来のコニー店に加え、日産系列ディーラーや中小の自動車整備業者がチェリー店に馳せ参じます。
主力車種チェリーに加え、上級車種として当初はバイオレット。その後専用車種として77年にバイオレットの兄弟車「オースター」が投入されます(写真は85年登場の3代目)。
2代続いたチェリーは、78年に「パルサー」として生まれ変わりますが、販売店は「チェリー店」のまま。CMや広告では分かりやすいように「パルサー販売会社」と称していました。
ブルーバードG6(6気筒版)の後継として誕生したレパードのチェリー店版、「レパードTRX(トライエックス)」。日産店版レパードとの違いはフロントライトが4灯がTRX、2灯がレパード。
日産の欧州戦略車パルサーを中心に販売していたチェリー店は、盛んに国際志向の車種展開をアピール。
パルサーは「パルサー・ワールド」
オースターは「オースター・パシフィック」(キャッチフレーズの「南の風・オースター」から来ているのか?)
オースターは後に、英国日産最初の生産車種となるのて、パシフィックはともかく、国際車に間違いはありませんね。
レパードTRXの「TRXアメリカ」(これは意味不明。レパードは国内専用の為)
CMの最後には必ず「世界のパルサー販売」と称していました。
写真の3代目パルサーは、姉妹車ラングレー/リベルタと共に86年カーオブザイヤーを受賞する等、パルサーが比較的健闘するも他に売れ筋もなく、5番目のディーラーということで経営基盤の脆弱もあり70年代後半から赤字ディーラーを中心に吸収されるケースが続出。80年代後半にはプリンス系と販売車種が共通化され、ほとんどのチェリー店がプリンス店に吸収されます。
全県ディーラーとしては、日産チェリー岩手が唯一現存。東京、大阪等の大都市圏に存在する日産の特約店が「チェリー店」を名乗るに留まり、事実上約20年でその役割を終えます。
今考えて見ると、旧愛知機械の「コニー店」の受け皿が必要だったにせよ、大半のディーラーが赤字でプリンス系を中心に吸収されたことを踏まえると、5番目のディーラー「チェリー店」の存在意義には疑問も残るところです。いくらボディやメカニズムが共通の姉妹車でも、やはり作るにはお金が掛かるし、宣伝もしなくてはなりません。その経費を別に回せば日産の経営状態も幾分かは改善されて、ルノー支配下(?)に入らなくてもよかったのかもしれません。
あくまでも結果論なので一概には言えませんが‥
身近にチェリー店がなかったので、思い出ってない(CM位かな?)ので、チェリー店の思い出がある方は何か教えてください。
2000年に消滅したパルサー。オーストラリア、タイ、ヨーロッパ等でティーダのモデルチェンジ版をパルサーとして販売するそうです。写真を見ている限り、なかなかカッコよく走りも質感も良さそうなので、ノートの上級車種としてぜひ日本市場にも投入を熱望します。
Posted at 2014/10/29 22:40:04 | |
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