2016年12月31日
・今日は家の延びすぎたシラカシを剪定、電線に干渉しだしていたので気になっていた。不安定な高所で剪定する事になっていて不安だったが、良く切れる剪定ノコのお陰で簡単に終わって日光も入るようになった。すごい。出た枝とか農作業関係のゴミを運び出して家も少し片付いた。あとは巨峰園の剪定、やっぱり枝が弱い。基本的には左右の枝が接触するぐらい、1.5m程度は伸びて欲しいのだが、1m以下の枝もあったりする。そして誘引してると根本からバキバキとひどい音がする。やっぱり短梢は樹勢を弱めてしまうから、長期使う事を考えると樹冠はほどほどの大きさにした方が良さそう。またシャイン園を確認してきたが、細い枝は枯れ込みが入っていて来年は棚下線に沿わせた部分はあまり実用になりそうもない。ま、2年間は樹冠拡大につとめて何も生らすなという事だろうな。
・薪ストーブガンガン焚いて温度を上げて快適に過ごす。うちの裏にある薪だけでも今シーズンで消費しちゃいたいのだが、使い切るか微妙だな。これから本格的に寒くなるにせよ、そこまで使わない気がする。ただ、ここで読書していると冷える。温度計だと23度ぐらいを表示していてもどこか冷える。気になって放射温度計で測定してみると、案の定天井は23とか29度、部屋全体でも17度はあるのに、床周辺が6度とか8度のまま。この温度差が足元から冷えを運んでくるようだ。床の断熱はやってないので、とりあえずサーキュレーターを天井にむけて運転したら大分すごしやすくなった。ソーラーで沸かしたお湯で一年最後のお風呂に入ってきたら、部屋の温度も安定して寒くはなくなっていた。こういうの見ているとサーキュレーターとかシーリングファンが有効に思えるが、近年の断熱の発達した家だとそもそも温度差がそんな無いとも聞く。まあ有効かも知れないけれど、「床暖房」というのは絶対悪だとは言える(オンドルとかそういうのは抜かす)。お湯が沸いたので年越しそば。
・MMDの鳥獣戯画を見ていて「これダルマカエルかトノサマガエルでアマガエルじゃないよな」という事に気がついた。カリカチュアが効いているので断言はできないが、あの丸みはダルマガエルの方が印象としては近い。しかし鳥獣戯画は京都周辺の寺で作られた物と見られており、正中線がくっきりしている事から名古屋ダルマガエルでもないとすると、トウキョウダルマガエルは分布があわず、トノサマガエルという事になるだろうか。本題としては「現在カエルとして一般的なのはアマガエルなのに、どうしてトノサマガエルなんだろう」という事、他にもガマガエルとかモリアオガエルなどもいるのに。まず考えられるのは実際に当時はトノサマガエルの方が多かったのではないか?という事。当時はカエルと言えばトノサマガエルだったと真っ先に考えてしまう。逆に現在トノサマガエルはかなり減ってきている気がするので調べて見ると、その原因が分かってきた。
トノサマガエルは私が見た事あるのは小さい池とか水張りっぱなしの水田だった。成体になるとブドウ園とか渓流でも見かけるが、繁殖は基本水田。そしてトノサマガエルがいる水田ではアマガエルは見た事がない。おそらく捕食対象になるのだろう。しかしアマガエルは変態が早く梅雨時には小さいカエルた大量に道路なんかで轢かれているのを見る。一方トノサマガエルは変態が遅く秋までかかる。その間はオタマジャクシなので、水が干上がるとおじゃんである。で、現在の稲作は8月になると水を落として虫干しや間断潅水にするし、水路網が発達して機械化のために平滑化しているので水が常にある所は少ない。結果、トノサマガエルのオタマジャクシは成体になれずに死んでしまう。
一方昔の水田を見ると、まず田植え時期が遅かった。今は5月に植えて9月に刈るのが普通だが、昔は6月に植えて10月過ぎまでかかった。また虫干しは地域性があり、やらない所もある。というのは水田の水持ちが悪いので虫干しすると排水が良すぎる事があるのだ。また水路網も細く停滞していて、場合によっては水田内に水路を造ったりもしていた。という事で、昔の方がトノサマガエルの生育には適しており、そうするとアマガエルを捕食してトノサマガエルが優性だったのではないか?と推測出来る。
それでは他の資料に昔のカエルがどのカエルだったか分かるものはあるだろうか?真っ先に思いついたのは小林一茶の「やせがえる まけるな一茶 ここにあり」である。この句の解釈は二つあるようで、一つは俳句でよく題材にされているらしい、柳にカエルが飛びつく場面、もう一つは交尾の競争という解釈である。今は多分だが後者の解釈の方がメジャーだと思われる(私もそう思っていた、というのはカエルが相撲している絵が添えられている事が多いから)。さて、交尾の時に縄張りで争うのはトノサマガエルの方らしい。アマガエルは鳴いて呼び寄せるがそれほど激しくケンカはしてないように感じる。トノサマガエルの場合はもっと積極的に雄同士がケンカしている。ま、元が肉食で攻撃的なので、下手すりゃ共食いするし。という事で一茶の俳句はどちらかと言えばトノサマガエル寄り。一方柳にカエルという話は樹上性や張り付く姿勢などからアマガエル寄りに思われる。ま、この柳にカエルの逸話は小野道風とか言う風雅の人の逸話なので、田舎の水田で小動物を見ていた一茶とは対極だと思うがどうだろう?
・年末に衝動買いしたプラモやラジコンを組んでいる。なんかの代償行為のような気もするが、これ子供の時に作れてたらナァ・・・と何度も思う。説明書は分かりやすいが、それでも結構理解が必要だし、タミヤ純正でないメカ部分に関しては説明書も不完全(というか中国語)で悩んだりした。ええと、今の電動ラジコンはBECと言って受信機電源とモーター電源が共用になってて、さらにアンプからそれが出ているので「入力なんだけど出力」というへんな事になってる。そのコネクターの方向性で悩んだのだが、両方させちゃう受信機でもコントロール(白とか黄色線)、+(赤) マイナス(黒)は書いてあったのでメカチェックOK。そんなこんなで無事年がこせました。
Posted at 2017/01/01 00:19:29 | |
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2016年12月30日
・今日は昼から快晴だったので、レストランに牛ホホ肉の煮込みを食べに行った。スープからデザートまで付いたコースメニューで大満足、車じゃないのでワインも楽しめた。最初はフランを飲んで甘い香りに感動したのだが、ホホ肉のワイン煮込みだとソースに負けてしまうのでメルロ2011樽熟成まで頼んでしまった。はあ、幸せ。今更なんだけど味や皿の話からすると、前食べたのは前のシェフの時かも知れない。山辺は基本白が強くて赤は稀にしかフルボディーは作られない(近年だと2007,2009だったか)のではあるが、熟成させたメルロは塩尻のようにトマトのようなまろやかさはないけれど、これはこれでちゃんと赤の強さがあるのも発見だった。来年もワイン会やりたい、今度はちょっと高い奴で。
・巨峰も剪定はじめたが、枝が硬い。ピオーネより堅い気がする。ピオーネは太い分生組織が多いからか、割と生っぽく切れる。巨峰はツルも硬いし枝の柔軟性がない。一本伐採してかなり欠損してしまったので誘引しなおしているが、なかなか上手く棚下線に沿わせられない。そろそろ電動ハサミの出番かな。
爺さんの園については少しずつ自分の希望みたいなのが見えてきた。まず爺さんの園の半分は借りて改植かける。これなら負担も少ないし、切り替えも出来る。で、嫁さん名義の口座と生産者組合入会やってもらい、費用は爺さん負担。消毒は実費で継続。成園後は嫁さんに返してもいいし、残り半分の切り替えを途中で都合で入れてもいい。ダメなのは中途半端、特に爺さんは人がよくて日和見しやすい。
・最近光文社NF(ノンフィクション)の大戦物を沢山読んでいるが、なんで昔これにはまらなかったのか不思議だ。大戦機の文庫本とか持っているってのに。さて、先日来FW190とBf109の話に終始しているが、その軸でまた新しい逸話発見。FW190で勇名を馳せたヴァルター・ノヴォトニーだが、調べたらBf109も使っていた。やっぱり両刀使いというかエースは何でも乗れるし、この二機種の方向性に大差ない事が分かる。でもノヴォトニーがやけにフォッケウルフ使いというイメージがあるなぁと思ったら、彼は一時期クルトタンク博士の元に赴いてFW190の改良の実地テストやアドバイスを行っていたようなのだ。
FW190に液冷エンジン積んだのがあると先日ちらと書いたが、このノヴォトニーがテストしたFW190D9がそれで、D型はユモ213という液冷を機首を延長して無理やり積んでいる。が、バランスは悪くなかったらしく、書いたようにモーターカノンも搭載出来るというメリットも出ている。また、DB603を積んだC型も企画されている。そもそもFW190が空冷にしたのはBf109のDB601の生産性・信頼性がまだ低かったからであるのだが、段々そこらへんの信頼性が上がったのか、BMW801だとどうしても限界があったのかは不明。まあ、エンジニア的には本命は液冷だったのだろう。ここらへんを見ると液冷エンジンを採用したけど生産性が低くて空冷に戻した日本海軍の三式飛燕と5式の間の関係が、ドイツにおけるBf109とFW190の関係に似ている事が分かるし、さらに言えば最初から五式で付くっておいて液冷にすりゃ良かったのに、見込み発車でやってしまった日本の技術力と企画力の低さも分かる。って他に実用液冷ないからしょうないか。
さて、ノヴォトニーがクルトタンク側とでも言うべき存在だったのに対していささか皮肉な事だが、ノヴォトニーがエンジン不調で落とされる原因になったMe262は名称から分かるようにメッサーシュミット博士の設計による物だ。とは言え世界初のジェット戦闘機かつ最高速は圧倒的に優れていた事などからメッサーシュミット博士の設計がまずかったとは到底言えないし、ノヴォトニーの墜落の時のエピソードも偶然か必然かルフトバッフェの主張を裏付ける形だった。
それは「安いジェット燃料(灯油みたいなもん)で滅茶苦茶早いジェットエンジンが出来るんだったら、単発でヒットラーユーゲント(少年兵)のパイロットどんどん投入しようず!」という物で、空軍のナチの大将のゲーリングが主張、現場トップのガーランドは大反対で、いかにジェットが不安定か視察させてた最中にノヴォトニーというエースオブエースがエンジン不調から撃墜され死亡している。ついでにガーランドもゲーリングに罷免されてジェット隊で復活するが、それは特攻機にのせてりゃいずれ戦死げふんごふん、ってな感じだったらしい。
とまあきな臭い話には事書かない訳だが、私がメッサーシュミットに感じる不快感は読むにつれハッキリとしてきた。それはメッサーシュミット博士の政治性と楽観的理想主義、そして実力不足である。ガンダムの一年戦争をジオン側から見た「イグルー」というシリーズがあるのだが、その中にモビルスーツ ヅダというのがある。性能は優れているものの何故かジオニックのザクに主力機の地位を奪われたという物で、モデルになっているのはハインケルのHe112である。信頼性や生産性に問題があったとは言われるが、Bf109がじゃあ優れているのかという疑問と、そもそも損耗率や陳腐化が激しい中で使い捨てって感じもあったように思う。でも、一番いわれているのはメッサーシュミット博士がナチ党員だったからという話で、これはこの後もメッサー優遇で度々言われるようになる。そして、日本の堀越二朗と似ているのだが、メッサーシュミット博士だけが天才ともてはやされて絶対視されてると、後継機開発もそいつに任せておけ!って話になって、結局実力不足から後継機開発が遅れて戦力低下という事になるのも似ている。まあ堀越二朗の場合は零戦の改良につきっきりだったという話もあるし、当時の問題は機体設計よりエンジン信頼性だった気もするので、すべて設計者に帰す事は出来ないが。よく「零戦は軽量なため発展の余地が少なく最後は仕方なく使っていたが、元から重戦闘機だった欧米(というか具体的に当てはまるのはスピットとメッサー、フォッケぐらい、P51とかP47は新しいし)にしても、後継機開発に失敗したのでやむを得ずって側面がかなりある。ドイツだって後継機を開発していたのだが、メッサーシュミットの作品が失敗作で切り替えられず、プレッシャーもかかったと言われている。ひ弱なサラブレッドは設計者にも言える傾向だったのだ。
さらにもう一つ調べて居てわかった事がある。私はBf109をメッサーと読んでいるが、Me262もメッサーである。なんでメッサーシュミットが作ったのにBfなんかと言うと、これはバイエルン航空機製造という会社が作っていて、博士はその中の設計士の一人だったから。後にこの会社がメッサーシュミット社になったので経営は継続しているが、言ってみれば「三菱零戦が堀越零戦になった」ような感じ。で、本来はチームで設計するんだけれど、ウィキにも出ているように主任設計士はロベルト・ルッサーってオッサンで、メッサーシュミットじゃあない。ところがナチのメッサーシュミットがヒーロー扱いになってこのオッサンの事は忘れられてたっぽい。最近はBf109の成功はロベルトルッサーの功績が大きいという分析もある。Bf109の前身の民生モデルnBf108はメッサーシュミットの設計が大きいと言われるので、まあどっちもどっちかも知れないし、ルッサーはルッサーでこれまたひ弱なサラブレッド設計だったらしいけどね。という事で、これまたガンダム世界で言うなら、メッサーシュミットはミカムラ博士、ルーサーがカッシュ博士、ウルベがゲーリングみたいな感じですわ。え?わからない。つまり怒りのスーパーモードのみのシャイニングガンダムを作ったのがミカムラ博士、それをちょちょいと弄って完成品にさせ、しかもUガンダムとか作ってたけどやっぱり少し人間おかしいカッシュ博士、ミカムラ博士を取り立ててこき使ったけど、あんまり評価してなかったウルベみたいな関係。実際、ゲーリング側にいたメッサーシュミット博士に対するガーランドなど現場側の反感は察せられる部分があるのだが、一方でBf109を排斥しようずみたいな感じはないし、Me262は評価されてたりするから、ドイツ軍人は割と合理的割り切りが出来たのかも知れないし、ルーサー博士のBf109という認識があったのかも知れない。
・今日も薪ストーブで豚汁を大量に作った、もう年始3日まで大丈夫そうだ。しかし出汁の素材が見あたらない、どこ行った。軽くスクワットなどもはじめているが、腰は大丈夫そうで一安心。血行がいいと寒さも気にならない。明日も剪定か、畑の雑草焼きたいし、機械もいじりたい。
Posted at 2016/12/31 03:12:22 | |
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2016年12月29日
・「撃墜王列伝ー大空のエースたちの生涯」 鈴木五朗 著
興味がない人達にはほんと申し訳ない話が続くが、エーリッヒ・ハルトマンの項目で1943年頃に再びFW190への機種変換の打診が来たけれど、JG11(部隊番号)のエース達はBf109F及びGの継続を望んだという話が出てきた。この時のメンバーはバッツ・ラル・ハルトマン・バルクホルンなど世界的なエースだったので、当Bf109の継続が決まったという話である。先日書いたように、エースのこういう記録がメッサーを名機という事にしている重要な要素なのだろう。
が、さらに掘り下げてみるとどうも分からない事がある。それはFW190の方が鈴木氏の記述によると旋回性、上昇性も優れ、速度も中高度までは同等か勝っていたとされているからだ。これが性能が劣る機種であれば断る理由も分かるんだが、別に劣る訳ではないというか、ドイツ空軍のゲーリングにしたってそれぐらい分かるだろう。確かに日本海軍でも零戦が採用された直後は97式の方が旋回性能がいいからと機種転換に難色を示したパイロットが多かったという話しはあるし、鍾馗など「スペックはいいんだけど操縦性や視界がねえ・・・・」という欠点があったケースもある。ただ、最終的に言えば欠点があろうがなかろうが、空戦で敵を落とせる機体がいい機体であり、それはパイロットや空軍の戦術に沿っているかになる。
良く知られるように日本の戦闘機が最後の方まで格闘戦を重視したのに対し、アメリカをはじめ海外の戦闘機は馬力と重量を上げ一撃離脱タイプの戦い方を良しとしたと言われる。で、Bf109は割とその方向だったのだが、FW190が旋回性に優れたからと言って別に一撃離脱が不得意だった訳でもない。むしろパターンに持ち込めなければ弱いメッサーより柔軟かつ特定パターンでも強かったと読めるんだが、なんなんだろうね?
また高々度爆撃機の要撃に対してFW190は高々度性能が足りなかった、という事は考えられるが、日本のようにB29だけ相手にしていた訳ではないドイツではちょっと事情が異なる。確かに西部ではアメリカが参戦してからムスタングとかとも戦っているらしいのだが、東部ではソ連と戦っている。そしてエースが落としまくった敵というのはヤクだのラグだののソ連戦闘機もさることながらIL2シュトルモビクのような「対地攻撃機」がとても多かったとも書いてある。地上戦のサポートの意味合いが強く、IL2は低空を飛ぶ訳だから高々度性能は捨ててもかまわない。さらに言うとFW190は対爆撃機戦でもメッサー以上に活躍している。というのはメッサーは運動性能の代償として防弾性や強度が低く、被弾覚悟で突っ込むような戦い方には向いていなかったからだ。
驚くべき事だが、なんとドイツ空軍は爆撃機に対して体当たり撃墜方法を編み出していたりする。体当たりと言うとB29に五式とかで突っ込んだ話を連想するがそうではない。丈夫なFW190でB24とかの翼に覆い被さるようにぶつけてもぎ取っていたらしいのだ・・・それなんてスター無敵ですか?って感じ。もちろんFW190も無事では済まないのだけれど、正面衝突とかではないのでそっから脱出していたとあるが、ホントなんかイマイチ信じられないな。でもウィキにも突撃攻撃が推奨とか書いてある。まあ、そこまで強化した機体は鈍重なので空中戦性能は低かったみたいだが。
・エンジン換装後のミニキャブの初回燃費が出た。75km/4.6Lで16kmあたりと、前のエンジンの初期とほぼ同じ数字。チョーク系がダメという事は逆に始動時に捨ててるガスが少ない事にも繋がるし、好燃費だなというのが最初の感想。今の軽トラでもJC08で18,4~19,6あたりと20km越えてないので、8掛けでも16kmは出ないし。一方で、初期の燃料不足を加速ポンプでレーシングで補うというのは明らかに異常だし、今はスローをかなり濃くしている問題もある。
他には第一次大戦のレッドバロン事リヒトホーヘンだの面白い人が沢山出てくる。あ、この人ガンダムの元ネタかな?って人も出てくる。興味深かったのはフランスのルネ・ポール・フォンクというオッサン。第一次大戦だとフランスも一応頑張っていたみたいで、ギンヌメールとか言う人が人気らしいのだが、このフォンクというエースが使っていたスパッドS.XⅡとか言うのが面白い。なんと37㎜モーターカノンを搭載して戦果をあげまくっていたらしい。37㎜ってあんた・・・坂井三郎氏は20㎜ですら弾道が落ちまくるのでションベン弾と言って嫌っていたと言うのに。まあフォンクの得意戦術は宙返りやターンなどから水平飛行に戻る時を見越しての偏差射撃だったそうで、得意がって巴を見せつけた先に置き37㎜という非道な事やってたので人気がイマイチとかなんとか。またモーターカノンというのも結構アホな物なので勉強になった。
航空機も空戦だと低伸弾道の中口径までの銃の方が当てやすく、火力はアメリカなど数で補う方向になるのだけれど、爆撃機相手などだとどうしても炸裂弾が使える大口径が使いたい。ところが大口径銃を翼内に納めるとモーメントとか強度に問題が生じる。機首だと同調装置が万一とらぶると自爆装置と化す問題がある。解決策としては日本の月光のように斜め上に向けて取り付けて腹下から打ち上げるか(実際月光などは斜銃にしてる)、双発機にして機首の先にペラをなくすか(屠龍などはそういうタイプもある、奇しくも37㎜砲使ってる)、プッシャー機にするか(震電、あるいは秋水もこの流れに当てはまる、無論オリジナルのコメットも)もあるのだが、「双発機はそもそも格闘能力は低い」「プッシャー機はまだ開発途上、ジェットやロケットはさらに未発達」「斜銃は弾道が読みづらい」なんかの問題がある。で、出てきたのがプロペラシャフトを中空にして銃身にしちゃおうというトンデモ兵器。まあ戦闘機の一番のロール軸は多分ペラなので理想っちゃ理想だが・・・その理想を貫いて無理槍積んだ対空砲で戦闘機なんかもバカバカ落としてたんだからもう笑い話にしか聞こえない。まだ布張り木製機が実用の時代にどんなオーバーキルだよ。まあこういうロマン兵器が使える人なんて滅多にいないので、フォンク以外は戦果上げてないのもポイントが高い。こういう一発の超火力にステ全フリで毎回ワンパンってのは燃える。
ちなみに、Bf109もモーターカノンを採用しているタイプがある機種であるが、トラブルも多く積んでない機体もある。それでもプロペラのスピナーに穴だけは冷却用にあいているので「穴があるからモーターカノン積んでる」とは言えない。また、空冷のFW190は積んでいない、というのは星形空冷エンジンの場合、中心のクランクは分かる通り各気筒のコネクティングロッドが繋がって偏心運動している部分があるので、構造的にモーターカノンは詰めない。モーターカノンが詰め、なおかつメリットがあるのは、ほぼV型直列=水冷だけと言っていいかと思う。ところがFW190にはC型とD型という液冷エンジンを積んだタイプが試作されており、こいつらはモーターカノンを積んでいるからややこしい。ただし、ほとんど実戦投入や量産はされてないとの事。
・ソーラー充電、やっぱりおかしい。というか、電流計がこれどこの数字なのか分からない。入力側なのか出力(充電)側なのか、そもそも電圧をどこの数字で取っているのか。本当に充電量を知りたければ電流計(A)じゃなくて電力計(W)にして欲しい物だが、後付けが電流計が多いからかそういうのがない。
さて、計測してみるとへんな事が分かった。まずパネル側からの入力が27Vしかない。これは12V系を直列しているので普通なら36Vぐらいある物なので、負荷がついているとは言えこんな落ちるのかなぁ?というのが正直な感想。そして電流計は3Aと4Aを行き来しているので真っ昼間に4×27=108W程度しか仕事してない事になる・・・ん?この数字ってパネル1枚の数字にそっくりじゃないか?ちなみに天気は快晴で、ピーカンでもないがかなり明るい。
冬場は単位時間の充電量で見ると照射角が浅いのでパネル傾斜がもっと必要なのは分かる。21日が冬至だったが、この時の日射角は30度らへんだそうだ(緯度が36度として、日射角は90ー36=54度=春分秋分。自転軸の傾きが23.4度なので54-23.4=30.6度)。うちのパネルは30度程度の角度だと思われるが、本来は60度の傾斜が欲しい訳だから日射に対しては半分しか仕事してないのも当たり前・・・とも言えるが、普通のパネルはさっさと発電が飽和するので、そこまでシビアじゃない。平置きや屋根に直張りなんかでも傾斜が1かわっても発電量は数パーセントしか落ちないというデーターもある。まあ、少しでもと思って傾斜を強くしてみたがやっぱり数字は極端には良くならなかった。
一応念の為12V系に組み直してパネル別にテストしてみたが、発電量は3Aちょっとで同じ(先のは24V系での数字なので、半分にして12Vにしてその数字は正常。という事はパネルが両方壊れるとかでない限りこんな物なんだろう。思ったよりソーラーは飽和しないのか、初期の性能低下がかなり激しいのか(二流品なのかも)・・・ただ、バッテリー容量表示だとかなり高い数字になっていたし、12V系にした時にバッテリー一つを接続したら、電圧がやばいぐらい上がってあっさりストップするほど、すぐにシュワシュワ言い出したし、実際の充電量はあるのかも知れない。また24V系に組み直すのが結構面倒だ。
・レストランはランチに間に合わなかったのでデザートだけに行ったが、おいしかった。メニューも書き換わっており、こういう地味なアップデートが嬉しい。明日こそホホ肉の煮込みを食べに行くんだ(フラグ)。
・仕事はピオーネ剪定終わり、枝やいた所は土で盛っておいたが、まだ煙が出て陥没しだすのでユンボで掘って水をかけて消火、すっごい灰が飛んできた。火はなかったが、あれだけ雨が降ったり腐った葡萄でじめじめしていた土が綺麗にカラッカラに焼けていたのはびっくり。炭も結構あったし、枝の火力は馬鹿に出来ないな。爺さんの所でも少し話したが、願望と現実のギャップを感じる。
Posted at 2016/12/29 20:44:09 | |
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2016年12月28日
・先日の糸魚川の大火で延焼しなかった家が話題になっている。木造建築はすべて焼け落ちている中で一見だけ無傷な家に関して防災性能の高さへの評価が高まっているのだ。これは近年だと洪水で残った軽量鉄骨の家とか、もっと前だと阪神淡路大震災の時の2×4住宅の時と同じで、良い宣伝材量というかアピールポイントになるだけに、逆に本当にそれが原因なのか考える必要があると思う。特に一定数のサンプルがあって統計が取れるならまだしも、一つだけだと偶然な要素もかなりあるからね。でも、あれだけの中焼け落ちなかったのは本当に立派。
ただ、少しだけ言いたいのだが、ステンレスのサイディングだったから燃えなかったという意見についてはかなり懐疑的。ステンレスは何度も書いたが耐熱金属ではあるが、木造をステンレス板でかこっただけで耐火性能が上がるって事でもないと思う。単純に考えると耐火性で言えば陶業系サイディングの方が断熱性もあるので強いんじゃなかろうか。陶業系サイディングもあちこちで使われていただろうに何故ダメだったのか?あるいはアルミサイディングはダメだとしてもガルバリウム鋼板だったら平気だったんじゃないか?と思ったりする。
一つ考えられるのは、現在のサイディングは通気工法を採用しており、耐熱スペースは取りやすいのだけれど、1度火が回ると煙突効果で内側から焼け落ちてしまう。重量があるから剥落も起きやすいだろうし、隙間をパッキンに依存しているので熱や収縮でそこから隙間が出来てって可能性は考えられる。ただ、ガルバリウムであればそこらへんはイーブンだろうしなぁ・・・比較対象があればいいんだが。
さて、本題は接道義務について。今回も消防力が大火に対して足らず、密集地に対して運搬能力も足りなかったようだが、あの燃え残った家の関連スレを見ていたら延焼の重要なファクターとして隣接した家との距離の図が貼られていた。それによると、二階部分で見ると1200度の範囲が距離3m、840度が6m、550度が9mぐらい。一階で見ると1200度から550度まで1、2mの範囲であった。もっともこれは恐らく直接の大気温度であって、放射熱を考えると別だとは思う。温度的には1200度は耐火レンガとかは別として金属含めてすぐに危険なゾーン、840度はどうだろうなぁ、5分持つのかな?550度は木などに直接火が付く温度だったと思う。逆に言うと550度あたりは耐火基準で作ってあればそうそうは延焼しないと思う。つまり、「距離」「放射熱対策」が実は重要になってくると思うんだが、あの家は周辺立地が恵まれていて空間があった事が分かっている。北が駐車場で東が緑地、西が道路で南のみ燃えている(が、火元はそっちから風で広がっているので、絶対的に有利だったとも言えない)。で注目したいのは道路、我々が「接道義務」と言ったときは「消防能力が側まで来られる事」と認識しているが、本当は戦時中の区画の間引きと一緒で、延焼防止帯としての意味合いもかなりあったのではないだろうか?上で見ると4m道路挟んで言えば840度の延焼はまず来ない。4m道路がマス目になっていれば、本来はブロック単位で焼け落ちてもそれ以上は広がらないはずなんじゃないか?と思われる。
もう一つ耐火設計で忘れてたと思ったのは窓、あの家は網入り二重窓だったそうだ。上で書いたように外壁は結構な耐火性能があるのが普通だが、窓に関しては日本は後進国もいい所で、耐火に関してもあんまりいい話を聞かない。確かにアルミは不燃建材だけど、そもそもガラスは熱を受ければ割れますし。数少ない消火活動でも窓は割れるんですよね、水損というかでも。ただ、窓が割れると煙突効果で逆に燃え上がるので、送水出来るけど燃えおちるのが速くなるので極力割らないようにというのがセオリーでした。延焼対策で見れば、窓が割れれば外壁関係なく火が侵入する訳で。風が強い地域などは雨戸というのもあるのでしょうが、非常時に勝手に展開するものでもないですしねぇ。
・ソーラーパネルの発電がいくらなんでも少ないのではないかと表示機能付きコントローラーを購入した。20Aモデルなので幾分小振りなのだが、多機能で「自動で出力チャンネルコントロール」「カットオフ電圧調整」「温度計」「USB5V出力」などが付いている。ただしMPPTとPWMの中間みたいな表記が紛らわしい。恐らくだが捕捉電圧を割るとMPPTモードになり、通常PWMモードとかそんな感じだと思う。考えて見れば充分電圧がかせげる時にもMPPTってやれば回路の耐圧を揚げなければいけない・一方でこの方式だと回路が二系統という問題はあるが、PWMは元からやっすいので、MPPTだけちょっと付けたって感じだろうか。
さて、早速発電電圧を見て見たのだが、かなり低い。200Wパネルが曇りとは言え24Wを出したり出さなかったりというのは低すぎるだろうと。やっぱり発電能力が低いのはコントローラーではなくパネル側の問題のようだ。しかしパネル単体でのテストって難しいんだよねぇ・・・一応無負荷で測定したら42Vは出ていて電圧的には平気みたい。電流は負荷かけてみないと分からないけれど、それがコントローラーで出ている数字だと信じるしかない。ちょっと緩かったコネクターを交換したけれど、結局数値的にはあまり変わらなかった。
もう一つ今回の交換で分かったのがバッテリーの自己放電やACインバーターの問題。今日見ていたらバッテリー電圧からの簡易的な充電率は最初25%らへんだった。前のコントローラーも危険域の赤LEDになっていたので扇風機の消費電力をまかなえてなかった。で、ACインバーターを切り離した所、35%付近まで一気にあがった。インバーターに負荷はかかっていなかったにも関わらずだ。電気回路的に生きててアイドルしている状態でも電圧をさげてしまっているみたい。さらに夕方には40%まで回復したが、何の消費もしてなくても夜中には37%まで落ちていた。充電受け入れ容量とか自己放電とか循環回路問題とかなんだろうけど、明日の朝までにどれだけ下がっているだろうか。こいつはタイマー回路があるので、照明なんかはオートで出来るし、ファンも入れっぱなしでコントローラーで制御してもいいかもだけど、そうするとインバーターどこにつけるのかって問題が出てくる。
・仕事はピオーネ・パープル園の剪定で、ほぼ終わっていたような物だけど、やっぱり寒くて少し残ってしまった。改めて周囲にある石が邪魔だが、これ暗渠の疎水材にもなるし、逆に低い面が土砂が欲しいから、理想を言えば暗渠の土を盛り土に使って疎水材として石を埋めて・・・ってやりたい。他に何件かお世話になった人と贈答などがあり。自分でも消毒の関連はどうしたいのかイマイチわからん。モヤってるのは家族を飛び越えて消毒以外も介入しているが、その家族がどう引き継ぎする気なのか分からない点、なのかな。あんまり熱心にその事をやろうとは思ってないだろう雰囲気だけど、爺さんが引退すれば勝手に引き継げる物と思っている人が多いし、極論すると爺さんの思考能力を周囲はあまり期待出来ないのは分かっているから・・・って所かも知れない。あと、作業車はやっぱり使いづらいという本音が聞かれた。そりゃそうだ。自然樹形で作業車を入れている人は三輪スキッドタイプだし、あれは傾斜地や泥濘地だと無理。
・薪ストーブがある台所はコタツとPCがないし、コタツがある自室は暖房がなくて寒いし、なんか微妙。ちょっとコタツだけだと寒いぐらい今日はベランダ温室が仕事してくれてない。逆に薪ストーブはガンガン焚いて20度ぐらいにしておいたのでなおさらヒートショック。何度も書いたが薪ストーブはセントラルヒーティング向きで、個別暖房には全く向かない。こんなの6畳に置いたら火事間違いなしだし。ただ、台所は床が冷たいのがネックなんだよなぁ・・・何度も直そうとは思ったけど、今日もいろんな荷物を雑にコンテナにぶち込まれて、屋根貼った荷物置き場も勝手に荷物を雨があたる場所に押しやられて、ここで投資するのは全く無意味だと思い知らされているので、なんかやる気が出ない。移住計画も絶賛停滞中だしなぁ・・・明日はレストランが最後前の営業日なので久々にすね肉の煮込みでも食べようかな。
Posted at 2016/12/28 23:39:16 | |
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2016年12月27日
・新聞の投書で「福島県避難者の子供がいじめられて、馬鹿呼ばわりされている事が許せない」「子供は大人の感覚に敏感で、大人がそう思っている」「福島県民は国や電力のいいなりではない」「本当に馬鹿だとしたら日本人全員が馬鹿だ」という物があって、ああやっぱりいじめられた背景はそうなんだなと。私はマスコミが伝える世間の感覚が分からないので、正直どういう感じで馬鹿だと言われているのか分からなかったが、県民が言うんならそうなんだろう。で、一言で言うなら私は本当に日本人全員含めて馬鹿だったと思う。当然立地県の方々も筆頭馬鹿だけど、推進派正当を選び原発電力を積極的に使いながら危険性を叫ぶ声を無視しつづけた人に何の免責があろうか。一方でそうやって一括りにする事は無理で、福島県民だろうが沖縄県民だろうが東京都民であろうが反対派の人は確実に居た。
そういう理性的な考えに基づいて子供が行動できるかと言えば無理だろうし、そもそも馬鹿だのなんだの思ってもいじめに直結している市町村を見れば、元から子供が荒れているような所が多い。単によそ者をいじめる口実が欲しかっただけで、それを仰々しい差別として扱う事にはちょっと疑問もある。もちろん多くの避難者の方がそういう難癖を付けられている事は憂慮すべきだが、多分投稿者のように理論的に説明しても形を変えて差別は残るんじゃないかな。まあ直接的に同じようないじめを受けている子供さんには対策にはなるんだろうが、正直子供だけじゃなくて社会全体で福島避難民への差別問題が色々あるであろう事への対策が後手後手な気がする。とくに放射能の影響を受けやすい若い世代は避難する動機も大きかったが、同時にその後についても考えるべき問題は多い。おそらく表面化してないだけで、就職や結婚は大きな困難が伴っているはずだし、やはり幼少期に故郷を無くしたというストレスは後を引きそう。全員が馬鹿だったと反省するのは同時に責任を有耶無耶にしてしまうと言うが、少なくとも一般の福島県民と日本人一般は同程度の関連度ではないだろうか。
・ミニキャブのジェットの番手、やっぱり低いよなぁ?同じような馬力のヴィヴィオなんか160ぐらいだし・・・と思って調べると、キャブ車について「排ガス規制でジェッティングがかなり絞られて、それだと加速しないので加速ポンプを装備した」と言う話が出ていた。多分パワージェットも同じ延長上にある話だと思うが、バイクとの違いについて少し理解が出来た気がする。そしてインジェクション化して一気に性能が上がったのも別の面から理解出来る。3G83はNAの頃は42馬力/6000rpm、5,7kg/5000rpm、インジェクションで48馬力/6000rpm、6kg/3500rpmと大きく進歩した。2割近くパワーアップしているので、乗ってみれば全然別物の性能がある。しかし、キャブだとこの全域性を排ガス規制適合させて実現出来なかったのだろう。例えばバイクなら600ccもあれば昔だって60馬力程度は最低でも出していたわけだし。
・積みプラモ作ろうと塗料を買いにいったら、どこでもエナメルのフラットブラックが売り切れてて草、お前らやる気なさすぎだろ・・・どうせならフラットブラックだけ二列入れとけよと。仕方なく他の店行ったら、そっちの方が全部安くてしかもフラットブラックだけなくてめげた。しょうがないので水性のブラックとフラットベース買ったんだけど、よく考えたら調色に使えないのでやっぱりエナメルで買うべきだった。水性買ったのは「エナメルベースにエナメルで墨入れだと溶剤で拭いたら溶けそう」と思ったからなのだが、実際は乾燥していれば大丈夫だったみたいで、逆に水性は評判がすこぶる悪い。そもそも、アクリルラッカーでベースカラーを買っておけば良かったのだけれど、てっきりカラーナンバーがアクリルとエナメルで別れているだろうからと安心して買ったのが間違いだった。まあ永遠に持つ量じゃないから、今回は勉強でいいだろう。
それにしても模型は塗装についてほぼなんの解説もないんですね。カラー指定があればマシで、塗装順序もなければカラー指定すら入ってないのもある。そりゃバンダイのプラモが受ける訳ですよ。それだけこだわればこだわれる部分でもあるのでしょうけれど、アカデミーのフォッケウルフとか「パケ絵と説明書と作例」がどう見ても違うんじゃないかと。まあドイツ機は特に塗装が一貫してないからしょうがないか。戦場があちこちだから、現地で塗り替えたんだろうけど。
さて、戦車はやたらパーツが多いので最初は大好きなフォッケウルフから作ろうかと思ってはいるのだが、FW190の作例の「エーリッヒ・ルドルファー機」ってのがあって、これまた塗装が標準と違うのだが、調べたら大変重要な人物だった。まず、どうせプラモにするなら有名な機体にしたいと誰もが思う。例えば零戦なら坂井三郎機とか、メッサーシュミットならヨアヒム・マルセイユとかね。特にドイツはエースをプロパガンダに利用したからか、妙にエースが多いし。ところが、調べると有名なエースと言うと何故かメッサーシュミットが多くて、フォッケウルフの名手!みたいな記述はあまり見つけられなかった。機体性能や運用機関、配備数や配備場所でメッサーシュミットが有利という話もあるにはあるのだが、調べると曖昧。まず配備期間はメッサーが1935年初飛行1937年配備、FW190は1939年初飛行1941年運用開始なので、確かに開戦当初は存在しなかった。これは同時にベテランにとってはメッサーの方が慣れていたという事にも繋がる。が、ずっと長い事戦闘機パイロットをやっていた者がエースという訳ではない。例えばもはやウィキが虚構新聞よりひどいと言われるルーデル閣下にしてもJu87での初陣は1941年6月であるし、瞬間火力で100機近くを短期間で落としてからすぐに戦死してしまうエースも多数いる。ハルトマンも1943年頃までは撃墜数は100機を超えていないらしい。コンスタントに長くという意味なら長期間飛んでいるメッサーが有利とは言えるが絶対ではない。配備期間が短いという事は戦線も未経験な部分があり、初期のバトルオブブリテンにはいなかった訳だが、途中で新型の超強力な戦闘機としてブリテンには認知されており、機種転換して乗る人だっていたんじゃないか?って気もする。配備数はメッサーが3万、フォッケウルフが2万以上なので、極端に違う訳ではない。というか日本が色々手を出している間、ドイツはこの2枚看板でやっていた事に驚く。後から生産された事を考えるとむしろフォッケウルフの生産数は多いとさえ言える。
と能書きが長くなったが、もちろんフォッケウルフの有名なエースもいる。一人はヴァルター・ノヴォトニー少佐で、押しも押されぬ大エースかつMe262による初のジェット戦闘機隊JV44の隊長になったのだが、結果的にMe262のエンジン不調が原因で撃墜されて戦死している。で、ちゃんとFW190で戦果を上げていた記録があるんだが、こうなるとMe262で落ちた事の方が注目されてしまうね。また、立場的にドイツで一番偉くなった現場側のエースパイロット、アドルフ・ガーランドもMe262のテストもしていた人で、途中で殿堂入りして戦闘への参加を禁止されていたのだけれど、途中でFW190を駆ってB24を非公式に撃墜したという話がある。この時この人は司令官だったらしいから、それどうなのよ?って気もするが、公式な乗機としてFW190はなかったんじゃないかな?上手い人はどれを乗っても上手いとも言えるし、対爆撃機ではFW190の方が向いていると考えた可能性もある。でも有名になったのはBf109での方である。
そしてもう一人の重要人物がアリイのモデルに塗装例に出ているエーリッヒ・ルドルファーである。この人はFW190を駆って撃墜数224と言うすごい記録を成し遂げているが、上のノヴォトニーは人類初の250撃墜を達成している。ドイツには他に300機越えを達成したバルクホルンとかハルトマンとかチートがいるのでアレだけど、充分にすごい。でも、本当にびっくりしたのは、このエーリッヒ・ルドルファーはなんと2016年4月まで「生きて」いたのだ。これは第二次大戦の100機以上落としたエースオフエースの最後の生存者だったそうで、そういう意味で重要だったと言える。という事で、FW190のエースがいない訳でもなんでもないのだが、なんでメッサーがやたら持ち上げられるのか?調べて居てちょっと思いついた点がある。
書いたようにベテランエースはメッサーから入った人が多い。そしてドイツ空軍の中で新型補助戦闘機だったFW190は重戦闘機として立派な主力機に成長しており、途中で乗り換えたり、両方使っている例がガーランド以外にも見つかった。ところが、そういう人の評価があんまり良く無い印象を受ける。たとえばバルクホルンはFW190の転換が短かった事もあったにせよあまり評価せず戦果も上げていない。他にも原典不明情報だがベテランが自動化を進めたFW190を批判していたという情報があり、一部のそういうベテラン情報が後世の評価に影響したのではないか?という気もする。でも、Bf109だってずっと同じ機体だった訳でもないし、マルセイユの例のように芳しくない機体も存在はしていたので不公平だと思うけど。
考えて見るとエースパイロットは大抵自分の愛機が好きだと思う。良し悪しを通り越して、不都合があっても大好きなのね。坂井三郎氏なんかも、客観的に見れば零戦にはいろんな問題があった事は分かっているけれど、そこらへん含めて零戦大大好き男である。だから、高性能化したからと行って疾風あたりに乗せて大活躍したのか分からない所がある。結局世間は戦闘機に直に乗って空戦なんかした事ない人の集合なので、主観的な要素が多いんじゃないかなぁ・・・
まあ他にももう一つだけ当事者である評価軸はある。それは撃墜「された」側である。たとえばこれがレースとかスポーツであれば「あいつは強かった」という情報が残る。しかし戦争となると負けた側は死ぬリスクがかなり高くなり、空戦となるとそれはさらに確定的な物になる。
・ミリタリー関係の話もう一つ。レストア動画で検索してたらISU152の動画出てきた。ソ連で撮影されたと思われ、そこらへんの空き地にかくざというより放置されていたっぽいISU152のエンジン始動と移動に成功している。動画コメで「第二次大戦から70年放置で動くのはすごい」と出ていたが、調べたらISU152は1959年頃まで生産続けていたらしい。退役は不明だが、まあ作ってたんなら60年代は現役だったんじゃないか?って気はする。
が、当然だけど、そのISU152が放置されているって事は戦争でなんらかのトラブルがあって放置されたと思うのが自然。戦勝国でもそこらへんに兵器を野ざらし放置していい訳がない。例外としてモニュメントなり戦後退役させてから不動態状態で保存されていたのなら分かるのだけれど、モニュメントと言うにはあまりに雑な放置だったし、レストア時にわざわざ砲に穴を開けていたことから、武装すらそのまんまだった事が分かった。まあさすがに実弾がそこらへんに落ちている物ではないだろうけどねぇ。気候が違うにせよ、そんな物が落ちていて、レストアの対象になるのはやっぱりすごい事だ。そういやウクライナでも展示品のIS3復活させて無理やりつかってたなぁ、弾もあったそうだし。
Posted at 2016/12/28 01:55:30 | |
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