平塚為広公の碑
私が、もし関ヶ原合戦場に居たとして、個人的感情で「貴方の為に討ち死にできる」第二の人です。
平塚為広公は、大谷吉継公の友人です。病身の友人の大谷吉継が関ヶ原(慶長5年(1600年)9月15日)に参戦するので、その友人を守るかのように大谷陣営の前に陣を構えます。
だからでしょうか?平塚為広公の盾になるという事は「大谷吉継公を守る事になる」と思うかでしょうか、それとも病身の友達の為に命をかける武士として尊敬しているからでしょうか? よく分かりませんが、私は平塚為広公の盾になれると思っています。
そんな平塚為広公ですが、大谷吉継公が心配していた事が現実となり、小早川秀秋が東軍に寝返ってしまい、西軍最大戦力であった宇喜多秀家(兵力17.000)が押されて敗戦が濃くなってしまいました。もはやこれまでと思った平塚為広公は友人の大谷吉継公に辞世の句と敵将の首を届けました。
平塚為広の辞世の句
「名のために 棄つる命は惜しからじ 終にとまらぬ 浮世と思へば」
そして大谷吉継もこれまでと思い、家臣の湯浅五助に自分の首を隠すように頼み自害します。
大谷吉継の辞世の句
「契りあらば 六の巷に まてしばし おくれ先立つ 事はありとも」
合掌
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