2020年08月30日
少し前の話ですが、8月10日に俳優の渡哲也さんが亡くなられました。
人が亡くならない年はありませんが、個人的にはプロ野球の野村監督、ドリフターズの志村けんさん、思い出の多い人が同じ年に次々と逝かれ、何て酷い年なのかと思います。
沢山の作品に出演された方ですが、私にとって一番印象深い作品は
テレビ朝日のドラマ「西部警察」です。
本放送は1979年ー1984年で、オンタイムでは見ておりませんが
1987-88年ごろは夕方5時から再放送をしていた記憶で、よく見ておりました。
車が何より好きだったガキとしては、沢山の種類の車が出てくるという点で
興奮し、どんなに悪い奴らが悪事を働いても最後は大門軍団に捕獲されるのと
華々しく走るのは当時の日産の430→Y30のセドリック・グロリアやR30スカイラインなど新型モデルで、横転や炎上など「壊れ屋」は230・330セド・グロやハコスカ・ケンメリなど古い車種が引き受ける?という「役割分担」が明確という予定調和なストーリーぶりもある意味安心して見られるドラマだったと思います。
そこから10数年経過した1999年に、石原裕次郎さんの13回忌を盛大に行う
目的の一環だったと思いますが、再び西部警察がテレビ朝日で再放送されました。平日の毎朝10時30分からだったと思います。
大学生となっていましたが、この知らせに驚喜し、全話をビデオ録画しました。(13回忌は7月に行われましたが、翌年の3月まで全話放送されました)この7月に、裕次郎さんゆかりの地である北海道小樽市に西部警察のミュージアムも作られ、金も無いのに鈍行列車を24時間乗り継いで見に行きました(帰宅後過労で倒れた)
カースタントだけでなく、ヘリや船を使ったロケや、大きな建物や煙突の爆破など、スケールの大きいロケを伴う番組を、5年以上にわたり毎週放送し続けたというのは、映画撮影のノウハウを有する石原プロが制作していたとはいえ、今のテレビ番組では考えられない程の規模です。同じ頃、ドリフターズは生放送の8時だヨ全員集合を毎週延べ16年間(1969-1985)にわたって放送していたわけで、まさにテレビの黄金期と言えます。
ただ、そういった作品への憧憬や制作に携われた方々への敬意を感じると同時に、そういった作品をいま新たに誰かが作って欲しいかとは、違う話と感じます。
既に、1999年の再放送時に、新聞のテレビ欄に「西部警察の再放送を子供と見ていたが、余りに暴力シーンが多く、見せるのがためらわれるようになった」という投書があったのを記憶しています。
スタントマンの運転技術や、爆破などの特撮の技術も、最大限安全を考慮して行われているところにプロフェッショナルを感じますが、まだ使える(ように見える)車や建物が壊れるのを見るというのが、個人的には辛いと感じるようになってきました。そこには、自分で車を購入し乗るようになったことや、阪神淡路大震災や311など大規模災害が起きた後の無残な被害の光景を目にするようになった変化点を経験したこともあるのかなと思っています。カースタントの映画やドラマを好んで見てきたほうなので、この変化には自分でも少し驚くほどです。
車の寿命も長くなり、西部警察に出てきた「壊れ屋」たちは単純計算で制作時から遡って10年も経たない車が大半だったのですが(例:330セドリックは1975-1979に製造)、今や平均寿命は11年を超え、10年落ちの車でも査定額が付いたり中古車として安くない価値を有するようになりました。
それでも、日本のテレビ史上に残るほどの一時代を築かれた作品であるのは間違いありません。
また、石原プロの活動として、前述した大規模災害の際に、渡さんが先頭に立って被災地で炊き出しをされている場面も大変印象的です。かつての映画撮影時のノウハウが生かされ、被災当事者でなくとも大変心温まり勇気付けられる光景でした。
また、自らの闘病のご経験から始められた小児がん患者への支援も印象に残っています。
こうした渡さんの姿からは、男の優しさ、温かさ、そういったことを行動で示していただけたと感じました。
同じことを同じように真似することなど到底出来ないのですが、自分なりにどう継承できるか、それを今後の人生に於いて考え、僅かでも継承したいと強く感じます。
Posted at 2020/08/30 21:58:36 | |
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