2011年03月21日
やっと ネットがつながり ブログをUPできます。
なんとか命が助かった ハンバーグ屋です
3/11午後 2時47分 震度7は確実にあるだろうという揺れが 襲い
そのわずか50分後に 10メートルの津波が 当社を襲いました
その時家族は パラパラで 私は会社で 社員の安全を図るしかできず
4歳の娘は 津波が直撃した地域に一人でいました 二男は 近くの山に避難していたようです
三男は仙台の学校で 長男と妻が 浸水した地域にいたのを最後に連絡が取れなくなりました
津波の威力はすさまじく われわれは 会社の2階に避難して難を逃れたのですが
当社の駐車場に逃げてきた数人の方が目の前で 脛ぐらいの水位でしたが さらわれてしまいました
どうする事も出来ずに・・・・残念です
なんとか 電柱に よじ登り難を逃れた方もいたのですが その後の吹雪で 姿が見えなくなってしまいました ご無事であることを切に願います。
また 車で逃げようとした 方たちも 信号が止まり 激しい渋滞の中 車ごと波にのまれてしまったようです 当社の社員も 車で帰宅しょうとしていたのを 私が止め 20数人の命を助けられたことが
せめてものすくいです。
家族の安否も確認できないまま 一晩 社員と会社で避難し 翌朝水が引いたのを確認して
まず娘の 避難しているであろう 場所に行きました 無事娘を見つけることができ 涙をこらえて
家に連れて行きました。 二男は その日に家に帰ってきて 家族3人でしたが とりあえずの安堵
私の家は 幸いなことに 津波の被害はほとんどなく こちらも 不幸中の幸いでした。
午後になり 3男が 夜 危険を顧みず 仙台から帰宅 これで 家族4人 ただ 妻と長男がいた場所は 水が引かず孤立状態が続いているとのこと 娘がいなければ 探しに行こうとも思いましたが
子供たちをほっていくわけにもいかず ただただ 案ずるのみでした 娘がしきりに お母さんは?
と聞くので 買い物に行って明日帰ってくるってさ というのが精いっぱいで とてもつらかったです。
次の日 妻の妹が 家に来て 無事であることを喜びましたが 依然 妻と長男の安否が分からずでした
次の日は意を決して探しに行こうと決め 次男三男には 妻と長男のことを覚悟しておくように伝え
支度をしていたら ひょっこり 長男と妻が帰ってきました 思わず涙が・・・・
聞くところによると 水没した地域にいて水かさが増しかなり危険な状態だったようです
どうしようもないので 隣の建物のガラスを割り 3階で暖をとりと言って胸まで水につかったせいで
震えは止まらなかったようですが なんとか 窮地を脱し 次の日意を決して再び30分も水の中を移動して
住吉中学校に避難していたようです 助かって本当によかった。
当社の社員は 1人だけ 家の中で水死していました あちらこちらの避難所を探し回ったのですが見つからず・・・ 無念です 寒くそして 苦しかったろうに・・・
御冥福をお祈りするしかいまはできません 力のなさに 情けなくなります
友人知人の中にも 安否確認が取れない方もまだ多数います 皆さんの無事を心よりお祈りしています
また 被災状況は激烈を極め 復興のかすかな光すら今は見えない状態ですが
必ず復活します
ハンバーグ屋号も 水没しましたが 本日引き上げ 必ず復活して見せます
ランクルとプリ臼 マジェスタは 完璧に波に流され 見る影もありません
幸いなことに エポーラと サガリスは 無傷でした良かったです。
しかし 道路の状況が悪すぎて 走ることができません 宝の持ち腐れ状態です
今の足は 妹に足車として買ってあげた オブティ1台中古で10万円の車が大活躍です。
今現在 石巻は まだまだ がれきの山状態です 瓦礫がなくなっても 働く場所がなくなれば
石巻市自体無くなってしまうのではと思うぐらいです なんとか 会社を工場を 早急に復興し
美味しいハンバーグをまた 全国に販売したいです
そして レース活動も モータースポーツもできる限り応援し 楽しめるように
気力の続く限り 絶対あきらめないぞ
Posted at 2011/03/21 18:35:12 | |
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