改めまして
マツダ株式会社創立100周年おめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。
マツダ車との最初の触れ合いは、1993年に母親の最初のマイカーとなった
オートザムキャロルでした。
ボディや内装双方とも丸を基調としたデザインが特徴の1台で、エンジンやプラットフォームはスズキのもので、当時のアルトや初代ワゴンRと同じ排気音がするのが不思議でした。
学生時代の99年に運転免許を取り、教習車以外で乗ったのがこの車でした。安い方から3つ目くらいのグレードで、てっちんホイールの3AT車でしたが、とにかくうれしかったことを思い出します。
とにかく車所有が夢だった当時に欲しかったのがランティスクーペでした。
ホントは就職する際乗りたかったけど、「通勤車両はスバル車を奨励する」という愚かしい社内規則に屈し、あきらめてしまいました。しかも入社してみたらそれに従った奴などほとんどおらず、ダマされた感いっぱいでした。その点はいまだに恨みます。
今書いていて思い出しましたが
お金の無かった学生時代、大学生協を通し学生価格でマツダレンタカーから安く借りたファミリアセダンで祖父を連れ伊香保へドライブしたこともありました。
また、マツダの入社試験も受験しました。都内のどこだったか忘れましたが面接を受けました。終了後、人事の20代後半くらいの女性と話しましたが、当時NHKの「プロジェクトX」で元会長の山本健一氏のロータリーエンジン開発の秘話を見てばかりで、その時来ていた人事の人で同姓同名の人がたまたまいて、私が「あの山本健一氏と同じ名前ですね」と言いましたがその女性は山本氏のことを知らなくて話がかみ合わずがっかりしました。
その後、2004年にマツダレンタカーでロードスター(NB)を初めて運転しました。オープンカーに興味があったというよりはとにかくFRに乗りたかったのがその理由です。
当時乗っていたインプレッサ(GC1)と全くクラッチの繋がる感覚が違って、最初はどう動かしたらいいのか戸惑いました。しかし程なく慣れると、この世にこんな楽しい車があったのかと度肝を抜かれ、感動し、その後2回ほど借りては房総や箱根へ行きました。
そうこうするうち、2005年にロードスターがモデルチェンジすると知り、同居する家族の理解・協力もあり購入を決意。
NBも良かったけど、新しい方に興味がいき、NCを選びました。
実はその時RX-8も試乗しました。これもすごい車でしたが、燃費の悪さや車体のサイズから、初志貫徹しNCにしました。
ガソリンスタンドで給油中に若いあんちゃんの店員が「これ新型のロードスターっすよ」とか言ってるのを聞いたり、高速道路のサービスエリアに停めて戻ってきたら数人が囲んで見ていたり、新車特有の樹脂の焦げるにおいに戸惑ったり、いろんなことがありました。
早いものでそれから15年経ちました。
中学時代から、三本和彦御大の影響を受け、氏の著作でマツダ車への評価が高かったことから、何となく好意は抱いていました。
しかし、出す車で嫌いなものは無かったけど、5チャンネル制の不振などによりフォードの傘下になって経営的に不安定な時期もあったり、いわゆる「マツダ地獄」の一環で新車を40~50万も値引きするという折込広告を見たりする中で、いい車は出すけど、ちょっと安っぽいイメージも同居しているメーカーなのだなと
いう印象も正直抱いてました。
なので、初代CX-5以後の値引きをしない売り方、レクサスのような高級車ブランドのディーラーの雰囲気を目指した店舗づくりなど、劇的なイメージチェンジを遂げつつある現状は信じられない思いです。
売り方の改革とともに、内燃機関の充実にこだわり、MT車のラインアップの拡充やトルコン式ATの熟成など、走りの楽しさの追求も同時に進め、国内はもとより世界的に見ても個性あふれる車づくりを進めていると感じます。
横並び主義の日本で、そのようなメーカーが1社でもあることに大いに喜びと頼もしさを感じ、共感します。車を単なる機械、家電製品にさせない意気込みが感じられます。
また、その車づくりに共鳴したオーナーが日本国内のみならず世界各地にいることに、連帯感を強く感じます。
なかなか車を買って応援することはそうそうできませんが、これからもその車づくりを応援し、注目し続けたいです。

Posted at 2020/02/01 19:56:30 | |
トラックバック(0) | 日記