
今日パソコンのHDD内を整理していたら懐かしいものがでてきた。
NHK FM で放送されていたクロスオーバーイレブンの朗読文であります。
若かりし日よく聞いてアーティストとかチェックしていたものです。
クリス・レアに出会ったのもこの番組でした。
文だらけで長いのでご容赦を。
朗読文ご紹介。
まず最初に断りますが著作権的にまずいようでしたら削除いたします。
"野の花"
秋の野には,さまざまな花が咲いている。
花の終わったものには実がなっている。
その実を地に落とすなり,虫に運ばせるなり所定の役割を果たしてから,木や草は枯れて冬の眠りに入るのだ。
ある本を読んでいたら,「花というものは,逆立ちして性器を天に向けて露出しているようなものだ」という文章があった。
いささか品の無い表現ではあるが,なるほど言われてみればそのとおりだ。
美しい花は,生殖の機能を持っている。
多くの植物は美しい花を咲かせることで存在を誇示し,生殖を成就させて子孫の繁栄をはかるのである。
花は確かに美しいが,花の美しさに一種の押し付けがましさがあるのはそのせいかもしれない。
野に咲く花はおおむね小さくて慎ましい。
花屋で売っている栽培種と比べると,茎の多さ葉の多さに比べて花が小さい。
一見したところあまり目立たない。
しかし,野の花は良く見ると実に品格があるものだ。
花の描く輪郭がシャープでどこにも崩れたところが無い。
花屋の花のように人に媚びるところが無い。
私は見るたびに不思議に思う。
大きな花を咲かせる栽培種は,人間が品種をしてきたものだ。
人はよりいっそう人の目を喜ばせる美しい花を造ろうと思ってそうしてきたわけだが,そうして造られた花はその姿に媚びを含んでいる。
花というものがもともと動物達の目を惹きつけるために存在するものである以上,花に媚びがあるのは当然だが,その媚びを人の媚びが助長しているのである。
チューリップの原種というものを見たことがあるが,それは親指の先にも満たないほどの小さな花で,しかも微塵も崩れたところの無いシャープな輪郭が印象的な,人を圧倒する品格を持っていた。
チューリップに限らず原生種や野生種は,人に栽培された花には無い一種の気高い自尊心とでもいうべきものがあるような気がしてならない。
人に媚び,人に養われて美味しいものを食って太っていると,きっと碌なことがないのだ。
と,美しい野の花を見るときだけ私は殊勝な感想を抱く。
1987,11,13 NHK FM クロスオーバーイレブンより 原文そのまま
若い頃の自分は何を感じてコレを文章に起こしたのだろうか?。
思春期の頃の自分は何を考えたのだろうか?。
自分の中にはっきりと過去の記憶が思い返されないのではないか?。
そう思いそうだとしたら年をとったからといっても必ずしもその分だけ賢くなるわけでもないのか?。
と少し寂しくなりました。
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Posted at
2015/10/28 20:12:20