長女が高校生なんですが、学校はやはりバイクは全面禁止です。本人はバイクというよりもツーリングに興味があるらしく、私の古いアルバムとかを見て「いいなあ・・」と言ってくれたりします。確かに楽しいし是非とも体験して欲しいのですが、気がかりなのはやはり事故であります。
私も自損を含め、何度かやっていて偉そうな事は言えません。若さゆえの過ちは今にして反省すれど当時は気がつかないものです。今も忘れられない事故の思い出ですが。
学生時代、何かあると琵琶湖一周か福井県へ走りに行くのが多かったのですが、その日も級友たちと連れ立って数台で福井へ向かっていました。 京都~福井への162号線は周山街道といわれる路線で休日ともなれば今も昔もバイクツーリングの主要道路です。冬の暖かい日だったと記憶しています。 その日私はLAカスタムで皆と千鳥を組んで走っていた中ほどにいたと思います。
京北町を過ぎたあたりで本当に突如、RGΓ250が千鳥の中を縫うように追い抜いていきました。かなり乱暴な感じで抜かれたので、先頭を走っていたVTの友人はカチンときたのか?Γを追いかけ始め、あっという間に我々は置いて行かれました。VTの友人は仲間内ではかなりの走り屋で、LAの私が追いつくはずもありません。それなりに速度を上げて走っていると、とあるコーナーの入り口にVTの友人が両手を振って制止しています。慌てて停止して見て見るとライトバンの下敷きになったΓと仰向けに転がったライダーが!!
VTと競いあった末にコーナーでセンターを割り、滑って車の下敷きになったようです。ガソリンやオイル、Γの破片が道に飛び散り、なんともいえない臭いがたちこめて今まで経験したことの無い緊張をしたのを覚えています。狼狽するドライバーの男性。後で聞いた話では京北町から家族で市内へ向かう途中だったそうで、道の傍らには泣きじゃくる女の子と小さな子供を抱えた母親の姿も。
おそらく即死だったのでしょう。足と頭が違う方向にねじれて全く動かないライダー。私は怖くて近づくことも出来ませんでした。警察と救急を待つ間もドライバーは気の毒にも必死でバイクが転がってきたと訴えていました。楽しいはずのドライブがとんでもない事になり、不安げに見ている家族を見て心底気の毒に思いました。
やがて警察や救急が到着し騒然となりました。VTの友人は聴取を受け、我々は所在なげにうろうろするばかり。道路にライダーの物らしいタバコとジッポーライターが落ちていて、それをΓの横に添えたのを覚えています。そのライダーを担架に乗せていた救急隊員と目が合ったのですが「あごヒモを外して!!」と言われ、私がヘルメットのDリングを外し脱がせました。赤黒くなった肌と紫になった唇。一瞬白目になった顔が強烈に脳裏に焼きつき、気分が悪くなりました。
当然その場でツーリングは中止になり帰宅。翌日の新聞で死亡したライダーは19歳で会社員と報道されていました。目の前で起こった死亡事故にVTの友人はショックでしばらくバイクには乗りませんでした。私も怖くて翌日は自転車に乗って登校したのを覚えてます。
翌週、希望者だけ集まって花を手向けようと現場に向ったのですが路面が凍結していて全員が転倒!!現場を訪れる事が出来ずに戻るハメになってしまいました。「来るなて言うてんのかな?」と誰かが言いました・・・・
162号線はその後も今も当然何度も走りました。現場は複合カーブでよく知られており、速度が上ったまま入ると「おっと!?」となるコーナーです。夏の行楽で家族と車で通過する際も「ここや・・・」とあの状況を思い出します。バイクは楽しいばかりではありません。危険と隣り合わせで事故は必ず一度は経験するものです。当時親には「気をつけや!!」とすっぱいほど注意をうけました。親となった現在、手放しに娘にバイクを薦めるのもためらわれる思いであります。
Posted at 2015/06/14 06:38:17 | |
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