
あの時から6年。
いつもこの時期になると考えさせられ、やるせない気持ちになる。
6年前のこの日、母は気仙沼へ旅行に行っていた。
私は何が起きたか分からず、ドアを開け家を飛び出した。
免震構造マンションの廊下はグニャグニャに波打ち、壁に捕まらないと立っていられないほどだった。
一週間前にイタリアから取り寄せた壁掛時計は無惨にも粉々になり、水槽の水と共に金魚が床で跳ね回っていた。
母とは一週間連絡が取れず、その間父親を私の家へ避難させた。
その後、母の無事が分かりホッとした。
テレビをつければ刻々と広がる被害状況ばかり。
大変な事になった。と震えが止まらなかった。
ご遺体の身元確認の手助けをする依頼が私にも来た。
結局行くことは無かったのだが…。
毎晩ベッドへ入ると涙が止まらない事が暫く続いた。
震災から数年が経ち、石巻へ行ってきた。
更地が多く、道路はまだ舗装されておらず砂利道のところが目立っていた。
建物は震災後のものなので新しく、お店も普通に営業していた。
何故かそれらの風景をカメラに納めることは出来なかった。
あの時から6年。
表向きは復興が進んだように見えるのかも知れないが、本当はどうなのだろう。
未だに家へ戻れない身元の分からないご遺体が多くいらっしゃるとの事。
放射線の影響で避難せざるを得ない方達。
風評被害に苦しんでいる方々。
考えるだけで胸がしめつけられる思いだ。
あの時周囲の反対を押しきってでも微力ながらでも手伝いに行けば良かった。と。
自分の意志の弱さに今でも悔いが残る。
真の復興が完了する日はいつになるのだろう。
完了する日は本当に来るのだろうか?
被災地の皆様に1日でも早く平穏な日が訪れますように。
今日は当時、別のSNSに書き込んだブログを数年振りに閲覧してみた。
地震で医局の棚からストックが落ちて散乱している画像。

Posted at 2017/03/11 15:45:28 | |
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