こんばんわ。 ミッキーPです。
今回は、ミッキーPがかかっている耳の病気についてブログUPします。
数年前からミッキーPは左耳の病気(メニエル病)により、左耳の聴力が殆ど無く、常に蝉が鳴いているような音量の耳鳴りや、若干のフラつきがあるのですが、特に晩秋~春先にかけて、突然の激しい回転性のめまいに悩まされています。
ミッキーPは仕事で、開発車両をテストコースで運転して走行評価する資格を持っているのですが、この病気にかかって以来、テストコースの高速周回路のバンクや、ABS等の足回り評価路など、
強いGがかかる場所は怖くて走れなくなってしまいました。
このブログでは、その原因となった、耳の病気、メニエル病の発症~現在までの経緯について
記載しようと思いますが、
このブログを読んで下さる皆様に、是非とも伝えたい事があります。 それは、
耳鳴り、聞こえ難い、耳が詰まった感じ、めまい など、普段と違う
耳の異常を感じたら、1刻も早く耳鼻科を受診して頂きたい
と言うことです。
これは、ご自身だけでなく、ご家族、ご友人も同じです。
耳の病気、特に内耳に関する病気は、原因不明で国の難病指定を受けている、
突発性難聴やメニエル病が有名ですが、いずれも発病から治療開始までの時間が、
遅ければ遅い程、治癒率は激減するそうで、一説には、治療開始が1日遅れる毎に、
治癒率は半減するとまで言われているそうです。
ミッキーPは治療を遅らせてしまったため、完治は望めない状況になってしましました。
以下、自戒の念を込めて、その経過を紹介します。
(以下、長文になります。お時間が許せる方のみお読み下さい)
今から8年前のある日、朝起きたら、トンネルに入った時のような左耳の詰まりを感じました。
どんなに唾を飲み込んだり、あくびをしても詰まった感は取れませんでしたが、
奥方様や娘達の声はハッキリ聞こえ、耳鳴りやめまいも無いので、特に気にも留めず
車で出社しました。
運転中、やけに車が静かで、殆どエンジン音が聞こえない事に気が付きました。
どうやら、左耳の低音域が聞こえていないようでした。
その日、突発性難聴を患っている隣の職場の先輩と、仕事の話をしている時、
ふと、朝から低音域が聞こえない事を告げると、「直ぐ耳鼻科に行った方が良い」とのアドバイスを
貰いましたが、仕事が忙しかった事や、次の日には耳鳴りはするものの、聴力は戻ったので、
耳鼻科には行きませんでした。
それから3ヶ月、一時的に低音域が聞こえない事や、耳鳴りなどが、不定期に繰り返されましたが、1~2日もすれば、治るので、そのまま放置してしまいました。
そして初めて耳の異常を感じてから3カ月後のある朝、
天井がグルグル回る程の激しいめまいに襲われ、立つどころか頭を1mmも動かせない
状況になりました。 さらに顔面蒼白になり、激しい嘔吐の連続。。。それが6時間続きました。
本当に死ぬかと思いました。
翌日、フラフラするものの、めまいと吐き気は治まったので、近所の耳鼻科を受診。
症状からメニエル病の可能性が高いと言われ、大学病院での精密検査を進められましたが、
とりあえず、点滴と激しくまずい”イソバイド”という液体薬を処方され帰宅。
不思議なことに、翌日には何事も無かったようにめまいも耳鳴りも消え、普通に戻ったので、
大学病院どころか、近所の耳鼻科に行くことすら止めてしまいました。
それから1年後のちょうど今頃、忘れもしません。 娘達の保育園最後の学芸会の最中に、
激しいめまいに襲われ、娘達から是非見て欲しいと言われていた演技も見ることができず、
フラフラになって、自宅に戻り、2日3晩、めまいと嘔吐に苦しみ、漸く、めまいが治まったところで、
近所の耳鼻科に直行。
その時も、前回と同じ点滴や薬を処方されましたが、今度は4ヶ月間、断続的にめまいと耳鳴り、
聴力低下に襲われました。 通常、メニエル病のめまいは長くて6時間と言われてますが、
ミッキーPの場合12~48時間続く、酷い状況で、3月には大学病院を受診する事になりました。
そこで、全国でも有名な耳鼻科の権威の先生(当時、付属の医科大学の学長をされていました)に診察してもらい、何とそのまま即入院となりました。
この入院では耳の機能回復を目的に、
鼓膜に穴を空け、ステロイドを内耳に直接注入する治療を受けました。
入院中、娘たちの小学校入学式があり、特別に許可を貰って、病院から入学式に出席しました。
その甲斐あって、めまいや耳鳴りなど無くなり、聴力も回復したため、1ヶ月で退院しました。
しかし、その年の秋、娘達の1年生の運動会の最中に、恐れていためまいが再発。
12月に大学病院に再入院する事に。
この頃には、左耳の聴力は全域で殆ど無く、常に激しい耳鳴りと、耳の詰まった感じが
続くようになっていました。
このため、今回の治療は聴力の回復は諦め、三半規管の機能を殺す劇薬(ゲンタマイシン)を
内耳に注入し、めまいだけ止める治療を1ヶ月受けました。
しかし、めまいは止まらす。 とうとう、外科手術する事に。
手術の名称は「内リンパ嚢開放術」というもので、全身麻酔をした後、耳の後をザックリ切って、
頭蓋骨にドリルで穴を空け、三半規管のリンパ液が溜まるリンパ嚢に穴を空け、常にリンパ液を
外部に排出することで、メニエル病の病態であるリンパ液の溜まり過ぎを解消するというもの。
三半規管の周囲は聴覚、味覚等の神経が沢山あり、意外とリスクが高く、難しい手術みたいで、
大学病院でも学長先生しか出来ないとの事。 ただ、学長先生は既に他の手術の予定が一杯で、
結局1年後の10月末に手術する事になりました。
そして、待つこと1年。 漸く手術当日が来ました。
手術室に入る前、不安そうに泣きじゃくる娘達や、目に涙を浮べながらも必死で笑顔をつくっている奥方様に見送られ、手術室にIN。
手術室には20人以上の先生やインターンの方が居るので、不思議に思っていたら、
この手術は滅多に見る事ができないので、見学に来ているとの事。
沢山のギャラリーの晒し者になりながら全身麻酔。 一気に記憶が無くなりました。
そして、夢を見ていました。。。。全身麻酔中でも夢って見るんですよ!
どんな夢だったかというと。。。。。。
目の前に川があって、渡ろうとするのだけど、誰かが背後から声をかけてきて、中々渡れない。。。
なんて、良くドラマであるような神秘的なものとは程遠く。。。
何と、トイレを探している夢です。 どこへ行っても満員で。。。もう、チビりそう!
その時、ミッキーPさん、ミッキーPさん、っと看護師さんの声がして、目が覚めました。
同時に、尿管カテーテルのおかげで、あそこの先が痛くて痛くて堪らない。
でも、術後1日は抜けないようで。。。もー嫌だ!早く抜いてくれー!
しばらくして手術室から隣の部屋へ移されると、そこには目に涙を浮べた奥方様と娘達の顔が。。。
この時初めて、”生還した!”って実感が湧きました。
それから約1ヶ月、結局、聴力は戻らず、常に耳鳴りもする状態でしたが、
めまいは治まったようで、無事退院。 翌年の冬は多少のフラつき、はあったものの、
1度もめまいに襲われる事は無く、これで辛いめまいからオサラバかと思いました。
が、甘かった!
その年の秋、まためまいが。。。ただ、めまいの時間が3時間位と短く、めまいの頻度も、手術前の1/10位に減ったのは、手術の成果と前向きに捉えてます。
そして、現在も、この状況は変わりません。
これは今も1日3回欠かさず飲んでいる薬たち。
ミッキーPが悔やむのは、一番最初に耳の異常を感じた時、
隣の職場の先輩のアドバイスを聞かず、直ぐに耳鼻科に行かなかった事です。
直ぐ耳鼻科に行っても結果は変わらなかったかもしれませんが、それでも悔やまれます。
この長いブログにお付き合い頂いた、皆さんには、せめて、ミッキーPと同じ過ちを犯さないよう、
ご自身や、ご家族、ご友人で耳の異常を感じたら、一刻も早く、耳鼻科を受診するよう
強く強くお勧めします。