
玉川上水を散歩中に食事で入ったお店に置いてあった、タウン誌のコラムを読んで、今更初めて知ったお話。
所沢市から小平市に掛けて、「お祭状態」でこんがらがってる路線配置と多摩湖(村山貯水池)を三方から囲む3つの行き止まり駅、すなわち「西武球場前」、「西武園」、「西武遊園地」の由来。
なんでもその昔、3つの鉄道会社が競合した挙句に合併したのがいまの西武鉄道なんだそうな。ざっくり云うと、
「川越鉄道」・・・国分寺から(いまの国分寺線経由で)東村山を経て本川越へ。
「武蔵野鉄道」・・・いわゆる池袋線。
「多摩湖鉄道」・・・いわゆる多摩湖線。
※川越鉄道(国分寺-川越)は甲武鉄道(いまの中央線)からの分岐で幹線の性格が強かったため、「造り」が立派らしいです。
※武蔵野鉄道の開通後、川越鉄道は東村山から新宿方面へ新線を引いて対抗。これが後の新宿線となったというわけです。
※拝島線ができたのはかなり後。
鉄っちゃんの中では常識だったのかなあ、とも思いますが、今までのほのかな疑問が今更ながら氷解(笑)。
帰宅してから改めて調べてみますと、
Rail and Bikesさんのサイトがわかりやすいですね。
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川越鉄道の面影(西武)
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そして線路はつながった(拝島線)
Posted at 2006/12/14 00:33:36 | |
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