
昨日のPVは5000を超えていました(驚き)サンクスギビンイヴが受けたのか私のアートが無断使用されたブログが受けたのか分かりませんが多くの人が私のブログを見ているのですね。
さ~今日はサンクスギビンですが昼になっても氷点下の気温で温かい家に居る事にしましたが工房の守護神であるカラスや動物の為に餌をやらなければならないので出掛けて来ました。
ついでにフリーウェイの様子を撮って来ました。

流石にサンクスギビンとあって交通量が多いですね。
私の家のある村の入り口にはこんな掲示が出ていました。

さて今日のブログは半世紀も前の日本のカークラブの話しです。
私が住んでいたのは有名な成城の隣の砧と言うところでした。
有名な東宝の砧撮影場の近くで毎日の様に有名な映画俳優が外車で撮影場入りをするのを見ていました。
私の家の庭先には古いコーベット、プレAのポルシェ、フォードのスカイライナー等がコレクションとして置いてあったので自然とこれらの人達が話しかけて来る様になったのです。
勿論、車好きの三船敏郎やコメディアンの植木等等も常連になりましたね。
フランク永井のロータススーパー7は目黒の彼のガレージまで行って修理をして上げたりしましたね。
自然発生のカークラブでしたが社会的に認められた人達ばかりで若造の私にも胸を開いて付き合ってくれましたね。
オイル漏れの激しいプレAを持っていたので初めてのポルシェクラブに入れてもらいました。
このクラブも銀行の頭取や医者、弁護士なども多く居心地の良い、しかも色々と教えてもらえる素晴らしいクラブでした、その代り入会の規則は厳しかったですね。
その頃この様な車を持っている人達は社会的にも人格者が多くて正に異業種のエリートの集まりでした。
実は私が興したMMMは車好きのエリート集団を作りたかったのですが今の日本には馴染まないモノだったのですね(汗)。
それ以外に当時私がメンバーになったのは米軍の「105クラブ」でした。
これは105マイル以上のスピードを出した事のある者だけが入会出来るものでした。
アメリカに来てからは「クラブエリート」だけです。
これは別段エリート集団でなくロータスエリートのオーナーのクラブです。
車が庶民のモノになれば当然色々なクラブが出来るのですが中には暴走族の集団がそのままクラブになった様なものや内部で権力争いや若いクラブ員と古くからのクラブ員との葛藤等を聞くたびに日本は高尚な趣味を中心にした集まりは出来ないのだろうなと思っています。
Posted at 2015/11/27 09:16:25 | |
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