6月を回顧します
1.親不知付近
久々に長距離ドライブに行きました。上信越道を上越jctまで走って
親不知インターで降りて国道8号を西に走り、富山県へ少し入った後引き返して
最終的に柏崎まで8号を東に走り、そこから高速で帰りました。
親不知インター付近は北陸道が日本海の中に立っています。

親不知と子不知(余りに道が断崖絶壁で険しく親子でも互いを構っていられないことから名が付いたとされる)辺りはとても険しく幅の狭い陸地を縫うように8号と鉄道(旧北陸本線、現えちごときめき鉄道→信越本線)が走る印象的な景色でした。
なかなか路側なども少なく写真を撮りそびれたのが残念です。

実はこの親不知は、15年前の秋にNCが納車されて初めて遠出した場所でした。北陸道のSAに停車して昼食をとって車に戻ってきたら、発売直後で珍しかったのか近くに停まっていた1BOXのおじさん方がまじまじと車を見ていて「よく走る?」とか聞かれたのを思い出します。ちなみにそのおじさん方は高知ナンバーの車に乗っていて、工事か何かの帰りだったと思うのですがずいぶん遠くまで運転して帰るのだなと思ったものでした。
それを過ぎてもう少し景色が穏やかになってからも8号は海沿いをずっと走るのですが、信号も少なく程良いRのカーブも多くとても走るのが楽しい道でした。内陸育ちなので、海が珍しく通る海岸全てで停車して写真を撮りたくなりました。そうもいかないので休みたくなった時だけ停車するようにしました。好天ではありませんでしたが暑くなく過ごしやすい天気でした。
上越市谷浜付近

そして、帰路の車中で聞いたラジオのニュースで横田滋さんの訃報に接しました。今日見た海を越え最愛の娘さんを連れ去られた、筆舌に尽くし難い経験をされた方です。何も出来なくても、せめてそのような経験をされた方々がいることを忘れてはいけないと感じます。
2.東村山駅前
東京への移動制限が緩和された日の翌日、所用の後に遠回りして西武新宿線東村山駅の東口にやってきて、志村けんの木を見ました。
1976年、東村山音頭でその名を全国に広めてくれたことに志村さんに感謝状が贈られ、けやきの木3本が植えられたそうです。
失われた平穏平凡な日々が戻ってきたように思われても、戻ってこないこともあると、この木々を見て思い知らされた気がしました。
3.新潟県魚沼市
JR只見線の沿線へ列車の撮影に行きました。
只見線は、同市の小出と福島県の会津若松とを結ぶ路線で、雄大な山々の懐と水量豊かな只見川沿いを走る風光明媚な路線です。
ここで使われてきたキハ40系というディーゼル車両は全国各地の非電化路線で活躍してきましたが、車齢40年近くなって引退するようになり、この路線からもついに去ることになりました。
決してスタイリッシュではなく、武骨な外見ですが、まさに全身を震わせて大トルクを発出し力強い排気音を響かせ走るこの車両がとても好きでした。

Posted at 2020/07/14 20:48:14 | |
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