
数年前のことだった。その日オッサンは足を延ばすべく,湾口に向けて帆掛け船を走らせていた。
風速は10ノットでメートルに直すと5m,艇速は6ノット。のんびり行くには,ちょうど心地よいコンディションで穏やかな海だ。
「ザザザザザー」という微かな波を切る音と,たまに「ザップーン」という,波頭に乗った船首が,落ちる時に海面を叩く音以外は何も聞こえず,無音に近い航行だ。
ぼけ~~と走らせていると,300mほど右斜め前方の海面が波立ち盛り上がり,真っ黒な物体が浮かび上がって来た。
前端と後端がなだらかにすぼまった葉巻型で,背中の一部分が波頭に見え隠れしている。
「鯨か?」
この辺りには小型でスナメリという種類の鯨が生息している。「プファー」と呼吸のため波頭に背を見せるのは,それまでにも見かけたことはある。
まれに大型種も迷い込むことがあるが,今回のはとても大きい。もし鯨なら数秒で再び潜る筈だが,それは浮いたままで動かない。
「一体何物?」と双眼鏡でよく見ると潜水艦だった。ドックに入っているのは見たことはあるが,洋上では初めての遭遇だ。
潜水艦は出撃して一旦港外に出ると,作戦行動中は帰還するまで,決して浮上しない筈だ。
「洋上で浮上=緊急事態」を意味する。
しばらくすると胴体から濛々と黒煙を吐き始めた。
「火災発生か?」
「救助しなければ」
潜水艦にとって火災は致命的な災害だ。密閉された空間には煙がすぐに充満する。極小のハッチで排煙も困難。元々沈むのが商売。予備浮力も僅かで,消火に水も使えない。
また潜水艦には救命ボートなんぞという有り難いものは搭載していない。あるのは小さなゴムボートのみだ。それも人数分の用意はおそらくない。大半の乗員は救命胴衣のみで波間に漂うはめになる。
船形は近代的だが国籍も不明だ。不用意に接近して,機関銃やロケット弾をぶっ放されるのも困る。玉が当たればきっと痛いに違いないだろう。
物騒な筒をこちらに向けていないか,恐る恐る様子を窺いながら近付いてみた。
Posted at 2007/01/23 11:26:09 | |
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