
人に
「何でドリフト始めたのですか」
と聞かれるとチャーリーブラウンは
「やりたい事リストに書いたからさ」
とこたえてました。
じゃ何でドリフトしたいって書いたんだろう?
人が何かを始める時に伏線のようなものがありますね。私も記憶を思い返した時によみがえるいくつかの事があります。
今では冬タイヤといえばスタッドレスですね。でも私が20代の頃は冬タイヤ=スパイクタイヤでした。
1980年前半頃、私は冬の間、斑尾、妙高高原あたりで仕事をしていました。
何故同僚の先輩の車で移動したのか忘れてしまいましたが街灯のない夜の峠道でした。
ヘッドライトが灯すあかりの乱反射した薄暗い所が進行方向!
な、、、なんですのぉ!!?
助手席のガラスの向こうが進行方向!!?
な、、、なんですのぉ!!?
雪道なのに横Gを感じました!!?
な、、、なんですのぉ!!?
今思えばこれが「ドリフト走行」なんですね。
後席にいた同期のヤツにせがまれての走行でした。当時の私は何をせがんでいたのかも会話の中で理解できない青年でした。
降車して先輩に私は
「さっきのは、なんなんだったんですかぁ〜〜」
(゚ロ゚)
先輩
「あぁ、ビックリしたねぇ車が横になりそうだったから一生懸命立て直したのよーーん」
ジョークもトボケもあの頃の私は全く分からず、雪道ではちょっとでも速度が上がるとこんなんなっちゃうんだ!
(⊙.⊙)
「気をつけよぉっと」等と、とんちんかんな教訓にしてました。
なんていう車だったかなぁ?
三菱です。横から見ると台形してる。
スタリオンとかみたいにカッコイイやつじゃありません。4ドアでタイヤのピンがかわっていた。
それが「マカロニピン」というのは後々知る。
涼しい顔して運転してたな。いつもの所作でもこれみよがしがない人。
チャーリーブラウンは
マカロニピンつけると映画みたいな走行(当時ドリフトという言葉はまだ知らない)できるんだな!と思いました。
ドリフトは技術でなくて
マカロニピンという装置で出来るものだと勘違いしてましたぁ。
( ˙ỏ˙ )
きっとあの日の走行が潜在意識としてあり、50歳で開花したのだと思われる。
そうそう
その先輩は大会で表彰台に上がる事に慣れているラリードライバーだったみたいです。
後々知りました。あーーんまり自分の事を話さない人だったなぁ。
以後、私は先輩やたかくらけんさんを意識したことがある。
(^ν^)
でも、まーーーったく性に合わなかった。
だって
チャーリーブラウンは
おしゃべりですから!
( ˙ỏ˙ )
Posted at 2015/12/12 13:15:07 | |
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