流れ流れて その1
流れ流れて その5 終着駅と防人
流れ流れて その7 スペシャリティー・カー 1/4
ご存知の方も多いだろうが,1944年の6月6日「D-Day」は米英加仏の連合国軍が仏北部ノルマンディー地方に上陸した日である。正しくは「Operation Overlord」と称したそうだ。
古くは映画「史上最大の作戦」,少し前では「プライベート・ライアン」の舞台になった場所である。写真の最下段は,映画「史上最大の作戦」において,愛犬シェパードを連れた独逸軍将校が,連合国軍の侵攻を最初に発見する場面のロケに使われた,そのものズバリの要塞である。
ここオマハビーチは最も攻防が激しかった海岸で,現場の兵達は米独共に思いっ切り貧乏くじを引いてしまった場所である。
例外的な激戦地ゆえ,米兵の勇猛果敢を称え上げ,犠牲者の追悼を偲んだ戦記・映画が多く,この作戦の要の地として描写されるが,記録を調べれば,かなり事情が異なるようだ。
つまり,米軍側の大きな作戦遂行ミスが散見された。
上陸に先立って数日間は徹底的な爆撃をし,直前には数時間猛烈な艦砲射撃をしたが,指揮と連絡の不備から,いずれも的外れな別の場所に行われた。従って守る側はほぼ無傷の状態で迎え打った。
また上陸地点も予定より大きくずれ,わざわざ敵の真正面に,しかも上陸第一陣である歩兵達は,波打ち際まで送ってもらえず,波打ち際遙か沖合の,記憶では180mほどの海中に,上陸用舟艇から放り出された。
もし土砂降りの台風の中,家から180mの所でタクシーを降ろされたなら,私なら運チャンの首を絞める。
歩兵達は重装備ゆえ,ただでさえ水中歩行は極めて困難,おまけに軍服の中に容赦なく入り込んだ海砂は,荒目のサンドペーパーとして,ふやけた皮膚を削り取った。ダッシュできない歩兵達は陸上からの格好の標的となり,余りの犠牲の多さに,司令官は上陸を断念する寸前であったそうな。
古今東西,上層部の思慮のなさとミスのしわ寄せは,全て現場に降り掛かる。
映画では臨場感を増すためか,強固な断崖として描かれることが多いが,現地に立って驚いたのは,実際には平坦で,海岸からはさしたる丘もなく市街地へと通じている。また幅広の砂浜も連続して東西数Kmは優にあり,わざわざ敵の真っ正面を選ばなくてもと感じた。
実際,他の上陸地点4ヶ所では,さしたる抵抗もなく進軍している。
「一発限りの使い捨て」とばかりに,現物を目前にすれば誰しも驚くほどの安普請で貧粗な上陸用舟艇に寿司詰めにされ,数百m先の屠場へと運ばれる元民間人と,かたや状況を「七割が船,三割が海面」と司令部へ報告した,キル・レシオこそ高いものの,確実に「俺たちに明日はない」守る側の,これまた元民間人の胸中が偲ばれた。
まぁ百歩譲れば,「玉砕」しか選択肢のない東洋の国よりはマシかも知れない。
D-Dayの数日前の今日,先程から重装備の兵隊達が,軍用トラックやジープで忙しく走り回っている。演習の一環か軍の追悼行事かと思っているが,私の素人目にも,砂地に適した走り方ではなく,あまりクレバーな運転ではない。
砂浜のそれらを「今にやるぞ! やるぞ!」とヒヤヒヤしながら見ていたら,案の上,先程トラックがスタックして亀の子になり,文字通り墓穴を掘ってしまっている。
しばらく付近を散策した後の帰り道,偵察がてらオート・キャンプ場に立ち寄ったら,家族連れの子供達がボール遊びに興じる中,洗濯物を干した横で,先程の軍用トラックやジープ達が区画内に大人しく駐車していた。
なんと軍の演習ではなく,ミリ・オタ(軍事物マニア)の集まりであったのだ。平和万歳。
嘗ての敵味方が数多く訪れ,名勝と化した今の情景を,1944年にここで犠牲となった人々が目にすれば,きっと「何と俺たちは馬鹿々しいことをしていたのか・・・」と哀しさを通り越し,笑い出すのではないかと想像する。
カップルが戯れる渚に血は似合わない。
毎度々終わってから立派な記念碑を建て,それに永劫に花を手向け,毎年盛大な式典に両者揃って仲良く出席できるぐらいなら,ハナからやらなきゃ良いのだ。
一人,多くても数人の「自称指導者」の退陣と,マスコミの扇動に踊る大衆の浅はかさを排除しさえすれば,ほぼ全てのケースにおいて戦争という人間特有の愚かな悪癖は回避できるのではと思う。
またそれには作られた歴史や,そうであって欲しい歴史ではなく,美化や歪曲なしの真実を知り,たゆまぬ再検証を続けることも必須と思う。
私の嫌いな言葉
「多くの尊い犠牲の上に,現在の平和と繁栄は成り立っている」
は,過ちと追求されるべき責任を,ずる賢く昇華させ美談にすり替える常套句でもあり,真実を見る目を曇らせる。
ごく一握りの連中の狂気に,皆付き合う必要はない筈だ。
Posted at 2010/06/04 22:41:03 | |
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