
生来の天の邪鬼ゆえか,既に名声や脚光を浴びている対象には,私はさほどの興味を示さない。
勿論,感心や尊敬の念は抱くが,それとて世間一般の熱狂さには到底及ばない。
対象は人,物,組織,現象,風俗と雑多ではあるが,今の時点では無名もしくは,日陰の存在でほんの少し芽が出かかったばかりだが,私自身の物差しで測って,将来の大化けを,確信できるものが大好きだ。
成長過程をニタニタしながらそれとなくワッチし,ドンッ!と世間に知れ渡った日には,活躍振りを報じたメディアを眺めながら,
「どや! ワシの目は誤魔化せんじゃろ!」
「xxはワシが育てたようなものだ」
・・・と勝手に呟きながら一人悦に入り,スルメをシガシガ,安酒をチビチビする一時に,無上の喜びを感じる。
勿論,篤志家になる程の甲斐性もなく,何の援助も影響も及ぼしていないし,相手すら私の存在を忘れ去るなり,ハナから知らないことが殆どなのだが。
具体的な例を挙げると,柔らかい方面では映画初出演かつ「プリティー・ベビー」主演当時の12才だったブルック・シールズ。
子供番組の「ポンキッキ」でバックを踊っていた4才の安達裕実・・・とにかく表情が豊かだった・・・。
道を歩いていて舞台スタッフに突然スカウトされ,初舞台「身毒丸」主演当時の藤原達也。
ハリウッドに移る前のスエーデン映画時代のイングリッド・バーグマン・・・チト,古すぎるか・・・,
車の世界ではスクール入学当初のTS氏。特にスクール内模擬レースの最終戦での走りは印象的だった。
私の認識と記憶が正しければ,TS氏はそれまでシリーズ2位につけていた。
最終戦での予選順位は2位。シリーズ1位の選手がポール。
頭を取った選手が無駄のないドライビングでそのまま順当にラップを重ね,最終ラップの最終コーナーに差し掛かった。コーナーの突っ込みでも既に勝負が決まっており,ポール・トゥ・ウィンかつシリーズ・チャンプ確定と思われた。
しかしレースというものはチェッカーを振られるまでわからない。
TS氏は「それはないやろ・・・」と私が思わず呟いた抜き方というよりも「カー・チェイス」で,並々ならぬ執念でシリーズ逆転チャンプを決めた。
押し出されたドライバーはレース後,コースにヘルメットを叩き付けていた
シーンが今でも目に焼き付いている。
もし抜かれてなければ,その方がえふわんに行っていたかも知れない。
運を引き寄せるのも大事な実力の一つだ。
・・・この項,私の記憶と認識が間違っていたら,ご指摘賜りたく存じます。
その日私は意図せず,ひょんなことから突然,このレースを観戦することになったが,これまた芝生の斜面に座り込んで観戦する私のすぐ横には図らずもN氏ご一家がいらして,偶然にも将来を含め3人のGPドライバーと場を同じくする幸運に恵まれた。
私まで含めれば何と驚くなかれ3人にもなる。
増える筈もなく,数はそのまんま。
そして今回の本題,遡ること14年ぐらい前,夏休みにある小学3年生が走り初めた。周りの大人が全く教えなくても,日に日にというよりむしろ周回毎に確実にタイムは縮まっていった。
まるで雛鳥が初めての巣立ちから飛べるのと同様,ドライビング・テクニックが本能としてインプリンティングされているかのようだった。
そして夏休みが終わる頃には,体重差のメリットもあるが,周囲の大人とて敵わないレベルに達していた。
よくある英才教育や,親が自分の果たせなかった夢を子供に託すパターンではなく,何の指示も受けず自由にのびのびと自分で考えて,試しながら走っている様子だった。
ちなみに親御さんはそれまでは,モーター・スポーツとは無縁,かつ無興味でいらして,本人の希望に従ってサポートを始められていらした。
その頃から私の中で「えふわんに行くのは時間の問題」と密かに確信していた選手が,棚ボタとは言え,この度ブラジルGPに出走されることになった。繰り返すが運を引き寄せるのも大事な実力の一つと思う。
この選手は前回の鈴鹿では当然見物予定であったが,フリー走行直前に通告され,慌てて出走された。
7ヶ月ぶりの乗車で,それから設計も変っている。まともに経験すらないウェット。限界なんて知る由もない。しかもハンドルのスイッチ・レイアウトが違う!
クローズド・コースを走られる方なら,十分想像がつかれると思うが,メーターをチラリと見ることですら困難で,視線をチラリと移す,その一瞬の余裕でさえなかなかない。
またそうできる区間すら限定される。
ましてや位置を覚えていないスイッチを,ハンドル見ながら探して操作は,苦行に他ならない。
ジャンジャン追い上げる先輩をミラーで確認しながら,前車が上げるスプレーに埋もれたコーナーとブレーキング・ポイントを探り,シフトして,かたやハンドルにゴチャゴチャ付いたスイッチ操作し,無線でセッティング状況をピットに連絡しながら,ウェットではどの辺りが限界かさっぱり判らない車を転がす。おまけに舗装の不揃いで路面ミューが区間により全く違う。
Tカーはなく,明日の予選日には本来のドライバーに返すべく,絶対潰せない。
日本人なら走り慣れた鈴鹿と言いたい所だが,至近は7年前の16才の時。何しろそれ以後の成長・活躍の場は海外だった。
・・・等々,絶対的に少ない準備時間と,絶望的な条件の中での走行だった。敢えてアタックを控えたうえでの,同一セッション内ではそこそこのポジション,区間最速のオマケつきのあのタイムは天晴れと賞するに十分に値すると思う。
「ハンドルぐらい自分用のがあるだろ」
と仰る御仁がいらっしゃるかも知れない。
昨今のハンドルはメーターはマルチ・ファンクション,訳の判らないスイッチがゴチャゴチャとインテリ機能満載ゆえ,高いのは,侮るなかれ911のたー坊に近い価格だそうだ。もっとも量産品でもなく価格算定すら難しいが。
幸い新しい「マイ・ハンドル」はゲットできる運びとなった。レーシング・スーツは洗濯しないと足りなさそうだが。
私も新しいスルメをゲットして,万端の準備を整える所存だ。
Posted at 2009/10/15 08:00:51 | |
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