2017年12月20日
あまり、馴染みが無いというか、存在さえ知らない人が大半だと思います。
それがマクダネル社F-101ブードゥーです。マクダネル社と書いていますが、マクダネルダグラス社は合併した会社であり、マクダネル社が軍用機部門、ダグラス社が民間機部門と言った方が理解しやすいかもしれません。
そのF101ブードゥーは「核爆弾1発を搭載して敵地深くに高速で侵入する」という任務が主でしたので、敵戦闘機と空中戦、つまりドッグファイトは向かない戦闘機でした。
とにかく、旋回時のバンク角度も90度で制限され、宙返り(ループ)も出来ないということで、同機の低性能振りがが伺えたと思います。
同機は後に偵察機として運用され、退役したのはカナダ国防軍の1987年が最後でした。
当時の冷戦時の戦闘機開発というか、あらゆる戦闘機が開発され、不採用になった戦闘機が多かったとも言えます。
Posted at 2017/12/20 22:44:02 | |
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2017年12月20日
アーレイ・バーク提督(当時は海軍大将)は通称:「31ノットバーク」とも言われた生粋の駆逐艦乗りです。
終戦後に当時のGHQから呼び出されたバーク提督でしたが、あとは映像の通りです。
ただ、映像では海上自衛隊と書いてありましたが、正しくはその前身たる「海上警備隊」だと思います。それが海上自衛隊に発展する事になります。
ネーバルオフィサーとして、将来の海上自衛隊を指揮する指揮官等の前で「君たちの先輩といかに戦ったか」「どのように対処したか」を講演して、海上自衛隊の基礎を構築された方でもあります。
そこで「勲一等旭日大綬章」を授与され、映像の通りに死去した場合は「その勲章と一緒に眠る」との遺言通りにしました。
その後、2011.3.11の生起した東日本大震災時に於いて、米海軍空母CVN-76「ロナルド・レーガン」とその空母打撃群は、確かシンガポールに居たと記憶しています。そこで艦長であるトム・バーク海軍大佐が空母打撃群指揮官である海軍少将に日本へ行くことを提案。
海軍少将は「よし、行こう」との返事に船首を日本へ向けたとの話です。
今は亡き「アーレイバーク提督」は孫である「トム・バーク海軍大佐」の、その判断に「ウェルダン」と言ったと思いますし、褒めていると思います。
運命とは分からないモノですが、こういう話を聞くと「儀」と「礼」とは、「縁」だったんだと思います。
Posted at 2017/12/20 21:40:18 | |
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