• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

roapsterのブログ一覧

2019年09月01日 イイね!

良いところもあったけど、もう「日本車」ではない。

良いところもあったけど、もう「日本車」ではない。乗せる人のほぼ全員からこれはいい車だねって言われるのは嬉しかったです。けど、残念ながらレガシィはこの型(BM/BR)からもう日本市場を相手にしなくなってしまったのだと思います。その結果、北米を中心に爆発的に台数を伸ばし、一企業としてはそれで成功なのかもしれませんが、「見捨てられた」立場としては、寂しく感じます。日本国内でも様々な地域があり、道幅が広かったり比較的家と家の間に余裕があり、雪の多い地域では引き続き頼りになる存在と思いますし、おススメできますが、いずれにしてももう日本ではホンダのアコードやトヨタカムリと同様に脇役的存在(アメ車化?)
東京都三鷹市と群馬県太田市並びにその周辺以外では、もう稀有な存在なのでしょう(笑)

現行のBN/BSは、ターボ車も無くエンジン・トランスミッションは1種類でグレードもシンプル、
かつての看板車種がこんなに存在感が薄くなってしまって、一体スバルは今後日本で何を売りにしていくのでしょうか?
Posted at 2019/09/01 20:39:22 | コメント(0) | BM9(レガシィ) | クルマレビュー
2019年08月04日 イイね!

スバル車を降りて


本日10時、下取り店にレガシィを引き渡しました。手続きは1分も掛からず終わり、早々に店を後にしました。
家を出る時はさすがに、これが最後だなと思いましたが、店から帰る時はさほどの感慨も無く、レンタカーを返すような感覚でした。
まあ、心から欲しくて買った車ではなく購入にあたってはどうしても渋々さ嫌々さがついて回ったので、そうなったと思います。

これでスバル車とは完全に縁が切れました。

大学を卒業して就職するに当たり、通勤車両はスバル車を奨励するという実に日本的慣行極まりない当時の会社の社内規則の一文にのっとり、まだ車も持ってなかったものでちょうどいいと言えばちょうどよかったのですが、中古車屋を当たり、ディーラー系の中古車店で、5年落ちの初代インプレッサのリトナという2ドアクーペの1.5L・FF・5MT(GC1)を親に買ってもらいました。

軽でもよかったのですがとにかくMT車が欲しくて、でもなかなかなく、最後に行った店で買えそうな価格帯であったのはヴィヴィオとこの車だけでした。恐らくそこに並んでいた車の中で2番目に安かったと思います。車両価格36万でした。

この車を買って手放すまでの間はデジカメの類を持っていなかったため、写真はすべて紙しかなく、ここに載せられないのですが、ボディーカラーは赤でした。

100馬力も無いしょぼいスペックでしたが、高校生の頃から三本和彦信者で、「パワーは麻薬」「非力な車をギアを駆使してだましだまし乗るのが面白い」の理念に反しないクルマ選びをしたつもりでした。

初めてのクルマで、それなりに満足していたものの、やはりホントに欲しい車を買いたいとの思いは捨てきれず、FRが欲しいと思い始めたころ、NBをレンタカーで借りてこの世にこんな車があるのかと衝撃を受け、2005年10月にNCのオーナーになるわけですが、どうしても通勤車両の縛りがあることから、平日はGC1・土日はNCという二重生活になりました。

2008年3月の車検切れを機にGC1を手放した後は、父のフォレスター(SG5)を通勤車両とし、2017年1月の父の退職後はレガシィ(BM9)を購入し通勤してましたが、2018年末をもってその会社を退職し、新たな職場では通勤車両の縛りが無いことから、この9月の車検切れを前に手離した次第です。

BM9の車検を継続させるか否かは、余り迷いませんでした。
乗せた人すべてから、この車はいい、広いし力もあるし直進安定性もあるし、とおっしゃっていただきました。それは嬉しかったのですが、重すぎるクラッチと、5ナンバー枠を遥かに超えた車体寸法、取り回しの悪さには、2年半の歳月を費やしても全く慣れることはありませんでした。
やはり、もはや日本を市場とした車ではないのだと思います。

思えば、自分が子供の頃のスバルは、小型車1車種(レオーネ)・軽自動車1車種(レックス)軽貨物車1車種(サンバー)、たったこれっぽっちのラインアップでした。
まさに知る人ぞ知る存在で、一般受けは低く、父も長年太田に住みながらスバル車を購入したことは一度も無く、いすゞとスバルだけは買わないなと言っていたのを聞いたことがあります(その理由は話せば長いのでここでは割愛します)

そこから考えれば、現代でも依然車種数が少な目であることは変わらずとも、
年間生産台数は100万台を超え、隔世の感が否めません。
私がスバル車に携わったこの17年の間だけでも、くしくも、インプレッサ・フォレスター・レガシィとスバルの主力3車種全てに乗ることが出来ました。

近くて遠い存在だったスバルを、自らの純粋な意志からではないにせよある程度体験出来たのは、それはある意味一ドライバーとして、良かったことなのではと、これを書きながらたった今思いました(書くまでは、全然そんなこと考えてもいませんでした、ホントに)

昔では考えられないほど、多くのユーザーに認知され、愛されるようになったスバル。
さして意義のあるように思えなかったサッシュレスドアや軽の4気筒エンジンに固執したり、使用頻度の多さに反比例し何故か装備が軽んぜられることの多い商用車(レオーネバン)に当時としては贅沢な独立懸架システムをおごったり、いい意味悪い意味で、作り手の良心的こだわりを感じられる装置も多かったと思います。その1つにアイサイトもあったと思います。
先進的な装備で、長い歳月をかけて実用化にこぎつけた技術者のたゆまぬ努力に
は頭が下がります。

これ以外にも、CVT(私は非力な車以外にはその意義を認めませんが(笑))・ジャスティ・ドミンゴなど1.3L以下の排気量の小型車、ヴィヴィオビストロのレトロカー的なスタイル等、このメーカーからは商業的成功は別としても他に先駆けて誕生した技術・流行が結構あることに気付かされます。

ご存知のように、2012年をもって軽自動車の自社開発・生産を終了し、得意の4WD・水平対向エンジンを有する小型車に特化する方針に切り替えたわけですが、奇しくも特化する前の方が面白いものが次から次へと飛び出してきたように思えます。
売れないものはもうやらないということなのかもしれませんが、つまらないけど売れるものを作るより、売れないけど面白いものを作り続ける方を応援したいと私は思います。
個性が薄まったという言い方をする人もいるけど、面白いものを世に問う、そんなメーカーであってほしいと思います。
そうでなかったら、この国に8つも乗用車メーカーは要らないと思います。

では、クルマ選びに何の縛りも無くなった今の私が、今後スバルを選ぶことはあるか?
絶対無いとは言えないです。ですが、現時点のラインアップで心から欲しいと思える車は無いです。
とにかくボディサイズを劇的に、5ナンバーサイズにしろとは言わずとも車幅1750mm前後に落としてほしい。例えばインプレッサ、ゴルフやマツダ3がそうだからという理由だけで、車幅1800mmに安直にしないでほしい。
それとやはりトルコンATも有しておいたほうが絶対いいと思う。CVTと両方開発できないのであれば外製化したっていいではないか。
少なくとも300馬力のクルマ(そもそもそれが要るかという問題があるが)に積むべきではないと思う。

この駄文を終わるにあたってもう1つ、蛇足とは承知で最初に触れた前の会社の社内規則にも触れておきたい。
紹介する意味で記しますが、私が辞める数年前から、スバル以外のメーカーで通勤する人からは駐車料金を徴収するという一文が社内規則に加わりました。また、これは明文化されていませんが、人事考課・昇進に関しても、スバル以外の車に乗っている人はスバルに乗っている人より低く評価されるという慣行が行われてます。
その中にいた時は、いやその時ですら、何てくだらないバカらしい規則だと思ってましたが、そこから離れてみて、改めてその異常さに愕然とします。
誰も公の場に訴え出ないから、こんな愚行がまかり通るのだと思います。

自分も訴え出ず嫌々ながらも従っていたから、今従っている人たちを責めることは出来ないししないけど、こういう前近代的愚行が次々と社会的に糾弾され、淘汰されている時代だから、いずれこれらも過去のバカ話として歴史の闇に葬られる日が来るのでしょうか。

いろいろ話が飛びましたがこの辺で。
Posted at 2019/08/04 22:14:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | BM9(レガシィ) | 日記
2019年08月03日 イイね!

帰郷?

売却前夜、洗車して、こんな場所へ連れて行ってきました。

ステッカー類も剥がし、車内やトランク内の物もすべて下ろしました。

明日お別れです。

Posted at 2019/08/03 20:56:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | BM9(レガシィ) | 日記
2019年07月31日 イイね!

売却

レガシィの売却が近づいてまいりました。
ちょっと思わぬ展開がありましたので記します。

先々週、某有名買取業者に持ち込み、査定を依頼しました。
営業の人間は、ディーラーでよく使われているという、査定をするうえで元となる
書籍を見せてくれたところ、私のクルマ(2010年(平成22)年式の
BM9(5代目レガシィセダン)GT・Sパッケージは平均¥51万、6MT車
だとプラス\9万、もしピンポイントで探している客に売れた場合
¥70万円くらいになりますと言われました。

まあ、相場もわかりませんし、ほぼ10年落ちのクルマですので
まあそこそこいい値段じゃないかと思いました。
2か月くらい前に見た中古車雑誌で2009年式の9万キロ走行の
同型車が¥90万で売られていたのも見てましたし。

これはあっという間に売れると思いますし、この価格も破格ですよと
言ってましたが、1軒だけの話を聞いて判断するのもどうかと思い、比較の意味で
もう1軒くらい行ってみるかと思い、先週日曜にCOWCOWという業者を
訪れました。

物静かで真面目そうな店長が出てきて、査定しますので少々お待ち下さいと言われ、待つこと10分余り、価格が出ましたと言われ、まあ¥70万前後を提示されるのだろうと思ってました。

ところが店長の言う価格は何と、¥120万!

余りに驚き開いた口がふさがらず、そのままでいるのもどうかと我に戻ったので、言葉が出なかったのは、先週行った店での提示額から1ケタ差があり、2倍もの差があるからであることを伝えると、これまた何やら資料を見せます。直近のこの車の査定額で、日を追うごとに目減りはしてくるものの、間違いなく100万以上の額がついてます。

先週行ったのはどこの業者さんですかと言われたので、正直に社名を話すと、ちょっと調べてみましょうかと言われ、その店の中古車販売のサイトを検索しました。
そこには、2009年式で2.4万キロ走行のクルマ(同じく6MT)に約¥180万の額が付けられてました。ちなみに私が2年半前の1月に購入した時は3.9万キロで車体価格¥180万でした。確かに距離も少なく希少車ではありますが、言ってしまえばこんな10年落ちのクルマでどれだけぼったくるのかという話です。

店長さん曰く、うちは薄利多売で、ラジオCMも出せないほどの規模ですがと謙遜されてましたが、誠実さを感じられたので、中古車の査定でマネーゲームをするつもりはなく、契約してきました。

店長氏いわく、私が最初に行った店を始め数々の超有名店は、たとえ相見積で高額を付けても、契約後に修復歴やら傷やらが後から見つかったと難癖をつけ、査定額を目減りさせる「二重査定」をしたり、いろいろ薄汚いことをやっているそうです。

勉強になりました。

下取りをお考えの方、COWCOWさんはおススメです。査定額割増券をもらったのでもしご興味ある方はお声かけください。

また、「ぼったくり」店については店名を明らかにしようかとも思いましたが、ケースバイケースな時もあるかもしれませんし、腹立たしさはありますが今回は伏せておきます。どうしても知りたい方がいらっしゃいましたらこちらも別途お声かけください。





Posted at 2019/07/31 20:37:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | BM9(レガシィ) | 日記
2019年05月11日 イイね!

岩手旅行

こんなに日にちが経ってから5月連休を振り返る人もあまりいないかとは思いますが・・・

4泊5日で、レガシィに乗って岩手県を旅してまいりました。

レガシィは今年9月に車検を迎えます。
元々は、前職の関係で購入した車で、転職した今その縛りが無くなりました。
恐らく、車検は更新せず手放すと思います。
NC1台では実用性が無いので、ホントにNC1台体制でいいのかという問題もありますがその辺の話は別に譲ります。

1日目は、ひたすら東北道を北上し、岩手県奥州市水沢に泊まりました。自分の運転で到達した県では最北となりました。

2日目は、水沢競馬場を訪れ参戦しました。
レトロな雰囲気いっぱいの競馬場でした。


収支は、3連単を3つ当てましたがそれ以外は負けが込み、少しプラス。

こんなに近くをレースを終えた馬が厩舎へ帰っていきました。

その後は盛岡へ移動し、盛岡周辺に住んでいる大学の先輩と再会。

3日目は、この旅唯一の雨の日でした。
盛岡城跡へ少し行った後、国道106号を東へ。
茂市という町から国道340号を北上します。

この沿線に、5年前に廃線となったJR岩泉線の駅や橋梁の跡が
残っていました。

天気が悪かったこともあって尚更、寂しく見えました。
山の中の橋梁は、おそらくこのまま手つかずで朽ち果てていくのでしょうか。

しかもこの国道は途中険しい山中に入り、すれ違いも困難なほどの狭さで、路肩も荒れていて、通過時恐怖を感じました。すぐそばを川が流れており、嵐の日には絶対来たくないですね。

岩泉町へ入り、ついに沿岸へ到達しました。
言うまでも無くここは、8年前に大きな被害のあった一帯です。

まず、鵜の巣断崖という場所を見学しました。
天気は悪かったですが、それほど波立ってはおらず、濃い霧が辺りを覆っていました。
柵の向こうは垂直の崖です。よくこんな所へ行けたものだとあとから思います。

次いで、震災遺構を2つ見学しました。少しショックな画もあるので、見たくない方はすみませんがスルーしてください。

1件目は、明戸水門の跡です。防潮堤が破壊され、8トンもあるテトラポットが
海から200メートル近く陸地へ流れてきたそうです。

2件目は、たろう観光ホテルの跡です。3階部分まで浸水したそうです。

様々な感情や考えが浮かびましたが、それを具体的に言葉にしようとする気が起きませんでした。

この夜は、宮古市内に泊まり、ホテル近くの創業45年というイタリア料理の店へ行きました。
女性が一人で切り盛りしているそうです。

震災のことは、語りたくない方もおられると思うので、こちらからは聞かないようにしておりますが、この方は自ら、貴重な経験を語っていただきました。

4日目は、車をホテルにおいて、この3月に8年ぶりに運行再開した三陸鉄道の区間に乗りに行きました。

三陸鉄道の釜石ー宮古間は、かつてJR山田線の一部でしたが、震災で被災し、不通となっておりました。
復旧には莫大な費用が掛かり、再開しても利用が見込まれないことなどを理由に、JRは、バス路線への転換を地元に打診しておりましたが、反対の声が多く、復旧費用を負担し、この区間の南北に路線のある三陸鉄道に移管し再出発することになりました。

まず私は宮古から北へ進み、田野畑村の島越駅で降りました。
ここは、三陸鉄道が2014年春に全線再開した際、最後まで残っていた区間でした。
2つのトンネルに挟まれ、島越駅は、津波で周辺の線路の路盤も含め破壊され、駅周辺の川沿いにあった集落も、高台にあった家を残し無くなりました。

かつての島越駅は特徴的な青い屋根の駅舎を有していましたが、私が2014年の再開直後に訪れた際は、まだ駅舎が建設途上でした。
旧の駅舎を模した新しい駅舎が2014年夏に完成していました。それを見ることが出来ました。

この階段と石碑【宮沢賢治の詩碑)は、旧駅舎関係で唯一奇跡的に残ったものです。


周辺の海です。この旅を通し何度も思ったことですが、こんなに穏やかな海が、ホントにあのような災害を生み出したのか、信じがたい気持ちです。

1時間半後に南へ引き返し、運行再開した宮古ー釜石間に入ります。
新たに線路を敷き直された区間が多かったです。

震災後三鉄が新たに購入した車両や建設した駅舎は、クウェート国からの寄付(重油を寄付され、それを販売したお金)を活用されてのものでしたので、至る所にこのような掲示がされていました。地元民でなくても、心温まり涙が出そうなご厚意です。




釜石市に入り、鵜住居駅で降りました。
駅から徒歩10分ほどのところに、鵜住居復興スタジアムがありました。
かつてここに小学校と中学校があり、津波で流され、その後にこのスタジアムが建てられました。この秋、ラグビーのワールドカップが開かれます。
沢山の世界の人々に来ていただきたいです。

また、駅に隣接した建物では、防災をテーマにした展示がされておりました。こちらも、多くの方に目を通し、考える契機になればと思います。

最後に、釜石から南下し恋し浜という駅で降りて、海辺まで歩いた後、宮古へ引き返しました。


5日目 あっという間にこの旅の終わりです。
最初に宮古市内の浄土ヶ浜を訪れました。

この岩岩も津波で一部破壊されたそうです。

大変綺麗な景色で見ごたえがありましたが、駐車場からの道がきつい坂道で、辛そうな人もいました。

帰路は、国道45号を、昨日乗った三鉄に沿って南下します。
途中の浪板海岸。かつては返し波の来ない海岸だったそうですが、津波で地盤沈下してしまったそうです。

道路の至る所に「この先過去の津波浸水区間」という表示と、そこを脱するまでの距離が示され、街の中でも至る所に津波の到達地点が表示されていました。
沿岸部は、海が見えないほどの高さの防潮堤が建設されているところが多かったと感じました。よそ者の私としては、多少見えた方が安全のためにいいのではとも思いましたが、様々な議論があって決まったことと察します。

せっかくなので昼食は海の幸でも食べようかと釜石駅そばの店を何軒か見ましたが、どこも混んでいて、それならかっぱ寿司でも行くかと思ったら50分待ちと言われ、断念しました。でも気持ちの良い断念でした。これだけ多くの方が集まっていたことは、嬉しく思えました。
その後は内陸へ国道283を走りました。この道は幅も広く走りやすかったです。
遠野から高速に乗り、帰りました。途中何回か渋滞に巻き込まれましたが、完全停止することはなかったので、ぐったりせずに済みました。
総走行距離1400キロの旅でした。

久々の長距離運転でしたが、思ったよりは疲れず、楽しかったです。ここまで長くなくてももう1回くらいレガシィがあるうちに行ってみようかとさえ思いました。

私としては5年ぶりに三陸の地を訪れました。その時は、街中に壊れた建物が残っていたり、爪痕を間近で感じました。
今回は、震災遺構を除きそのようなものはありませんでした。
綺麗な街並みが多かったですが、それで一件落着と思わず、その景色に見えないものを、今後も私なりに追い求めていきたいと思います。

超長文を終わりまでお読みいただいた方、ありがとうございました。





Posted at 2019/05/11 19:13:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | BM9(レガシィ) | 日記

プロフィール

「三本和彦さん http://cvw.jp/b/2362714/46299202/
何シテル?   08/06 15:30
roapsterと申します。 星6つでお馴染みの某車メーカーのお膝元で 2005年9月より広島・宇品牧場産名馬の3世代目を乗り回してます。  2019...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/9 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

愛車一覧

マツダ アクセラスポーツ(ハッチバック) マツダ アクセラスポーツ(ハッチバック)
前の会社の下らない社内規則で「通勤車両はスバル車を奨励(ちっとも奨励レベルじゃない)」と ...
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
H17(2005)年式NCEC1・RS・6MT・ノルディックグリーン・マイカ+タン製幌 ...
スバル レガシィB4 スバル レガシィB4
諸事情により、スバル車が1台必要になり、あまたある?モデルの中から、レガシィB4(BM9 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation