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2009年03月16日 イイね!

慣らし運転

慣らし運転嫁のV50、納車後1ヶ月で2000キロ走破となりました。納車直後に、フランス・ドイツ間往復、オルレアン・パリ往復等があったので、予想以上に走っています。
さらに、自分の怪我が順調に回復するようだと、今度の週末に1泊でノルマンディーに行きたいので、さらに1000キロは走る見積もり。
そうするとそれで慣らし運転も終了。4月からは、嫁が一日130キロも通勤で走行することになります。


慣らし運転について、V50の取説には書いてはありませんので、気にする必要も無いのかもしれません。しかし、すべての機械が一定の慣らし後によって本来の性能を発揮するように、今時の車でも良い慣らし運転によって、設計ないしそれ以上の性能が得られるのではないかと思っています。

現在行っている慣らし運転(エンジン中心)の内容は、
500キロまでは、2200回転(レッドゾーンの半分)まで
750キロまでは、2400回転まで
1000キロまでは、2600回転まで
1250キロまでは、2800回転まで
1500キロまでは、3000回転まで
1750キロまでは、3200回転まで
2000キロまでは、3400回転まで
2250キロまでは、3600回転まで
2500キロまでは、3800回転まで
2750キロまでは、4000回転まで
3000キロまでは、4200回転まで
それ以降はレッドゾーンまで
といった、いかにも日本人らしく律儀なもの。

この方法は、昔どこかで聞いたBMWの有名なインストラクターの方が薦めているやり方(回転数はエンジン形式によります)だそうで、車好きの兄貴とはいつも同じ方法で慣らしをやってきました。
自己満足の部分が大きいですが、これをするとエンジンがいつまでも快調に感じれます。

ちなみに、初回のエンジンオイル交換は5000キロ時点で、2回目のオイル交換はフィルターとともに1万キロ時点で、その後は1万5千から2万キロ毎に自分で交換予定。ところが、当然環境を重視するボルボは、当然2万キロないし2年毎の交換を推奨。
やっぱり私もどこまでも日本人ですね^^


写真は、走行中に撮ったために傾いていますが、下側インジケーター内の上向きの矢印が、DRIVe仕様の変速インジケーター。
矢印が出た時点で、「ギアを一段上げると燃費の向上が図れますよ」といったもの。
当然今何速のギアか、またトルクの出方等にもよるので、矢印が出るタイミングは結構まちまちですが、とりあえずひとつの目安程度でしょうか。
Posted at 2009/03/16 02:35:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | V50 | 日記
2009年03月05日 イイね!

パリでの惨事 3

パリでの惨事 3「パリでの惨事 2」から続く

病院からタクシーで戻った明け方、顔面及び頭部の激痛はおさまる気配がありません。

朝になり次第、パリ在住の友人から紹介された一般医に会い、事情を話します。

いろいろと精査をしたあと、
一般医:「顎も痛いとのことですが、顎の間接に異常はみられません。但しすぐにCTスキャンを受ける必要があります。目と手の確認だけでは限界がありますから。病院が処方した薬も、さらに吐き気を誘発するものばかりですので、新たに処方しなおしますよ。最低一週間は仕事の復帰も控えてください。
もう引退が近いですが、昔は私も救急で働いていました。あそこではどうしても一定の方式に載せた一片とおりのことしかしません、いまでは患者を診るよりパソコンに向かっているほうが長いくらいですから。」

どこの国でも残る課題というのは同じなのでしょうか。
上記の誠実な医師に診察してもらったおかげで、精神的にも安心できました。

すぐに当該医師から紹介してもらったCTスキャンの出来るレントゲン医を2箇所あたります。
1箇所目は、3週間待ち。2箇所目はすぐにできるとのことですので、早速予約をとりタクシーを拾います。

嫁:「マルゼルブ大通り105番地までお願いします」
運転手:「・・・」
嫁:「近くて嫌なんですか」
運転手:「一時間も待って、これじゃね」
MUSS:「いやなら下ります」
運転手:無言で発車

不機嫌なためか、運転が無茶苦茶乱暴

MUSS:「気分が悪いのでもっとゆっくり運転してくれませんか。吐きますよ。」
運転手:(無視して)「なんだよこのくそトラック。○×○×!ちぇ、赤信号無視していきやがったぜ、あの馬鹿。ついたよお客さん。」

ついたところが、結構シックな建物。中庭には所属の医師のものか、XJ-S、XKRやらが駐車。内装も大理石で、エレベーターはガラス張り、壁にはアートなレントゲン写真、中で働く女性は皆ブーツ(!?)。客層もちょっと昨日の病院とは全然違います。

受付で保険書とともに、共済カードも提示しようとすると、共済には自分で連絡してくれとのこと。やっとなぜすぐに予約がとれたか分かりました。答えはその値段。

順番を待っていると、黒のダブルのライダースジャケットに、黒ブーツ、黒パンツのしかもジッパーが全開の男性が、忙しそうにでも何だか楽しそうに「次の患者を通して。XXXさんのファイルは?」とか言いながら行き来しています。

幸い(?)上記の医師が私の担当医ではありませんでしたが、担当医からCTスキャンをとってもらった結果を一緒に見せられ、顔面に2箇所の損壊を指摘されました。

パリではもうどうすることも出来ないので、両親が日本へ戻り次第、オルレアン市の掛かりつけ医と相談することに決定。
帰る際に、CTスキャンのデータをCD-ROMでもらいました。


写真は、パリ滞在中唯一買ったU2の新譜。上記CD-ROMと合わせて今回のパリ滞在土産。

今回のアクシデントを通し、嫁と緊急看護(ファースト・エイド)を習得することを決意しました。嫁は大した知識なし、自分は日本の免許所で習った程度。
今後少しでも役に立てれればと思います。


旅先でのアクシデントは避けたいもの。それでも避けれらないこともあります。
下記は情報まで:

対応が誠実なアレヌ一般医が所属するCENTRE MEDICAL OPERAの連絡先は、
31-33, rue Caumartin 75009 PARIS(オペラ座から徒歩5分程度)
TEL 01 44 51 68 28(たぶん英語は通じない) 

パンツのジッパー全開のレントゲン医が所属するCENTRE D'IMAGERIE NEUROLOGIQUE ET NEURO-OPHTAMOLOGIQUEの連絡先は、
105, bd Malesherbes 75008 PARIS(日本大使館の近く)
TEL 01 42 99 55 55(もしかすると英語は通じるかもしれない)
Posted at 2009/03/05 19:15:53 | コメント(4) | トラックバック(0) | ドライブ・旅行 | 日記
2009年03月05日 イイね!

パリでの惨事 2

パリでの惨事 2「パリでの惨事 1」から続く

シテ島にそびえるノートルダム大聖堂横にある病院(Hotel Dieu)の救急に到着。

救急隊員に病院の移動用ベッドに寝かされ、お礼を言って別れを告げ、頭と顔面の激痛、吐き気に耐えながら、病院の廊下で待つこと一時間。

やっと自分の番が回ってきたようだ。看護婦さんに指先から血液を採取される。
看護婦:「ちくっとするわよ」
MUSS:「痛っ」
看護婦:「男性は皆こうね。痛い痛いって何の役にも立たないわ。で、どうしたの?」
MUSS:「救急隊員の方々から聞かれたと思いますが、夕食を取ろうとしたところ気分が急に悪くなって・・・(説明)」
看護婦:「分かったわ、またしばらく待ってください。」

また廊下のベッドで待つこと30分程度。
看護師A:「おい、これ誰だ!?」
看護師B:「頭蓋外傷性傷害だよ。検査してやって。」
看護師C:「MUSSさん、病院へようこそ。今から脳に何らかの影響があるか検査します。」

小さな部屋に移され体中にセンサーを付けられるようです。
そして測定中に隣室から聞こえてくるのは、
女性患者:「絶対にここからは出て行かないわよ! 絶対にーっ!!!」
ガラガラガッシャン! 女性患者が暴れているようです。
看護師らしき人々:「こういうのは慣れているね。仕事の一部だよ。」
といった叫び声や話し声等。

しばらくすると、ずいぶん若くて美しい女性が傍らに立っていました。
その女性の話しぶり、話す内容から経験は浅いけども看護婦ではなく医者だと思ってしまいました。
ですので、今までの病気・生活習慣等について聞かれる中、学生時代から胃腸が弱かったことについて、
MUSS:「学生の頃から昼食後夕刻にかけて、お腹がよく張るんです。ガスが溜まっているようで。なんていうのでしょうか、つまり「おなら」がよくでるのです。」恥ずかしいなんて言っているいられる場合ではありませんでしたので。
某女性:「そうですか」メモを取っている風。

するとインド系の別なチャーミングな看護婦が入ってきて、
看護婦:「じゃMUSSさん、今から瞼の傷を縫いましょう。一針かな、二針かな?」
MUSS:「一針でやめてください」
看護婦:「普通この程度の傷なら、私は三から四針はしちゃうけど、ま、今回は一針でやめておきましょうかしら。今回は私の同僚に縫ってもらうわ。ジュリエット(だったかな?)、手術手袋したことある?」
其女性(ジュリエット?):「良く覚えてないの」
MUSS:(うわっ、彼女、医者どころか、手袋のはめ方すら知らないじゃねぇーか!)
看護婦が其女性に手袋のはめ方を教示している模様。
手術準備も整ったようで、顔に目の部分だけ穴の開いた布をかぶせられます。
看護婦:「ここに針を当てて。そうそう。」
其女性:「これでいい?」
看護婦:「もっとこうやって」
MUSS:「あの・・・、大丈夫ですか・・・?」
看護婦:「心配されないでください。私の同僚が今すばらしい(料理の)コース(”Super Menu”:今の若い女性の言い回し)をしていますので。」
しかし、まだ手術は続くようです。
其女性:「こう?」
看護婦:「ま、そうね。次は結び目を作って。覚えている?」
其女性:「・・・」
MUSS:(・・・)

あれこれあって、手術も無事終えた(後残らないかな?)頃、別の女性が入って来ました。美人だけでもちょっときつそうな雰囲気(結局最後に出てきたこの方が医者)。
医者:「検査の結果を見ました。典型的頭蓋外傷性傷害のようです。しかし傷害直前に意識を失ったこともなさそうです。ですので大したことないですね。」
MUSS:「意識を失わなかったって、エレベーターのドアが開いたことも気づかなかったですよ。しかもですね・・・」
医者:「私がそう判断しました。」
MUSS:「では仕事の復帰は?(フランスでは病欠するには医者の許可書が必要)」
医者:「明日からでも大丈夫でしょう!」
MUSS:「明日って、ちょっと待ってくださいよ。」
その医者は、聞こえなかったふりをして部屋から出て行ってしまいます。

例の其女性及び看護婦が必要書類、薬の処方箋を準備してくれ、後はロビーでタクシーを待つしかありません。
タクシーを座って待つ間、目にしたのは、両腕及び両足を鎖でつながれ、両脇を警察官に挟まれて出て行った男性。午前1時半。

たのんだタクシーが到着したようです。
タクシー女性運転手:「大丈夫?若者さん。」
MUSS:「いまいち」
タクシー女性運転手:「そう、しかたないわね。」
口数少ないものの、親しみが伝わってくる感じがした。


「パリでの惨事 3」に続く。

写真は、連日世界中の観光客で賑わう、セーヌ川のシテ等にそびえるノートルダム大聖堂。
その横にある病院Hotel Dieuでは、皆の知ることのない、いろんなドラマが毎日渦巻いているのでしょう。
Posted at 2009/03/05 19:14:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・旅行 | 日記
2009年03月05日 イイね!

パリでの惨事 1

パリでの惨事 1先週から6泊の予定で両親がパリに遊びに来ていました。

3日目(日曜日)の朝から、体調不良。食欲も全くないが、午後には無理をして両親をホテル横のオペラ座(Opera Garnier)へ案内。

その後、滞在ホテル内のレストランにて夕食を取ろうと料理を注文するも、その直後に急激な吐き気が。
嫁に付き添えられて、階上の部屋へエレベーターにてあがろうとするものの、そこからは意識を失いつつ・・・

顔面をバットで殴られたのではないかという痛みで目が覚めたときには、ホテルの廊下で倒れたまま、頭部及び顔面の激痛で叫んでいました。

後で見ていた人から聞いた話では、嫁がドアの鍵を開けるべく、私の腕を離したとたん、エレベーターから歩いていた勢いで、前につんのめりつつさらに5m以上もに走るように進み、物凄い勢いで左顔面から廊下に倒れていったとのこと。

叫んでいるときに聞こえてきたのは:
宿泊客:「どうしたんですか!?」
嫁:「夫が倒れたの!早く誰かを呼んでください!」
宿泊客:「酔っ払ってるのか?」
MUSS:「酔っ払ってなんかない。クソっ!」(意識が戻りつつある)

それからはホテル客室員と嫁で私を部屋のベッドに横たえ、救急車(SAMU)を待ちます。

数分で到着した救急隊員に、瞳孔、外傷、血圧等のチェックをしてもらった後、車椅子で救急車まで。
両親は英語もフランス語も出来ないのでホテルに残ってもらい、嫁も10ヶ月前の息子の世話をしてもらうためにホテルに残ってもらいました。

救急車の中では、隊員の方から絶対に眠リ込まないように言われ、激痛と吐き気に苛まされながら、彼と会話をすることで何とかやりすごそうとしていました。

10分もたたない間に到着したのが、シテ等のノートルダム大聖堂横にある病院(Hotel Dieu)。

「パリでの惨事 2」に続く。

写真は気分が悪くなったホテルのレストランを、部屋から望む。
当該レストランは、映画の父といわれるリュミエール兄弟が始めて映画を披露した会場でもあったそう。しかしACCORDホテルグループ共通に料理の質はいまいちで、お茶を飲む程度にしたほうが無難。
Posted at 2009/03/05 19:02:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2009年02月15日 イイね!

V50 納車しました

V50 納車しました今朝、アルザスの田舎で嫁から新しい所有者にメガーヌが手渡されている頃、僕はオルレアン市にてV50の納車を受けていました。

ディーラー担当者に、ナンバー登録に必要な書類、小切手等を渡した後、車の説明を聞きます。

車を見て最初の印象は「青い!」。外装色はカメレオン・ブルーを選択したので、ブルー/グレー/ゴールドの変色を期待していたのですが、想像よりかなり青みが強いように思えたのです。ディーラーの方曰く、太陽光線下で見るともっとゴールドっぽくなるとか。
内装色は、ベージュ系。T-Tec素材のシート色はクオーツですが、想像よりも明るい色で○。

次に各スイッチの操作方法の説明を受けますが、普通の車ですので特に変わったことはありません。クルーズコントロールの操作がいまひとつですが、センターコンソールの4つのダイヤルがシンプルで良いですね。

最後にオイル交換につき質問しましたが、2万キロまで交換は不要と言われました。TTも1万キロまでは交換しませんでしたが、精神衛生上良くありませんでした。
皆さんはオイル交換どうされていますか。自分は7500キロぐらいで一度自分で変えようかと思っています。

今日早速100キロほど走りましたが、いまいち実感がわきませんでした。ファミリーカーなので、家族で旅行を等をする度に実感も沸いてくるのかな、と思っています。
Posted at 2009/02/15 05:23:51 | コメント(4) | トラックバック(0) | V50 | 日記

プロフィール

フランスはジャンヌ・ダルクの活躍で有名な小都市に在住。 愛車はTTクーペ、1.8T。デザインにひかれて購入。色は一番デザインの抑揚が引き立つシルバー。 ...
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