
現代のコンピュータやソフトウェアはブラック・ボックスの集まりで構成されている。そしてそれらがバランスより,むしろ綱渡り的な連携で,辛うじて何とか動いている。
それに比べ,私が製品開発を手がけたていた宮仕えだった頃は,今から考えればとても恵まれた環境だったと思う。
当時は至極当たり前のことと,気にも止めなかったが,構成要素は勿論のこと,開発ツールでさえほぼ自前ないしは,コントロールの効く他社製品で全てを賄えた。そうした大きな理由は,多少遠回りでもブラック・ボックスを皆無にするためだ。
開発途上で何らかの障害が発生し壁にぶち当たった時にも,ブラック・ボックスさえなければ,ほぼ確実に原因が究明でき,全て対策を講じられる。逆にその辺りの詰めが甘く,希望的観測のもと,出たとこ勝負で見切り発車をしたプロジェクトは,ほんの些細などうしても越えられない壁に阻まれ,お蔵入りになったものも,周りでは少なからずあった。
チップ・セットを含むハードの内部設計図や回路図やタイミング・チャート,全てのソース・コードすら手元に,もしくは直ぐに入手できる環境で,何と言ってもそれらの開発者に,海外であれ直接コンタクトが取れ,それが原因なら回避ないしは改修等の手も出せた。
それができない今と現代では,システムというものは酷くもどかしい。個々の構成要素も,使いやすさや信頼性の確保はなおざりに,カタログ・スペック競争に明け暮れ完成を待たずに,次期バージョンへと突進し続けている気がする。
以前,昔在籍していた所が,ある運動会の管理システムを担うことになった。時期的にあいにく私は関与していないが,当時ある程度の内情は聞き及んでいた。
そのプロジェクトの特徴は,利益はないが面子が掛かっており,万一失敗すれば汚名返上のチャンスは,毎年開催しない都合上,数年先となり,しかも次回も担えさせて貰える保証は全くない。
つまり「失敗は絶対に許されない」プロジェクトで,納期絶対厳守で,稼働中も絶対に間違いやダウンは許されないシステムであった。
開発にさいして,その時のスローガンは「Williamの助けを一切借りない」・・・じゃなくて・・・「ブラック・ボックスの一切の排除」だった。ほぼ全ての構成要素を自前の製品で賄い,スローガンが功を奏してか,無事成功裏にその運動会は終わった。
裏話をすれば記憶では小さなライブラリー(DLL)の1個だけが,特許か著作権か納期の都合でWilliam'sだったと思う。また稼働中に小さなトラブルはあったが,即座に内部コードを手直しし,事なきを得た。間接的とは言え,かつて私がプロトタイプの開発に関与した製品も,大々的に使われていて嬉しかった。
閉会式から暫く経ったある日,今は全く誰もいない運動会の数キロにおよぶコースを独占し,当日の最速タイムでゴール・ゲートをくぐった。ゼイゼイと肩を上下させ,息を吐きながら振り返ると,ダイヤモンドダストの向こうに,撤収を待つ電光掲示板がそびえ立ち,脳内には歓声が響き渡っていた。
感無量
註:最速タイムとは言っても,たった一人だから当たり前
Posted at 2007/09/26 07:53:48 | |
困った時のハマグリ | パソコン/インターネット