こんなに日にちが経ってから5月連休を振り返る人もあまりいないかとは思いますが・・・
4泊5日で、レガシィに乗って岩手県を旅してまいりました。
レガシィは今年9月に車検を迎えます。
元々は、前職の関係で購入した車で、転職した今その縛りが無くなりました。
恐らく、車検は更新せず手放すと思います。
NC1台では実用性が無いので、ホントにNC1台体制でいいのかという問題もありますがその辺の話は別に譲ります。
1日目は、ひたすら東北道を北上し、岩手県奥州市水沢に泊まりました。自分の運転で到達した県では最北となりました。
2日目は、水沢競馬場を訪れ参戦しました。
レトロな雰囲気いっぱいの競馬場でした。





収支は、3連単を3つ当てましたがそれ以外は負けが込み、少しプラス。
こんなに近くをレースを終えた馬が厩舎へ帰っていきました。



その後は盛岡へ移動し、盛岡周辺に住んでいる大学の先輩と再会。
3日目は、この旅唯一の雨の日でした。
盛岡城跡へ少し行った後、国道106号を東へ。
茂市という町から国道340号を北上します。
この沿線に、5年前に廃線となったJR岩泉線の駅や橋梁の跡が
残っていました。






天気が悪かったこともあって尚更、寂しく見えました。
山の中の橋梁は、おそらくこのまま手つかずで朽ち果てていくのでしょうか。


しかもこの国道は途中険しい山中に入り、すれ違いも困難なほどの狭さで、路肩も荒れていて、通過時恐怖を感じました。すぐそばを川が流れており、嵐の日には絶対来たくないですね。
岩泉町へ入り、ついに沿岸へ到達しました。
言うまでも無くここは、8年前に大きな被害のあった一帯です。
まず、鵜の巣断崖という場所を見学しました。
天気は悪かったですが、それほど波立ってはおらず、濃い霧が辺りを覆っていました。
柵の向こうは垂直の崖です。よくこんな所へ行けたものだとあとから思います。


次いで、震災遺構を2つ見学しました。少しショックな画もあるので、見たくない方はすみませんがスルーしてください。
1件目は、明戸水門の跡です。防潮堤が破壊され、8トンもあるテトラポットが
海から200メートル近く陸地へ流れてきたそうです。




2件目は、たろう観光ホテルの跡です。3階部分まで浸水したそうです。

様々な感情や考えが浮かびましたが、それを具体的に言葉にしようとする気が起きませんでした。
この夜は、宮古市内に泊まり、ホテル近くの創業45年というイタリア料理の店へ行きました。
女性が一人で切り盛りしているそうです。
震災のことは、語りたくない方もおられると思うので、こちらからは聞かないようにしておりますが、この方は自ら、貴重な経験を語っていただきました。
4日目は、車をホテルにおいて、この3月に8年ぶりに運行再開した三陸鉄道の区間に乗りに行きました。


三陸鉄道の釜石ー宮古間は、かつてJR山田線の一部でしたが、震災で被災し、不通となっておりました。
復旧には莫大な費用が掛かり、再開しても利用が見込まれないことなどを理由に、JRは、バス路線への転換を地元に打診しておりましたが、反対の声が多く、復旧費用を負担し、この区間の南北に路線のある三陸鉄道に移管し再出発することになりました。
まず私は宮古から北へ進み、田野畑村の島越駅で降りました。
ここは、三陸鉄道が2014年春に全線再開した際、最後まで残っていた区間でした。
2つのトンネルに挟まれ、島越駅は、津波で周辺の線路の路盤も含め破壊され、駅周辺の川沿いにあった集落も、高台にあった家を残し無くなりました。

かつての島越駅は特徴的な青い屋根の駅舎を有していましたが、私が2014年の再開直後に訪れた際は、まだ駅舎が建設途上でした。
旧の駅舎を模した新しい駅舎が2014年夏に完成していました。それを見ることが出来ました。

この階段と石碑【宮沢賢治の詩碑)は、旧駅舎関係で唯一奇跡的に残ったものです。



周辺の海です。この旅を通し何度も思ったことですが、こんなに穏やかな海が、ホントにあのような災害を生み出したのか、信じがたい気持ちです。



1時間半後に南へ引き返し、運行再開した宮古ー釜石間に入ります。
新たに線路を敷き直された区間が多かったです。
震災後三鉄が新たに購入した車両や建設した駅舎は、クウェート国からの寄付(重油を寄付され、それを販売したお金)を活用されてのものでしたので、至る所にこのような掲示がされていました。地元民でなくても、心温まり涙が出そうなご厚意です。

釜石市に入り、鵜住居駅で降りました。
駅から徒歩10分ほどのところに、鵜住居復興スタジアムがありました。
かつてここに小学校と中学校があり、津波で流され、その後にこのスタジアムが建てられました。この秋、ラグビーのワールドカップが開かれます。
沢山の世界の人々に来ていただきたいです。




また、駅に隣接した建物では、防災をテーマにした展示がされておりました。こちらも、多くの方に目を通し、考える契機になればと思います。
最後に、釜石から南下し恋し浜という駅で降りて、海辺まで歩いた後、宮古へ引き返しました。


5日目 あっという間にこの旅の終わりです。
最初に宮古市内の浄土ヶ浜を訪れました。

この岩岩も津波で一部破壊されたそうです。






大変綺麗な景色で見ごたえがありましたが、駐車場からの道がきつい坂道で、辛そうな人もいました。
帰路は、国道45号を、昨日乗った三鉄に沿って南下します。
途中の浪板海岸。かつては返し波の来ない海岸だったそうですが、津波で地盤沈下してしまったそうです。



道路の至る所に「この先過去の津波浸水区間」という表示と、そこを脱するまでの距離が示され、街の中でも至る所に津波の到達地点が表示されていました。
沿岸部は、海が見えないほどの高さの防潮堤が建設されているところが多かったと感じました。よそ者の私としては、多少見えた方が安全のためにいいのではとも思いましたが、様々な議論があって決まったことと察します。
せっかくなので昼食は海の幸でも食べようかと釜石駅そばの店を何軒か見ましたが、どこも混んでいて、それならかっぱ寿司でも行くかと思ったら50分待ちと言われ、断念しました。でも気持ちの良い断念でした。これだけ多くの方が集まっていたことは、嬉しく思えました。
その後は内陸へ国道283を走りました。この道は幅も広く走りやすかったです。
遠野から高速に乗り、帰りました。途中何回か渋滞に巻き込まれましたが、完全停止することはなかったので、ぐったりせずに済みました。
総走行距離1400キロの旅でした。
久々の長距離運転でしたが、思ったよりは疲れず、楽しかったです。ここまで長くなくてももう1回くらいレガシィがあるうちに行ってみようかとさえ思いました。
私としては5年ぶりに三陸の地を訪れました。その時は、街中に壊れた建物が残っていたり、爪痕を間近で感じました。
今回は、震災遺構を除きそのようなものはありませんでした。
綺麗な街並みが多かったですが、それで一件落着と思わず、その景色に見えないものを、今後も私なりに追い求めていきたいと思います。
超長文を終わりまでお読みいただいた方、ありがとうございました。