流れ流れて その11 何でもありチュウカ,何でもやっチャイナ 1
流れ流れて その11 何でもありチュウカ,何でもやっチャイナ 2
・・・と愚痴も含め,長々と書いたが,これらは単なる前置きに過ぎない。私が最も強く感じたこの国の最大の強みは
「なんでもあり」
だ。
厳しい法律や処罰では際だったこの国だが,企業活動や庶民生活の行動基準には「なんでもあり」と「物事は交渉次第」が根底となっている。
これが成長の活力となるダイナミズムの根源だと思う。
空港では欠航,遅着,遅発は当たり前。国内便も24時間運航で,夜中であれ,カウンターで係員と大声でやりあう集団があちらこちら。
出発ゲート変更は日常茶飯事,アナウンスもコロコロ変るし,電光掲示板の表示もよく間違っているので,片時たりとも油断がならない。
機内であれ,離発着時もシートは倒したまま,ベルトもなかなか着用しない。スッチーは知らん顔で,笑顔なんて無料サービスはありえない。
まともに飛んで無事着陸したら手を叩きたくなる。感謝感激。
この国でしばらく過ごせばサバイバル本能が鍛えられる。
この国といえば出勤風景の代名詞だった,おびただしい数の自転車に乗った集団は,すっかり見かけなくなった。日本人が見下している間に,それらは全てバイク,車に置き換わっている。
交差点では信号など糞食らえ,逆行は当たり前,あらゆる方向から人,車,バイクが流れ込み,警笛の嵐。
歩道を歩いていようが安心できない。少ない街灯の中,無灯火の電動スクーターがジャンジャン無音で直ぐ脇を疾風と共に抜けて行く。バッテリーの消耗を減じるためライトは点けないのが常識だ。
夜,広い道の横断もとても神経を使う。最大の敵はこの「無灯火電動バイク」
無音でしかも速い。60km以上は出ている。
信号無視,逆行も当たり前なので,どこから走ってくるかも読めない。
目と耳だけに頼らずに,神経を研ぎ澄まし気配を感じ取る。
まるで自分が座頭市になったような感覚だ。
以前は車の所有や使用できるのは、党や軍の幹部に限定で,車優先だったので、轢かれる歩行者が悪いとのことだった。現在でもその延長か,歩行者の自衛意識は高く生き残る気構えがある。
「ヘッドホンで耳を塞ぎ,メール打ちながら車道に飛び出す」自転車に乗った日本の若者を,ここに連れてくれば生存日数は分単位だろう。
大雨が降れば高速道路はあちこちで冠水する。ついでにタクシーの床も水たまりで,目的地に到着するまで,膝を屈めて足は上げっぱなしだ。
トラック,バイク,自転車の過積載は当たり前。バイクの3人乗りは当然,最高は一家全数と思われる夫婦+子供3人の5人乗りも目にした。
これらは日常風景のごく一部だが,善し悪しを論じるつもりは全くなく,この体質や風潮が,躍進としたたかさの原動力となっていると思う。
昭和20年代,30年代には,日本にもあった「ダイナミズム」,この国にはそれをも上回る「ダイナミズム」がある。
逆説的ではあるが,1990年まで日本がここまで成長できたのは,中国が東側諸国に付いたからだと思う。「竹のカーテン」の中に収まっていてくれた。将来は米との覇権争いの様相もあるが,したたかなこの国,うまく立ち回る気もする。
「これもダメ,あれもダメ」で育ち,疑問を抱かずに従い,言われてないことも自粛までする「坊ちゃん」が,「何でもあり」で育った「クソガキ」に喧嘩で勝てるわけネー。
蛇足:
一昔前までは,この国では犬猫のペット飼育は法律で禁じられていた。
犬猫がいなかったという意味ではない。
そのなごりか不用意に「私は犬が大好き」とか「ニャンコたまらない」と言えば,専門料理店で接待される可能性がある。
日本での日常会話「鰻大好き」や「マグロ大好き」を思い出せばよい。
Posted at 2011/06/19 23:20:56 | |
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