
こんばんはヽ(・∀・)ノ
連日暑いですね^^;
まだ例の不祥事で対応に追われているマニヲですorz
8月15日は言わずと知れた終戦の日ですね。
それとわたしの祖父の10回目の命日です。
何を思い終戦の日付に逝ってしまったのか考え深いものがあります。
祖父は当然ながら戦時の状況下の中、軍人として戦って生き残った一人です。
この時代には珍しく(そうでもないかw)大学を出ていました。
任務は某岬の指令長官だったそうな。
戦時の時の話を祖父母に小さい頃からよく聞かされてたものです。
そして近い親戚にも自衛官がいました。その方はもう退官されたのですが
海上自衛隊の一等海佐までになられた方です、少しまえに自序伝を出版されましたw
イージス艦の館長もしていました。
そのお父様は海軍のかなり上の方でわたしの祖父と時同じくして戦った方だったそうでその方とお会いした祖父は敬礼をしていた事をいまだに小さい時の記憶ながら鮮明に思い浮かぶ。
あの時の戦争は間違いだったとか正しかったとかは言っていませんでしたが国民はどうしようもなく強いられた戦争だったと、もちろん日本国も強いられた戦争だったと言っていた記憶が甦ります。
わたしのような無教養な人(じん)が半端な歴史、史観で憶測で物を言うよりも遥かに祖父の言葉には重みがありました。
祖父は終戦後は農林水産省に入り定年まで働きました。ギャンブルも趣味も一切やらなく生真面目な人でした。
お酒とタバコはヘビーでしたがw
お酒などは軍人上がりですので底なしでした・・・一日に一升、二升は開ける時もありました。
でも決まって飲まれてました・・・グデングデンに酔い決まって言う事が自分だけ生き残ってしまった・・・沢山の部下達を死なせてしまった・・・チクショウ!バカヤロウ!といつも言ってた記憶があります。
戦争は絶対にしてはダメですがそれでも、もし戦争を日本が今起こしたら、そして起こさなければならない状況に置かれたらどうするのでしょうか? 武器もなにも持っていない一般の市民には非無ですね。
ここではそれ以上の事は書きませんまたいつものように政治に対する反感心な記事になるのでそれはまた憂国カテゴリで記事りますw
祖父母の戦時中のお話ですが笑えたのが祖母は軍需工場で働いていたそうで
すがそこで兵隊さん達のチューインガム(糖分とかを補給する為の非常食?)
を作るのにエタノールがいるのですがドラム缶に入っててそれをたまに祖父は
抜き取って飲んでたらしいです^^; これはちょと犯罪?まぁ時効ですがw
飲まないとやっていられないような戦況下だったのでしょうかね?
何度か禁酒をしたのですが持って2~3ヶ月w 晩年は流石に飲まなかったですがねw
生き残ってたからこそこうやって話ができたんじゃないと今に思います。
この頃の日本は華々しく戦死して散って行くのがかっこよかったかどうかは知りませんが生きてこそそして次の世代に戦争はしてはいけないと言う事を伝える義務があったのではないでしょうかと考えるわけですよ。
そして戦争を知らない世代でもその先人の言葉を真摯に聞き受けてこそ
真の平和はあるのではないでしょうか。
追伸
祖父が他界して勲章が授けられました。
亡くなると勲位が1つ上がるそうです。
墓は家の近くになるのですが魂は靖国で眠っているのでしょうかね~?
総理の名前が入っています。
小泉は靖国を参拝した最後の内閣ですよかったねじいちゃん!
安らかに眠ってください。
Posted at 2015/08/15 21:25:45 | |
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