2014年11月13日
・部屋が明るい。朝起きてみると、部屋が妙に明るい。ちょうど雪が降った朝みたいで、屋根の照り返しが部屋に入ってきてまぶしいのだ。朝の目覚めにはいいけど、夏場は窓の前のスダレの固定をもっとがっしりやらないといかんな。今年も台風のたびにスダレは外れちゃってたし。
・軽トラのオイル交換とオイルクーラー取り付け、一応こうしようと思っていたプランがあったのだけれど、脱線して別の方法で取り付けてしまった。まあ、ついてりゃいいんだけどさ。オイルは量は正常で消費は止まっているっぽい。色はやや茶色で、焦げ気味な部分もあり、やはり温度が高すぎるんだろうな。オイルクーラー付けてオイル入れてプラグコード抜いてクランキングするも、いつまでたってもオイルプレッシャーランプが付きっぱなし。おかしいなぁと思ってエレメントを外したらちゃんとオイルは来ている。再び動かしたらやっと油圧が上がった。そんだけオイルラインの容量が増えていて、基本2.5リットルぐらいな所、4リッターちょっと入った。
オイルラインについては諸説あって、今回はオーソドックスな上入れ上出しが出来ず、横置きになってしまった。この横置きも諸説あって、上入れ下出しがいい、いや、下入れ上出しがいい、様々である。ただ、私の場合オイルラインの取り回しの関係でへんな角度に置いたのでホースが一番高い場所に来た。なので、オイル落ちとかは心配しないでいい。実際これまではオイルランプってエンジン始動してワンテンポあって消えていたのが、今はすぐに消える・・・というか常に油圧掛かってるのかつかない事すらある。
油温センサーも配置して配線するだけになっているのだが、油温そのものはまだ分からない。しかし、そこらへん走っただけでもオイルクーラーは触るのが厳しいほど、多分80度ぐらいまで上がっている。まあ80度で安定するならいいけど、なんか安心出来ない感じだ。場合によっては冬場でもシュラウド作らないといけないかもな。
それよりなにより、今回はこの工作のためオイル交換を引っ張ったので、オイルの物理的な劣化は進んでいたらしく、交換後はものすごくフィールが良くなった。いかにも新油を入れましたって感じで気持ちいい。オイル交換自体は軽トラだと5分もありゃ終わるので(エレメント交換しても1分かかるかどうか)、交換そのものが手間って訳ではないが。
・皆さんは稲生物怪録というのをご存じだろうか?江戸中期の広島で肝試しをした16歳の武家の所に様々な化け物が出てきたのを記録した本、という触れ込みである。私は子供の頃に子供向けに書かれた本の上巻だけ読んで「どうなるんだろう」とワクワクしていたのだが、結局下巻は図書館には入らず(あるいは出版が間に合わず)記憶の片隅にしまい込んでいた。その名前が稲生物語ではなく稲生物怪録だと知ったのも割と最近だったのだが、原書は当然古文に近いので読めないし、誰か翻訳ないかと思ったら、とてもありがたい注釈本があったので読んでいる。
まず、なぜ翻訳が簡単でないかと言うと、広く流布した本は柏という人物の絵本らしく、おどろおどろしい妖怪が絵で描かれている。なので文章だけだと描写のどこが本筋なのか分かりづらいって事が一つ。また、この本の面白い所は登場人物が実在の三次の人達で、主人公の稲生武太夫もまた存在しており、彼自身による手記も残っている。それらと読み合わせを行うのはかなり大変なのだろう。その分、メチャクチャ本が厚くなってしまっているが、毎晩一体の妖怪が出たと思えば読み続けられそうではある。
その中でいきなり「そういえば」とびっくりした指摘は物語の巨人や鬼の一部は金属民であるという事。たたらによる金属の精錬技術は渡来人によってもたらされたが、同時に彼らは資源を求めて山野や河川上流部を移住する山の民でもあった。タタラを信奉する異教徒であり、職業上の風貌の変化もあったと言われている。つまり、炎を見続ける為に片目が潰れ、熱い熱で焙られて赤く焼け、タタラを踏み続けるため足を悪くするというのである。これらが「片足片目の赤鬼」のベースになったと言うし、もっと前は彼らは神であったと。金属精錬の神は神話においては上記の姿として描かれる事が多く、日本書紀ではアマツマラという鍛造の神様が出てくるが、ギリシャでもゼウスの雷の武器を鍛えたのは片足のヘーパイストスという神様と、その手下の片目の巨人、キュープクロス(サイクロプス)達だと言う。ま、ギリシャ神話と日本神話はおっそろしいほど似ているよね。で、かつては金属民はそれらの神の系譜に連なる神性を帯びていたのだけれど、その技術が広く出回り製品が普通に見られるようになると、その神性がはぎ取られて俗、というより畏怖の面のみが残されるようになったのではないか?という指摘である。これを本に出てくるイッポンダタラという妖怪から連想する筆者もすごいが・・・
また、この金属民・山の民・平地民の三つどもえの確執を書いた「もののけ姫」はアニメとしての娯楽性、メッセージ性はともかく、歴史フィクションやメタファーとしては大変優れ居ていた事も分かる。たたら場が平地に固定される事になり環境汚染が固定化し、原住民の山の民とも対立するし、平地の豪族や朝廷とも対立するあたりはなるほどなぁと思う。ちょっと平地民側の代表がジゴボウという山伏の姿の間者一人ってのがさみしくはあったが。
そう言えば先日聞いて「なるほどなぁ」と思ったのが大仏建立の話。大仏を立てたきっかけは「病気の広まりなど国土の荒廃を神仏の力でどうとかしようと思った天皇の発心」って事になっているが、実際は大仏を作るには大量の銅やメッキのための金の使用が必要であり、過剰な伐採による治水能力の低下や、精錬時に出る汚染物質による河川など環境破壊、そして金メッキを当時は水銀でやっていたので有機水銀中毒の発生という公害と、どう考えても順序が逆だと。大仏建てたがゆえに奈良周辺は災害に襲われたはずであり、。後世でその時系列を逆にしたのではないかと言う指摘があった。
Posted at 2014/11/14 17:13:44 | |
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