
食育って、きちんとした食事を与えてバランス良く栄養をとって、子供の健やかな成長を促す。食べる事の大切さを説いた言葉だったと思うけど、食育基本法なんて、法律まで出来ているんですね、びっくり。
しかし、ダイブツが考える、食育って、もっともっと広義だと思う。
ただ単に栄養のバランスや、安全性の高いものを食べる事だけでなく、豊かな人間性の形成には、家で
きちんと食事を作る、て事が実はとても大切であると思う。
自分の子供時代を振り返ってみる。
お腹をすかせて家で夕ご飯の支度を待つ間、台所から、美味しそ~な匂いがたちこめてくる。じゃがいもが柔らか~く煮えたような匂い。う~ん、これは今日はカレーライスかっ!と、わくわくしながらごはんの出来上がるのを待つ。(これが肉じゃがだったりすると子供の自分には非常にがっかりしたりするんだけど。。。)
そんな料理を作る過程の美味しそうな様々な匂い。これを自分の五感で感じる。そして(何がいったいできるのか!?と)想像力を膨らませて、ごはんを待つ。
こんな日常生活のあたりまえの事が五感や想像力の発展に大きな影響を及ぼすと思う、成長過程の子供にとっては。
そして、ごはんを自分の為に手間をかけて作ってもらう事が自分が大切にされてる=自分は価値のある大切な人間だという(知らず知らずのうちの)認識の形成。
この二つは実は私が一人暮らしを始めて、自炊なんて面倒くさい、仕事が残業続きになると自炊なんて出来っか!と1ケ月ぐらい外食や、惣菜を買ってくる食事を続けていた時にふとわきあがった思いなんです。
久しぶりに自炊して部屋中に立ち込める料理の匂い。この部屋にこんな匂いを発生させたのは久しぶりだと匂いを嗅ぎながら、すごく生きていく事の暖かいリアルティを感じたのです。いままでの1ケ月は無味乾燥な白黒写真の風景だったような。
そして惣菜だらけの食事は簡単・便利であるけど、知らず知らずにどうでもいい存在のように自分で自分を思ってしまっていたのに気づいたのは、やはり久しぶりに自炊した時です。
自分のためではあるけど、
手間かけて作った料理を食べるこれをする事で自分が大切な存在だと自分で思えるんです。
知らず知らずに自分を落としこめていた事にハっとしたんです。
よく
顔の見えない人の作った料理が食べれない、という人がいますが、同じ事だと思います。
誰が誰の為に作るという図式が見えない料理には、自分の為にという根源である愛情が感じれないから、その料理は受け止める事ができない、って事です。
そういう事を言う人はものすごく感受性が鋭い人だと思います。
手間かけて料理作る=愛情。
そんなものが料理にこめられているんです。
自炊でも自分で自分に愛情をおくりこんでやっているんです。
ましてや、母親が子供に伝える一番、伝えやすい愛情が、この「ごはんを作る」この日常的で当たり前の事かなと。
これがダイブツの考える食育です。
一人で食べる個食云々が良くないとか言われ続けてますけど、私はよっぽどこの、ちゃんとごはんを作ってあげる、これさえ出来ていれば大丈夫なんじゃないかな、と思いますが。
で、アップした画像は今日、会社でIHコンロを使いこなすために社員でワイワイと夕ご飯を一緒に作っていこう!という取り組みを始めた第一弾の料理&夕食会のものです。
Posted at 2006/11/09 23:58:06 | |
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ごはん&グルメ | 日記